我が国のモータリゼーション、自動車の大衆化を牽引したご存知スバル360。
写真はスバル 360 K111型(1958年、日本)です。
航空機メーカーであった中島飛行機の技術を活かしたスバル360は軽自動車とは思えない広い室内スペースと快適な乗り心地を実現。
価格は42万円と当時としては高かったものの、まさに国民車として絶大な人気を博しました。
トヨタ パブリカ UP10型(1961年、日本)
トヨタが通商産業省の国民車構想に合わて発表したパブリ力は大衆向け実用車としての極めて合理的なフォーマットで企画、開発されましたが、当時は実用性だけでなく徐々に高級志向も強まっており、残念ながら世間のニーズを掴みきれず、商業的には失敗してしまいました
三菱500 A11型(1961年、日本)
こちらはその国民車構想に対応して新三菱重工(現三菱自動車工業)が発売した三菱500。
このクラスでは格安の39万円で売り出され、ほぼ国民車構想を満たしていたものの、低価格を実現するために内装やアクセサリーをかなり犠牲にしたようです。展示されていたA11型はその中でも性能や装備を向上させたスーパーデラックスグレードで、1961年8月に追加されたモデルだそうです。
過去にラリーニッポン2012に三菱500スーパーデラックスで出場していた俳優の唐沢寿明さんを見ました!
いすゞ ヒルマンミンクス PH300型(1960年、日本)
1953年(昭和28年)、いすゞはイギリスのルーツ社と技術提供を結び、ヒルマンミンクスの生産を開始。1964年(昭和39年)までの11年間で67,000台が生産されました。
国内ではスポーティな高性能車として人気があったそうです。
ヒルマンミンクスは旧車の中でも管理人的には好きなデザインで、トミカリミテッドヴィンテージモデルも持ってます。
ニッサン セドリック 30型(1960年、日本)
ライセンス生産していたオースチンA50ケンブリッジに変わり、純国産の中型乗用車の開発を目指し、オースチンの技術を取り入れながらも、にエンジンやシャシー、ボディー等全てを新しく設計して誕生した初代30型セドリック。
縦4灯のヘッドランプは当時かなりスタイリッシュだったことと思います。
71馬力で最高速度は130km/hという高速安定性を誇り、広く親しまれた車となりました。
つづく
過去記事<トヨタ博物館訪問記(4) 三輪自動車の世界>
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