六道珍皇寺を出て100mほど歩くと、西国十七番 六波羅蜜寺の碑がありました。
ちょっと寄ってみましょうかね
西国三十三箇所十七番札所 真言宗智山派 補陀落山 六波羅蜜寺(京都市東山区 大和大路上ル東)。
住宅街の中にあって、塀も鉄柵、古刹でありながら随分イメージが違ってました
過去記事<あの世の入口 六道珍皇寺>
踊り念仏で知られる空也が平安中期の天暦5年(951年)に造立した十一面観音を本尊とする道場に由来する寺院です。
空也は疫病が蔓延した当時の京都で、その観音像を車に乗せて引きながら歩き、念仏を唱え、病人に茶をふるまって多くの人を救ったと云われます。
願いを込めて石柱の輪を手前に3度回す一願石。
境内には鎌倉幕府による京の警備組織のようなものだった六波羅探題跡の碑もありました。
歴史の教科書にも載ってた空也上人立像はこの六波羅蜜寺にあったんですね。
空也が念仏を唱えると6体の仏が口から出てくるという面白い表現で、手に鐘を持ってることから、空也が疫病を抑えようと京の都を廻っている時の姿がモチーフになってます。
記憶にある画像だけのイメージだったものが 現場を訪れ、調べることで、点だったものが線になっていく・・・そんな瞬間が好きです
ただ、惜しむらくは時間が無かったこと、六波羅蜜寺の宝物殿見物はまたの機会にして西へと向かいます。
五条通(国道1号線)に出ました。ゴールに設定した京都駅まであと2kmです。
つづく
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