某日、小雨の降る中、滋賀県甲賀市の佐治神社を訪れました。
平安時代の康平五年、平業国が伊豆より来て佐治郷五箇村の領主となり佐治城を築きました。その子孫の小佐治氏(後の佐治氏)が元弘年間に至り、佐治荘三箇村の領主となり佐治城の鎮護社として小佐治大明神社を勧請した伝えられてます。
現存する棟札に「干時文明二庚寅年卯月十九日遷宮戊時大檀那佐治美作守平朝臣為氏建立」とあったことから、室町中期に領主の為氏によって再興され、佐治荘の総社として祀られたことが分かりました。
拝殿
本殿
御祭神は伊邪那岐命(いざなぎのみこと)、伊邪那美命(いざなみのみこと)、大穴牟遅神(おおなむぢのかみ)
業国が治めた小佐治、神保、隠岐、伊佐野、平野の佐治郷五箇村、今でも小佐治、神保、隠岐は字名として残ってます。
その子孫の佐治氏は甲賀武士団の中でも歴史が古く、六角氏の後ろ盾のもと、甲賀の強固な自治組織の一員として活躍しました。六角氏はその後、信長に敗れて没落し、佐治氏を含む甲賀武士団は尾張長久手の戦いで家康方に協力したという疑いによって時の天下人 秀吉に疎まれ、没落していく運命を辿りました・・・。
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