「若人の教師」とでも訳せる The Juvenile Instructor というブログに、私の記事「拙速伝道」(モルモン歴史ジャーナル2010年秋季号掲載)に対するコメントが載せられていた(2010/11/20)。
70年代末から80年代初めの拙速伝道について、私の記事が、日本人の会員は今尚否定的にとらえていて、当時の伝道方法とその結果を正当化することはできない、と書いていることを紹介し、記事の手法がインタビューやネット上の書き込み、筆者のメモが使用されている点が興味深い、しかしそれは批評者ジェレド・Tの感覚から言えば問題がある、という。
これに対し一人の読者(DLews)からコメントが寄せられていた。その人の身内に当時当該伝道部に伝道した人がいて、私の記事を送ったところこの通りである、と確認の返事があった旨書いている。そして、当人はあのような伝道を奨励する指導者に裏切られた思いがし、驚愕した、その後結局教会を去ることになった。沼野の記事を送ったところ彼は正確にとらえている、と確認してきた。彼はグローバーグ伝道部長の秘書を一時していたが、教会の指導者たちはずっと上部まであのような伝道を承知していて支持していた、と述懐している。
また、日本の会員たちは求道者が別の建物で集会を持ち、大多数の会員は当時起こっていたことから切り離されていた形であった。そして突然膨大な数の不活発会員の登録を引き受けることになって不快感を覚えた。
確かにインタビューやネット上の書き込み使用は内容が断片的で、何年も前のことが語られる点に問題があるかもしれない、それでも当時のやり方が多くの人に不快な思いを抱かせたことと教会から離反した人がいたことは確かに本当のことであった。
このコメントを読んだ主宰者は、初め情報源が断片的で不完全というより筆者の筆による創造の可能性を感じていた、しかし、今否定的な調子が表れる状況が理解できた、殊にその場に居合わせた当事者の筆によることからそれがわかる、と現場にいた者の証言の意義を認めている。
以上、英文のブログから批評とコメントを紹介させていただいた。
原記事:The Juvenile Instructor
http://www.juvenileinstructor.org/journal-of-mormon-history-364-fall-2010/
本ブログ関連記事:
2011/1/11 拙速バプテスマ英文記事の紹介 上
2011/1/12 拙速バプテスマ英文記事の紹介 下
* Juvenile Instructor というのは、1901-1930年にわたって末日聖徒イエスキリスト教会の公的機関誌であった。それに先行して1866年以来子供と若者を対象とした同名の私的刊行物であった。
70年代末から80年代初めの拙速伝道について、私の記事が、日本人の会員は今尚否定的にとらえていて、当時の伝道方法とその結果を正当化することはできない、と書いていることを紹介し、記事の手法がインタビューやネット上の書き込み、筆者のメモが使用されている点が興味深い、しかしそれは批評者ジェレド・Tの感覚から言えば問題がある、という。
これに対し一人の読者(DLews)からコメントが寄せられていた。その人の身内に当時当該伝道部に伝道した人がいて、私の記事を送ったところこの通りである、と確認の返事があった旨書いている。そして、当人はあのような伝道を奨励する指導者に裏切られた思いがし、驚愕した、その後結局教会を去ることになった。沼野の記事を送ったところ彼は正確にとらえている、と確認してきた。彼はグローバーグ伝道部長の秘書を一時していたが、教会の指導者たちはずっと上部まであのような伝道を承知していて支持していた、と述懐している。
また、日本の会員たちは求道者が別の建物で集会を持ち、大多数の会員は当時起こっていたことから切り離されていた形であった。そして突然膨大な数の不活発会員の登録を引き受けることになって不快感を覚えた。
確かにインタビューやネット上の書き込み使用は内容が断片的で、何年も前のことが語られる点に問題があるかもしれない、それでも当時のやり方が多くの人に不快な思いを抱かせたことと教会から離反した人がいたことは確かに本当のことであった。
このコメントを読んだ主宰者は、初め情報源が断片的で不完全というより筆者の筆による創造の可能性を感じていた、しかし、今否定的な調子が表れる状況が理解できた、殊にその場に居合わせた当事者の筆によることからそれがわかる、と現場にいた者の証言の意義を認めている。
以上、英文のブログから批評とコメントを紹介させていただいた。
原記事:The Juvenile Instructor
http://www.juvenileinstructor.org/journal-of-mormon-history-364-fall-2010/
本ブログ関連記事:
2011/1/11 拙速バプテスマ英文記事の紹介 上
2011/1/12 拙速バプテスマ英文記事の紹介 下
* Juvenile Instructor というのは、1901-1930年にわたって末日聖徒イエスキリスト教会の公的機関誌であった。それに先行して1866年以来子供と若者を対象とした同名の私的刊行物であった。
悔い改めという教えを教会が実践するべきです。
しかしながら私は、教会反対者ではありません。
教会にしか居場所の無い方もおられるので、教会には頑張ってもらいたいです。
もうとっくに過去の事柄ですが、仰るように清算と常に再出発(改革、革新)することが必要なのだと思います。
最後の文、理解致します。宗教はそのための存在でもあります。(ただ、頑張るのは結局気づいた一人ひとりで、日本の上位指導者から末端まで全体的な自立が鍵だと理解しています。)
長い事、御無沙汰しています。
眠むたくてしょうがないほどですが、何故か沼野さまのブログを急に覗きたくなる気持ちにかられてきました(笑)
最近、ネット上で、指導者に関する過去の伝道方法について、多くの非難めいた言葉を多く目にしています。
「悔い改めよ。」「謝罪するべき」等の声がある中、教会という枠の中ではなく、イエスがキリストと信じている私たちが、「果たして、そう声を上げることは必要なのか。すべきなのか。」というのがわたしの率直な思い、考えです。決して良い伝道方法ではないのは確かだと、私個人もそう思います。それでも、わたしの中では、でも、が付くのです。私個人の経験を言えば、何度か深く傷ついた経験がありますが、それでも、赦しの気持ちを苦々しい思いの中で持てるようにしてきました。ある時期、わたしが通う支部のある指導者の言動、対応に不快感と「その指導者の考えは間違っている!」と思っていました。その指導者個人は本来は人間味のある温かい愛情の持ち主の御方ですが、当時、様々な試練、苦難で自分自身を失っていたようです。その頃、ある悩みを持っていた私は、その指導者には、相談せず、他のエリアの指導者やステーク会長に個人的な悩みを度々相談していました。相談してもわたしの中で解決できずに悶々とした中、相談したいとは思っていなかった、その指導者に「相談すべき!」という聖霊の促しがあり、意を決して、その指導者から問題解決の糸口となるきっかけの言葉を頂けるようにと、その指導者に対するわたしの思いを許して下さいと深い思いで祈ってから支部会長室に出向きました。そして、案の定、私が相談したいとは思わなかった状況が現実のものとなったのです。ですが、何故か心は平安な気持ちだったのです。不思議でした。・・指導者との面接の間には、問題解決になるようなきっかけはみじんもありませんでしたが、支部会長室を出て、教会の駐車場に向かう途中、心が晴れ晴れとしていて、その思いを感じたと同時に、問題解決になるような、はっきりした啓示が降り注がれたのです。その時、思ったのは主が選ばれた指導者が弱リ果てて、誤った判断の状況であっても、リーハイを預言者として信頼していたニーファイのように信頼すべきだということえを理解しました。主の教会とは言えども、不完全な人の集まりです。それぞれの思い、信仰があり、いつも主の御霊が共にいるのは難しいですが、誤った方法を進めていると思っているときは、はっきりと発言すべきことはしても、非難、悔い改めを本人以外の会員が勧めるのは、?という疑問がわたしの中に残ります。許しがたいどのような状況になったとしても、主が言われたように「互いに愛し合いなさい。」という聖句が私のなかでこだまするのです。良いとは言い難い伝道方法ですが、その答えしか私には見いだせないのです。すべての会員がどのような状況になっとしても「互いにキリストのような愛をもって接し、自分を傷つけた人に悪い感情を持たないことである。」と。そうするときにキリストを信じる者としての真の平安がもたらされると思っています。そのときに、この問題に関する解決方法がもたらされるのではと思ったりします。ただ、傷ついたまま、教会を去ってしまった会員に対しては、辛い気持ちが残り、「また主のもとに戻ってきますように」と祈るばかりです。長くなって申し訳ありません。
ということが「正しい」というのは福音の原則である
個々の善悪の判断を否定することになる気がします
何でもかんでも指導者が正しいのであれば
聖霊も御霊の導きも必要なく
ただただ指導者がああしろこうしろということに従えばよいのであって
指導者自身も導くものに些細なことまですべて
道を示さなければならないと思いますね
従うものも些細なことにいたるまですべて支持を仰ぐことになり
師と弟子は四六時中一緒にいなければなりません
ゴーヤさんの件は指導者に従うことを選んだというより
自分の望む答えを得ようとすることが間違っていた
と気が付くべきだったんじゃないでしょうか?
この拙速伝道に関して、記事を書く過程で編集者のラビナ・フィー儿ディング・アンダーセンさんから、赦しの精神が大切であると言われたことをよく記憶しています。彼女は不屈の闘士でありながら、キリストの福音を芯から体得した面を持つ人物です。
美らさんの経験を披露していただきありがとうございます。タイプの相違や認識・考え方の隔たりが大きいときは、こちらが心を広く持って相手のあり方を許容することでしょうか。接触し、一部でも話し合って交換する機会があれば、接触を絶っているより収穫があるものだと思います、美らさんの例のように。
みかんさん、コメントをありがとうございます。日本の教会員は実際はしたたかで?成熟した域に達した人も多く、従うというよりいろいろ承知した上で教会運営に協力していると見ていいのではないでしょうか。
私はそれほど悲観的に見ていません。
肯定的な意見を頂戴できて。
私自身も「悲観的」には見ていない人の一人です。
わたしたちは、いつでも試されていると思います。
自分の考えはさておき、「主の物差し」「主の思い」で、人を見ることが出来るか。そこに福音がもたらす完成へ向けての主の贖いの力が及ぶのだと思います。
教会は去った兄弟姉妹がどんなに辛くても主と繋がる事を一番に考えていたら、心は自由でいた筈です。
教会幹部が「わたしたちの言葉に盲従にならないで下さい。わたしたちの話す言葉が真実かどうか神に尋ねて下さい。」という言葉を真摯に受け止めるべきだと思います。
そうでなければ、誘惑の力が猛威をふるいます。
教会内で起きることは、辛いことがあったりしますが、それでも、主と繋がっている兄弟姉妹です。自分を愛するように兄弟姉妹を愛せたらと思います。
また、遊ぶにこれたらと思います。いつになるやらですが。
ありがとうございました。