カテゴリ<大阪城公園散策>
1か月ぶりに大阪城公園紹介シリーズを再開します。
今回は天守閣が聳え立つ本丸エリアを散策してみましょう
写真の大きな木は豊臣秀吉お手植えの樟(くすのき)。
とは言っても、明治維新の大火以降に枯株になっていたところに陸軍第四師団長の小川又次が植えたものだそうです。そもそも秀吉時代の大阪城の遺構はこの地下にあるので、秀吉が植えたということ自体が伝説ですね。
大阪城・上田城友好城郭提携記念碑
友好都市提携は聞くけど、友好城郭提携なんてのもあるんですね。
上田城は真田昌幸によって建てられた城で、その息子の真田信繁(幸村)は豊臣と徳川が激突した大阪城攻防戦(大阪冬の陣、夏の陣)で真田丸を築き、徳川軍と対峙したことで知られてます。
タイムカプセル
大阪城本丸跡地の一角にある白銀のモニュメントの下には大阪万博の年に毎日新聞社と松下電器(現パナソニック)主催で埋められたタイムカプセルがあります。
カプセルは上下に2個同じものが埋設されていて、上のものは2000年以降100年毎に内部の保存状態の点検が行われるそうで、実際2000年に掘り出されて点検されたそうです。
当時の小型家電品や電子部品、調味料などの食品をはじめ、当時の様々な写真、ハエや蚊の標本や女性用下着、車やバイクのミニチュア、茶道具、平凡パンチのグラビアなど計2,098点が当時最高の保存技術によって収納されてます。
最終的に開封されるのは5,000年後の西暦6970年なんだとか。。
未来人は5,000年前の物を見てどう思うんでしょうか ・・・ってことよりも、核戦争や環境破壊で人類が絶滅していないことを祈るばかりです。。
紀州御殿跡
本丸の南には明治18年から昭和22年まで和歌山城二の丸御殿から移築された建物がありました。
戦時中は新庁舎ができるまで旧陸軍第四師団庁舎としても使われ、終戦後はGHQの管轄下になったものの原因不明の火災で焼失してしまいました。。
本丸御殿跡
通常、城郭の中心部の本丸には天守閣のほか、政治を行うための御殿がありました。
幕末期には第14代将軍の徳川家茂が大阪城本丸御殿で長州征伐の指揮を取ったりしましたが、明治維新の動乱の中で焼失し、先に紹介した紀州御殿が明治18年に建てられました。
その紀州御殿の庭園だけが今も本丸の南西に残っています。
つづく
過去記事<【大阪城散策】徳川再築城の遺構>
よろしければ、応援クリックお願いします!
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます