2月
京都タワー(京都市下京区)
2月下旬、春から進学で一人暮らしをする息子のアパートを探しに大阪へ行った帰り、JR京都駅周辺をぶら散歩
息子は一人暮らしでウキウキ気分でしたが、やっぱ 親としては寂しいですね。。。
此付近 新選組最後の洛中屋敷跡
駅ビルの西側にあるホテルの前でこんな碑を見つけました。幕末史ファンにとっては嬉しい発見
新選組は慶応3年(1867年)に屯所を葛野郡不動堂村に新築し,それまで屯所としていた西本願寺集会所から移転しました。近藤勇の甥で隊士の宮川信吉の書簡や幹部の永倉新八の手記によれば、屯所は「七条堀川下ル」とあり、この付近にあったと考えられますが、正確な位置は分かっていないそうです。
浄土真宗本願寺派本山 龍谷山 本願寺(西本願寺)(京都市下京区)
境内の南側にある唐門は、西本願寺がこの地に移転した1591年に造られたとされ、桃山時代の豪華な装飾彫刻を施した檜皮葺き、唐破風の四脚門です。
見ていると日が暮れるのも忘れるほど美しいとの意味で、日暮門(ひぐらしもん)とも呼ばれているそうです。
ちょうど、夕方に訪れたから、その意味がよく分かりました
宝暦10年(1760年)に再建された阿弥陀堂(国宝)。
中央には阿弥陀如来木像が居られ、両脇に龍樹菩薩・天親菩薩・曇鸞大師・道綽禅師・善導大師・源信和尚の六師の影像、法然聖人と聖徳太子の影像を安置しています。
3月
息子の卒業式を終え、3月は引っ越しなども忙しく、今年は恒例のビワコホンモロコ釣りも行けませんでした。。
goo blogに移った2016年当時はまだ小学生だった息子も大学生になるとは、月日が経つのは早いものです。
中学3年から高校2年まではコロナ禍に翻弄され、何かと不自由な学校生活だったのが不憫でした。。
浄土宗三録山 唯称寺(滋賀県甲賀市)
唯称寺は2020年に日本遺産『忍びの里 伊賀・甲賀-リアル忍者を求めて-』の構成資産に追加登録されました。
境内の墓地には、甲賀百人組の与力だった山中福永をはじめ、百人組の山中組10士の墓もありました。
慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いの直前、伏見城で徳川方として戦い、多くの戦死者を出した甲賀衆(甲賀武士、甲賀忍者)。
その後、伏見城の戦いで討死した甲賀衆の子弟から与力十人、同心百人を集めた甲賀百人組が幕府お抱えの鉄砲隊となりました。江戸の千駄ヶ谷に組屋敷、権田原に鉄砲場を拝領し、江戸城大手三門の警備を担当したそうです。また、大坂の陣でも高性能の大砲を鋳造して功績を上げました。
息子と川で久しぶりのガサ
もしかしたら、これが一緒にガサできる最後の機会かもしれません。。。
管理人は全くの不発でしたが、息子の網には大きいドンコが入りました。
フキノトウ・・・春はすぐそこです。
新居を建てる際、旧宅の庭にあったジューンベリーとブルーベルーの樹を植木屋さんに預かっておいてもらいましたが、その樹を新居に再移植してもらいました。
庭に畑用の土も入れてもらったから、初夏になったら再び野菜栽培に励みましょうかね
つづく
過去記事<2024 お気楽行楽記総集編(3)>
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