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中国の米末日聖徒はモルモン書の民に似る!?

2009-10-29 00:38:10 | モルモン教関連
 そのこころは、いずれの場合も移り住んだ地に他の民がいない
かのような話しが聞かれることにある。8月末に北京を基点とし
た電話会議形式の聖餐会が始まって以来2カ月近くたつが、祈り
に話しに証に全く中国人との出会いや交渉の話しが聞こえてこな
い。アメリカ人の知人、交際、社会が持ち込まれていると言って
もよい。この地にとけこんでいるのなら、もっと中国の人たちと
の行き来や心の交流が話題に出てきてよいのではないか、と思わ
れる。

 ある意味、世界各地の米軍基地を想像するとよいのかも知れな
い。住まい、生活用品、郵便局、教育施設などごっそりアメリカ
社会を隔離された区域(基地)に持ち込む姿である。もちろん民間
人の場合物理的にそこまでではないが、実質、医療、教育などで
は地元社会とは異なる世界に住んでいる。

 医療の面では、私も歯の治療と眼の診察では、どうしたものか
と思案し懸念を抱いた。しかし、幸い信頼できるよい歯科医と眼
科を自力で見つけることができた。(正直にいえば1月に帰国す
るまで持ちこたえられるだろうか、悪化すれば日本語教師を途中
で断念か、とまで考えた。)出産を帰国してする、と考える妊婦
の会員の話しは理解できるが、それでも何か割り切れない気持ち
をぬぐいえない。というのは何億もの人々がここで生まれ育って
いることを考えれば、住んでいる国の医療を信頼できないものだ
ろうか、と思ってしまうからである。パール・バックならどうし
ただろうか。

 一つの明らかな問題は言語の障壁が大きいということであろう。
私もごく表面的な内容以上に入ることができないでいる。大きな
ことは言えないが、ある外国に入ってある期間住むのであれば、
その国の言語を身につけようと誠心誠意努力するのがすじであろ
う。アメリカ人にはそれが不足する人たちが多いのではないか。
言葉が(少しでも)通じると天地の差ほどの違いが生じる。友人
がたくさんできること請け合いである。

 まだ、短い期間しかたっていない。北京へ行って北京に拠点を
おく全中国地方部の指導者に会って上記のことやその他の状況を
尋ねることができれば、などと考えている私である。

英語版 http://www.lds.net/forums/
US lds in China can be likened to the people of the Book
of Mormon!?

The thought came to my mind after listening to two months
of teleconference sacrament meeting in China. Why? It is
because I noticed that almost no anecdote of exchange
between US expatriates and local Chinese has been mentioned
or referred to in the sacrament meeting talk or in the
testimonies given.

What are talked about, of people, are mostly about
families back in the States, news of home wards, etc.,
and about co-expats here, and none else. I felt as if
these people are here in China, but their topics, their
minds are basically facing back toward America. And their
associations are limited among co-expatriates themselves.
So the comparison to the people of the Book of Mormon,
where neither the Nephites nor the Lamanites mentioned
the local natives at all though they moved into a new
land.

Writing the thought I noticed that the major reason for
this is to be found in the enormous difficultness of the
language, Chinese to the Westerners. But still I think it
is expected of the visitors who would stay for a substantial
length of time to learn and speak the local language. It
is part of newcomers obligation and courtesy. And aren’t
lds known for their ability to speak foreign languages?

(The thought is posted in my Japanese blog http://blog.goo.ne.jp/numano_2004 dated 29 Oct. ‘09)


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2 コメント

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Unknown (Unknown)
2009-10-29 09:33:50
日本のモルモンでも、英語が出来ないと一定以上の段階の指導者とは成れないようですね。

英語が堪能でも、一定以上の指導者に成っていない人も居ますがね。
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語学と人物 (NJ(中国語はやはり難解))
2009-10-31 00:29:04
語学の能力と人物の器とは相関関係がないようですね。H.J.グラントは日本語が上達しなかったと伝えられています。lds教会における英語ができなければというのは残念な世界です。カトリック教会ではどうなんでしょうか。私は複数の言語が本山でも用いられていると予測します。

ともあれ、中国における英語スピーカーのlds社会はBofMの記述に似て地元の民との接触、交流は一般的に極めて希薄なようで、話題に出てきません。中国の人々に祝福がありますように、という祈りは聞きますが。

もっとも考えてみれば、中国語は西欧人にとって大変習得困難な言語であると思います。とにかく膨大な数の漢字が立ちはだかっているわけですから。

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