またもや、「体罰について思うこと」にコメント戴いていろいろ考えるうち、
突然心境の変化に気づきましたので、日記としてアップすることにしました。
昔は私もどうしょうもない悪い事ばかりする子には体罰も仕方がない、
いやむしろ必要派、うちの子だったら叱ってやってくださいと先生にお願い
していたぐらいです。そして、ごく最近までそう思っていました。
しかし、
今回の高校生自殺の件や柔道での体罰の件が出始めてから、
どんどんと次から次に湧いてくるイジメと同じような発覚にやっぱりなあ
と思うものがあり、いろいろ考えるうちに、絶対してはいけない方に
だんだん変わってきました。というのも、体罰をいったん許してしまうと
また同じ事が繰り返される可能性があるのではないかと危惧するからです。
そして一番危惧することは、
何もしていない子でも他の子のとばっちりを受けるとか、
例えば一人の悪戯が連帯責任という形の元、全員が罰を受けたりとか、
全く関係が無いのに友達をかばったり、いちいち説明する(ちくる)のが面倒だったりで、
先生の勘違いのまま、罰を受けたりすることも無きにしも非ずだと思うからです。
悪さをする子なら、ちくったことによるイジメなどへの転化も考えられますね。
真実は、今そのとき見えるものばかりではないことも多々あるからです。
そして、必ずしもそれが良い方向へ進むかといえば、
悲しいかな人間というものは、自分が悪くても素直になれなかったり
カッとしてしまって思いもかけない行動に走ったりすることもあると思うのです。
また、その場限りの行動で無駄に過ごす人生にも為りかねないし、
恨み積もって(逆恨みの場合もあるけど)将来犯罪を起こすきっかけにも
なるかもしれないと思うのです。
中高生の心理を考えてみるとちょうどそういう反抗期の時期に当たります。
大人になってからわかることでも、できるならそのときに気づかせてあげたい、
いろいろな可能性を若いうちから目指した方が何度かやり直しもきくし、
人間の限りある人生の時間を有意義に費やしてもらいたいです。
ただでさえ、少子化が進んでいるのですからね。
折角、この世に生まれたからにはきちんと人間らしく我が命を全うし
自分らしい人生を過ごしてもらいたいと思うのです。
本当は子供たちだってもう中学・高校ともなれば、自分が悪いときって
わかっているのではないでしょうか。
だから何かやりたい事が見つかれば目標に向かっていける、また、
見つからなくても学校で部活やら友達やら何か楽しみがあれば、
とりあえず勉強しとくか~ってなるものかもしれないなあ・・って思えてきました。
だから、教育のあり方・仕方にもっと工夫がほしいんですよね。
難しくても授業が面白かったり楽しかったりする先生っていたでしょう?
大好きだった科目が先生によってわからなくなって嫌いになったなんて経験ないですか?
私は大人になってからですが、
こんな本があればあのときもっと歴史に興味がもてただろうなあ・・とか、
数学の難しいものでも教える人によってあ~なるほど!と簡単に理解できたり、
また数学をマジックにも繋がるんだと言っていたマジシャンもいましたよ。
物理や化学でもほんのちょっとしたことで物凄く興味が湧く自分を見つけました。
みんな、TVでの授業やネットで仕入れた情報ですけれどもね。
実は私、中学までは勉強が嫌いでわからないことだらけでした。
何とか国語、古文だけは好きでまあまあ良かったですが他は全然でした。
だから、色んな先生がいらっしゃるんだなあ、あんな先生の授業受けてたら
もっと違った人生歩めたかもしれないなあって今更ながら思いました。
でも、めっちゃ真面目な生徒でしたから体罰などうけたことはありませんが・・(笑)
まあ、そんなわけで、
時代にあった体罰のあり方を今一度しっかりと考えるべきとき
が来たのだろう、情報化の進んだ生活仕様での教育のあり方、
今時の若者の考え方、社会においての大人の犯罪、
青少年の犯罪件数・種類などをも考慮して、もっと
仕組みから改革してほしいなあと望んでいる次第なのです。
ワタクシの中学時代の経験です。
体育の授業中、一人の生徒が靴のかかとを踏んでいました。(ワタクシたちの中学生時代のいわゆる不良少年の典型的スタイルです・笑)
先生がそれを注意しました。
生徒は無視しました。
先生が再度注意しました。
また生徒は無視しました。
先生が生徒の目の前に行き、靴をちゃんと履けと言いました。
生徒は「うるさいわ、オレの勝手やろ!」
先生は手を出しました。生徒は倒れました。先生はそこで蹴りを入れました。
当たり所が悪く、生徒は唇を数針縫うけがをしました。
翌日、小さい記事ですが「教師が生徒に暴力」と新聞に載りました。
今になって、あの時先生は手を出さずに口だけで諭すことができたのかな?と思うと、ワタクシは「NO」だったと思います。
先生がやったことは間違いなく体罰です。
いや、怪我をさせてしまったので暴力でしょう。
でも、あのまま先生が生徒と押し問答してたら授業は進んでたかな?
普通に体育の授業を楽しみにしていた他の生徒にとっては迷惑以上の何物でもありません。
かと言って、問題の生徒を先生が無視し続けるのは教育的どうだったのかな?
今のところのワタクシは今でも「体罰は時と場合によりけり」派です。
でも、難しいですよね~。
今のところ体罰アリ、ナシの判断および体罰か暴力かの線引きは「個人の感覚」だけですもんね。
最近毎日のように「体罰があった」なんて記事を見ます。
ほとんどの場合が部活の場でのものです。
少なくとも、部活動の場での体罰が必要かどうかと問われたら、ワタクシは「絶対NO!」だと思っています。
ここで手を出したのはやはり暴力ですね。
先生はここで無視をせず、
「そこまでいうなら怪我しても自分の責任だぞ!」
とその場は授業を進めたらよかったのかもしれません。
倒れた上、蹴りまで入れたのはただの怒りにしか移りません。
殴った時点で既に先生としても他の生徒に迷惑をかけたことになります。
そして、その時、殴られた生徒本人には腹立たしさしか残らなかったでしょう。
もし真面目だった私がその場にいたなら、内心あの先生怖いから
言う事を聞いておこう、という気にしかなれません。
先生の普段からの生徒への想いを感じていれば、
それでも良い先生だったとフォローするとは思いますが。
>今のところのワタクシは今でも「体罰は時と場合によりけり」派です
私は、「体罰は時と場合によりけり」では何も変わらないと思うようになりました。
人間が持つ感情は複雑な心境の如何で揺れ動くものだからです。
ひとつ間違えれば命にもかかわる危険きわまりない事に繋がるからです。
でも、部活動の場においてはえ~さんと同意見です。
勝つことよりも楽しめるものでなくてはならないと思っています。
コメント有難う御座いました。
ということをちょっと考えてみました(内心です)。
ガリ勉君:「ざまあみろ、いい気味~!こっちの勉強が遅れる、ホント迷惑だな。」
真面目君:「うわっ、この先生怖っ!これから逆らわんようにしよ~っと。」
普通君:「痛そう~、でも自分が悪いのよね。しゃあないかも。」
ちょい悪女子:「あ~あ、やっちゃった~!こりゃあセンコー、明日新聞沙汰だな面白~♪」
友達でない悪君:「あいつ、殴り返す度胸もないなら、さっさと出ていきゃあカッコイイのにな。」
友達:「可愛そうだけどあいつが悪いからしゃあないな。あ~あ、友達でいるのも親から文句いわれそうやなあ。」
良い子ちゃん:「先生(責められそうで)可愛そう~、あの子もいうこと聞いておけばいいのに。」
ざっと思いつくだけあげてみたけど、今の子の感覚は少し違うかもしれないけど、
まあその場に居合わせたらだいたいこんな感じじゃあないかなあ。
これで、この子達に将来よい意識が備わると思いますか?
たとえばもし教職者になったときの対応は、
やはりこの先生と同じような行動になるかもしれません。
そして同じようなことの繰り返しが行われるのです、今までがそうだったように!
今までの教育では「体罰=正当化した暴力」
の方程式もときには成り立っていたのではないでしょうか。
もちろん、すべてがそうだったとはいいませんが・・
見せない(隠された)治安法外聖域と化された学校内・団体の中で・・。
正当化した暴力は人の感情育成にかなりの影響があり、やはり暴力の一つでしかないと思います。
だから、仕組みから改革してほしいなあと望んでいるのです。
ちょっと思いついたので追加しました。
体罰がここまで問題になるのは、やはり現状「先生が理性を失って感情に任せて手を出している」からでしょうね。
ワタクシが中学生の時に目撃した先生の行動もまさにコレでしょう。
もう少し冷静になって考えれば手を出さずに済んだケースも多々あるでしょうね。
でも…。
いつだったか、小学生が悪さをして先生が注意をしたら「殴ってみろ。でも、殴ったらクビになるぞ!」と言ったと新聞に載っていましたね。
これじゃあ悪さする子供が野放し状態になり、学校が崩壊してしまいます。
だから手を出していいのか?と言われたら…返答に困りますけど。
この問題は語り出したらキリがありませんね~(笑)
またTVからの情報などから得た悪影響かもしれないですね。
あ、今はゲームなどの影響も侮れない。
廻りの環境によって子供って随分変わってくると思いますよ。
大人がまず変われば、子供も変わるものではないでしょうか。
「どんなに腹が立っても殴ったら負け!」
え~さんの時代はこんな言われ方しませんでしたか?
私たちはこういう教え方されたものなのよ。
先に手を出したほうが悪いという自戒するルールがありました。
これには目上の方が負けっていう意味もこめられているんじゃあないかな。
普通子供は目上に向かっては殴れないものだもの。
だから、「お前、アホちゃうか~、殴ったら負けやねんでぇ~。」
なあ~んてね、囃子ちゃうのがホントはいいらしいですよ。
囃子言葉って子供には喧嘩にならないアイテムなのよね。
「ばか!」
「バカいうもんが馬鹿やしぃ~♪」
「くそっ、腹立つ~!おまえのかあちゃんで~べそ♪」
なあんてね、最後はわけわかんないものではぐらかして逃げてくのョ(笑)
これが、結構いいみたいよ。だから昔はケンカも遊びのうちだったのよ。
こんな言われかたしたらなんとなく気分がほぐれちゃうでしょ。
帰って必ずお母さんのおへそ確認しちゃうのョ。
・・で次の時に「でべそちゃうわい!」(笑)
ホント、こんな遊びも少なくなりましたねぇ・・
再びのコメント有難う御座いました。