菅原院天満宮を後にして、烏丸通を北へ歩くと護王神社がありました。
護王神社は和気氏によって高尾山神護寺境内に作られた和気清麻呂を祀った護王善神社に始まりますが、正確な創建年代は分かっていません。
奈良時代末の神護景雲3年(769年)、当時権勢をふるっていた弓削道鏡は「道鏡を天皇にせよ」という九州宇佐八幡の御託宣があったとして天皇になろうと企みます。和気清麻呂は称徳天皇の命でその御託宣の真偽を確かめるため宇佐へ赴き、それが嘘であったことを報告。しかし、道鏡の怒りを買い、清麻呂は流罪にされてしまいます。。
護王神社は足腰にご利益があるとされ、門の上からも大きな足腰御守がぶら下がってました。
和気清麻呂は流刑になりながらも皇統を守ったとして、孝明天皇はその功績を讃え、嘉永4年(1851年)に護王善神社に祀られていた和気清麻呂に護王大明神の神号と正一位という最高位の神階を授けました。
明治19年(1886年)には明治天皇の勅命で京都御所蛤御門前の公家の中院家邸宅跡(現在地)に遷座させました。
和気清麻呂が配流された先で道鏡の送った刺客に暗殺されそうになった時、300頭のイノシシが現れて清麻呂を救ったという言い伝えから、この神社では狛犬ではなく狛猪になってます。
手水舎も龍じゃなくて霊猪
道鏡によって足の腱を切られて流された和気清麻呂でしたが、イノシシに救われてから傷が癒えて歩けるようになったことが足腰のご利益に繋がっています。
花手水ならぬ猪手水(笑)
立派な拝殿
本殿
管理人も坐骨神経痛持ちで足腰の痺れに悩まされているからしっかり拝んできました。
境内には様々なイノシシにまつわるものが置かれてます。
木に彫られたイノシシたちは何となくもののけ姫の世界観を感じさせます。。
このイノシシは可愛い
社務所の隣にずら~っと並んだ「いのししコレクション」が面白かった
鬼滅の刃で主人公の竈門炭治郎と同期の鬼殺隊剣士 嘴平伊之助グッズまでいのししコレクションに入ってるのには笑いました
つづく
過去記事<京都写ん歩 菅公の産湯>
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