いいもの見ぃ~つけた!

「いいもの」は探せばいっぱいあります。独断と偏見による個人的「いいもの」情報発信所です。

<おせち> 熊本 辛子れんこん

2024-02-18 09:33:22 | おせち

 「辛子れんこん-からし蓮根」

 主な伝承地域 熊本地域

 主な使用食材 れんこん、味噌、粉からし、油

 歴史・由来・関連行事
熊本県は、全国的にも上位の生産量を誇るれんこんの産地。中でも細川藩の天保年間に新田開発された宇城地方は今も主産地として栽培が盛んである。
 からしれんこんは、細川藩と縁のある料理として知られる。寛永九年(1632年)、肥後細川家初代藩主忠利公は、日頃から体が病弱で、心配した羅漢寺の玄宅和尚は「何か栄養のあるものを」と苦心して探していたところ、当時の熊本県は沼地が多く、至るところに蓮が繁茂しており、れんこんには増血効能があることを和漢の書で知った。熊本城の外堀には加藤清正が非常食用にと植えていた蓮があったのでこれを食べさせようとしたが、忠利公はれんこんは「泥の中で育った不浄なもの。」として決して箸をつけようとはしなかった。そこで、味噌と和からしを混ぜ合わせたものをれんこんの穴に詰め、小麦粉、空豆粉、卵の黄身の衣をつけて油で揚げた。ピリッとした辛さが効いたのか、気に入って常食される程になると、病弱だった忠利公は食欲も増し、みるみる剛健になられた…というのが「からし蓮根」の由来である。また、輪切りにしたれんこんの外観が細川家の家紋、九曜(くよう)の紋に似ている事もあって、忠利公は「からし蓮根」の製造方法を秘伝とし、明治維新まで門外不出の味だった。これが、今でも「からし蓮根」が全国で唯一熊本県でしかつくられない由縁でもある。

 食習の機会や時季
 普段の食事の惣菜や酒のつまみとして食べられる。また、正月にはおせち料理の一品として欠かせない食べ物となっている。

 飲食方法
 基本的には九曜紋が見えるように5mmから10mmの厚さに切り、そのまま食べる。好みで醤油やマヨネーズをつけて食べる家庭もある。最近ではコロッケにしたり、サンドイッチやハンバーガーなどパンに挟んで食べる工夫も見られる。からしはマスタードに近いので、パンとも好相性だという。

 保存・継承の取組 (伝承者の概要、保存会、SNSの活用、商品化等現代的な取組等について)
専門店だけでなく、地元のスーパーマーケットや物産館などでも売られている。郷土料理店はもちろん、和食屋や居酒屋のメニューに並んでいることも多い。全国有数のれんこんの産地であるため、県内の契約農家のものを使用している店も多く、中には自ら栽培を行う専門店もある。

*https://www.maff.go.jp/j/keikaku/syokubunka/k_ryouri/search_menu/menu/karashi_renkon_kumamoto.html より

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<おせち> 長崎 クジラ(湯びき、なます)

2024-02-17 08:49:11 | おせち

 「クジラ(湯びき、なます)」

 長崎と鯨 更新日:2022年10月17日 ページID:005681

 長崎県下では、平戸市のつぐめの鼻遺跡から鯨の捕獲や解体に使った石器や、対馬市の佐賀貝塚から鯨の骨で作った道具が出土するなど、鯨との関係は縄文時代から始まっています。
 江戸時代の長崎県下は、当時の古式捕鯨の中心地であり、壱岐、対馬、五島、平戸の各地に漁場が点在し、多くの鯨組(捕鯨を行う組織)が操業していました。捕鯨業は江戸時代最大の産業であり、沿岸住民に多くの雇用を生み出したため、「くじら一頭で七浦が潤う」と言われる程でした。
 長崎市における近代捕鯨の歴史は、明治30年長崎市在住の英国人貿易商F・リンガーらが英・露人組合を結成し、捕鯨を行ったのを始めとし、その後も松森栄三郎、山野辺左右吉、林包明、原信一、吉田増太郎らが、組織を作って五島近海等で捕鯨を行っておりました。
 鯨は地域経済を潤すだけでなく、祭りや食文化など、長崎市民の生活に密着したもので、長崎くんちの万屋町「鯨の潮吹き」、郷(さと)くんちの小ヶ倉町「鯨舟」などが有名で、今なお伝統的に受け継がれています。
 また、鯨重(鯨の料理を揃えたおせち料理を入れた重箱)や鯨雑煮、鯨皮のなますなど、独自の食文化を継承しています。

*https://www.city.nagasaki.lg.jp/jigyo/370000/371000/p005681.html より

 

 おせち料理のそれぞれにこめられた願い
 おせち料理の起源は、季節の変り目としての「節」に、神にお供えものをし、宴を開く宮中行事で食された料理だといわれています。この料理のことを「お節供料理」と呼んでいたそうですが、時代が下り、お節供料理が庶民にも広がるようになると、一番重要な節句であるお正月という「節」にいただく祝いの料理として定着したのが現在のおせち料理だとのこと。
 五穀豊穣、子孫繁栄、家族の安全と健康などの祈りを込めて、山海の幸を盛り込んで作るお料理、食材の数々は、それぞれ意味があります。

 たとえば、
 ・達者(マメ)に働けるように「黒豆」
 ・形状が初日の出の形に似ている「かまぼこ」
 ・金銀財宝を意味しており金運を願った「きんとん」
 ・見通しがきくという意味の「レンコン」
 ・子孫繁栄を願う「数の子」
 などなど。
 長崎では、くじらやなまこも縁起もの
 これらの定番料理は、日本各地、それほど変わらずに作られている料理だと思いますが、これに加えて、長崎のお正月料理に欠かせない食材として、「くじら」と「なまこ」があります。
 他県で生活している家族が帰省した時に、これがあれば、「長崎に帰ってきた!」と実感できるといいます。

 江戸時代、九州エリアの鯨は長崎県東彼杵(ひがしそのぎ)の港に水揚げされ、そこで解体されたものが九州各地へと運ばれたそうですが、距離が近い長崎市には、鮮度が高い状態で届くうえ、裕福な商人が多い街だったので、高級な部位が入ってくる。そのため、 長崎では 「鯨は旨い」という認識が広がり、他の地域では見られぬほど鯨食文化が根付いたといわれています。今でも、日本一、くじらの消費量が多い県だそうで、結婚式などのお祝い善に登場することも。

 お正月料理には、くじらのように「太く長く生き抜く」ようにと、
 ・焼き上がった姿が末広がりになる畝須(うねす)=腹の部分
 ・くじらの腸のように長く生きするように、百尋(ひゃくひろ)=小腸を、ポン酢などで食します。

 「なまこ」は、形状が米俵に似ていることから、豊作を願うという意味でおせち料理の一品とされます。旬でもあるお正月になまこを食べる海に近い土地は、ほかにもあるようです。長崎では、江戸時代、俵子(とーらご)と呼んで、街に漁商が売りにくるのを「正月から米俵を買う」という縁起物として、人々に喜ばれていたようです。

 おせちのお重がなくても、手作りの数品、もしくは買ってきた品でも、料理や食材に意味があることを、みなさんで話題にしながら、新年の食卓を囲んでみてはいかかでしょうか?
 家族の健康と安全を祈りつつ。

*https://tenki.jp/suppl/ecy_inue/2015/01/03/1121.html より

 

 

 

長崎は食べ物がおいしくて名物が多い! これ、今や全国でも常識中の常識。豊かな海と山に囲まれた地形から、その素材そのものの味はもちろんのこと、地域によって、それら上質の素材を活かした郷土料理が育まれてきた。また、古くから海外との交流を続けてきた特異の歴史を持つ長崎には、異国の薫り漂う名物も多い。長崎の町に受け継がれる歴史の「味」の魅力に迫る。


ズバリ!今回のテーマは
「知ると深まる“謎”にスポット!」なのだ


 

 「周囲に広がる大海の恵み、鯨料理」

 長年、長崎には「鯨」を食す文化がある。それは、古くから周囲の海で捕鯨が盛んに行なわれていたことを意味する。江戸時代、大村湾の東側に位置する「彼杵(そのぎ)」は、長崎街道の宿場町と共に、捕鯨集散基地として栄えた町。平戸街道とも交わる要衝だったことから、平戸、生月、五島で捕れた鯨が彼杵に水揚げされ、ここから各地へ仕分けされていった。長崎の町へは、彼杵港から船で時津港へ渡り、浦上街道を通って移送された。

 戦後の食糧難時代、タンパク質や脂質満点の栄養源として全国各地で食べられたのは「鯨のカツレツ」や赤い「ベーコン」、そして「赤身の大和煮」だった。現在は、調査捕鯨の副産物として陸揚げされた鯨のみが市場に出回る。その都道府県別推計消費量は、なんと長崎が全国一位!一年間に一人当たり177.4gも食べているという。長崎では、兼ねてから事あるごとに鯨料理が食べられてきた。お正月は「鯨の刺身盛り合わせ」。茂木、式見、土井首地区では「鯨雑煮」を食べる習慣が今も残る。節分には皮の部分をなますに入れ、帰省する親戚や子どもらに食べさせようと、暑いお盆の最中の食卓にも鯨料理。秋の大祭、長崎くんちの「くんち料理」にも鯨が登場する。家庭料理の定番は、皮や、薄切り肉を使う「鯨じゃが」。最近では「鯨カツ」も再ブームとなっている。

 臭みや独特の脂が苦手!と、鯨料理に無関心な方も多いが、おおかたの長崎人は、とにもかくにも、鯨が大好き。それは味だけではなく、鯨文化そのものにも由来しているのだろう。

 鯨料理の謎●長崎人が食べるのは鯨のどの部位?

 彼杵で仕分けされた鯨肉は、そこから陸路で佐賀や福岡へ、または大村、諌早、島原へも運ばれた。しかし、実は各地に運ばれる部位は様々だったという。というわけで、土地によって、様々な鯨料理が誕生した。そこで、天領だった長崎へは、最上級の部位が運ばれていた。長崎市内の人は真っ白で脂がのりに乗った「畝(うね)」を好んだ。ベーコンや末広に加工される、鯨の下あごから腹にかけての部分の硬い「スノコ」を除いた部位だ。ちなみに、鯨のおいしさを知り尽くした彼杵の鯨商人達は、「棒嘴(ぼうはし)」と呼ばれる下唇を好み、現在でも「棒嘴」の最大消費地だという。また、その隣町である千綿(現東彼杵町)には、胴体と手羽とをつなぐ「伝胴(でんどう)」という潤滑油の塊を使った郷土料理が残っている。大村、諌早へは畝須が、島原方面には尾っぽの部分の「尾羽(おば)」が運ばれた。当時の政治や移送手段によって各地で食べる部位が違っていたとは、まさしく「鯨文化」と呼ぶにふさわしい話だ。

 日本に初めて伝わった西洋の味、南蛮料理

 長崎港開港のきっかけとなった、ポルトガル人やスペイン人達との南蛮貿易。時代を追っていくと、まず初めに登場する我が国初期の西洋料理は、彼ら「南蛮人」が伝えた「南蛮料理」。パンを常食に葡萄酒を飲み、日本では家畜だった牛や豚などを食す、珍しくも贅沢な食文化の訪れだった。それは食材だけでなく調理法においてもしかり。長崎の伝統料理の定番には、そんな、どこか異国のエッセンスが効いている。

 食べたことはなくとも、聞いたことはある「ヒカド、ヒロウズ、フルカデール、ゴウレン」などなどがそれにあたる。その料理名の響きからして異国の料理。実はパン同様、語源はポルトガル語やスペイン語なのだ。

 「ヒカド」は、ポルトガル語の「Picado」「細かく刻む・調理する」という言葉が由来。さつまいもをすりおろして、とろみをつけた具だくさんのスープだ。

 「ヒロウズ」は、ポルトガル語の「Fillos」からきている。江戸時代、江戸にも伝えられ「飛竜頭」→「がんもどき」となった。初期のヒロウズは、ポルトガルの菓子として記され「小麦粉をこね油であげ蜜をつけて食べる」と説明されているそうだ。しかし、いつ頃からか長崎では小麦粉のかわりに豆腐をすり、その中に牛房、椎茸、木耳(きくらげ)、銀杏(ぎんなん)などを刻み入れ、薄味をつけ油で揚げた精進料理「ヒロス」となっていた。

 「フルカデール」は、今は「牛かん」の名で親しまれる一品。見た目は小判型の和風ハンバーグ。牛挽肉を団子にし、油で揚げた後に出汁で煮込む。

 「ゴウレン」とは鶏肉や白身魚などの具に味付けをして揚げたもの。これは、日本人の大好物!唐揚げの原型だともいわれている。

 これらと同様、ルーツが南蛮料理と聞いて最も驚くのが、ほんのり甘い衣をまとい、塩もつゆも付けるなく戴け、冷めてもおいしい「長崎天ぷら」。この「天ぷら」も、もともとの語源はポルトガル語の「temperar」(動詞で「調味料を加える」「油を使用して硬くする」の意)や、ポルトガル語またはスペイン語の 「templo」(寺院の意)などから転じたといわれているのだ。今や世界においても、寿司、すきやきと並び、日本料理の代名詞となっている天ぷらが、まさかの海外発信だったとは! しかし、17世紀にポルトガルから伝わった天ぷらも今や多様な広がりを見せ、当時とは別物の日本オリジナルとなったということだろう。確かなことは、水なしの小麦粉・卵・日本酒で作った衣のフリッタータイプの「長崎天ぷら」は、南蛮人直伝!日本料理・天ぷらの原型だったということ。

 こう見てみると、料理の過程で油で揚げている料理が多い。つまり、衣があってもなくても、油で揚げたところが南蛮風ということ? ちなみにキリシタンの里「浦上村」で、ポルトガル人の宣教師は信徒たちに"肉を食べる"という習慣を伝えた。 それを知った村の人たちは、長崎人の味に合うように豚肉を油炒めにした料理「浦上そぼろ」を考案。「そぼろ」とは方言で千切りの油炒めのことだという。 

 南蛮料理の謎●「南蛮」って何?

 「南蛮」といえば、料理名に「南蛮」が付く料理も気になる存在。
 例えば、「鴨南蛮」。これは、長崎名物というわけではないが、ポルトガル人の食事にネギが多く使われていたため、ネギを使った料理に「南蛮」がつくようになったという。 また、唐から伝わったといわれる唐辛子の渡来経路は、実は南蛮船だったことから、南蛮辛子または、単に南蛮とも呼ばれ、唐辛子を使った料理に「南蛮」がつくこともある。 「南蛮漬け」もしかり。南蛮漬けには、南蛮酢が使われるが、この南蛮酢には唐辛子が入っているのだ。(中国の料理法という説もある)
 そう考えると「チキン南蛮」は、チキンを油で揚げ、さらに南蛮酢にサッと浸すというWの南蛮技が効いているということになる。

 長崎のお正月料理に欠かせない「紅さしの南蛮漬け」は長崎きっての伝統料理。
 紅さしは長崎の方言で、一般には「ヒメジ」と呼ばれる体調15cm前後の小魚で、その名の通りめでたい紅色をしていることから、南蛮漬けにしておせちの一品として伝承されている。とはいっても、家庭で作る人も減り、12月にもなると、魚屋さんが南蛮漬けにして店頭で販売しているのを、重宝がって購入する人も増えたようだ。なにはともあれ「南蛮料理」は長崎に息づいているということだ。

*https://www.city.nagasaki.lg.jp/nagazine/hakken0910/index.html より

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<おせち> 佐賀 アラ料理

2024-02-16 08:27:10 | おせち

 「アラ料理」

 “アラ”とはクエのこと。正月のころが脂がのっていて最もおいしく、頭から内臓、尾まで、捨てるところのない珍味として尊ばれている。刺身や湯びき、鍋ものにして食す。

*https://www.kibun.co.jp/knowledge/shogatsu/database/2010local/index.html より

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<おせち> 福岡  ブリ(刺身、塩焼き、照焼き)

2024-02-15 08:28:58 | おせち

 「ブリ(刺身、塩焼き、照焼き)」

 正月にはブリ
 成長するにつれ呼び名が変わる、出世魚として縁起がよい魚がブリ

 福岡で正月といったら、必ずといっていいほどブリが出てくる。ブリは、ヤズ、ハマチ、ブリと成長するにつれ呼び名が変わる。出世魚として縁起がよい魚として大切に扱われ、正月などめでたい席には欠かせない。ブリの旬は11月から2月ごろとされ、12月から1月にかけては、特に脂がのっているそうだ。

 また、「嫁ブリ」という風習があるという。初めて正月を迎えるお嫁さんの実家に、感謝の気持ちを込めて、ブリを届けるという。「よか嫁さんブリ」から「嫁ブリ」と言われるようになったそうだ。昔ながらの風習には、心温まるものが多い。

*http://ginjoka.com/sake-style/buri/ より

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<おせち> 高知 高野巻

2024-02-14 08:51:23 | おせち

 「高野巻」

 含め煮にした高野豆腐のなかに、魚のすり身をはさんだもの。

*https://www.kibun.co.jp/knowledge/shogatsu/database/2010local/index.html より

 う~ん・・・これ以外不明。

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<おせち> 高知 サバの姿ずし

2024-02-13 08:26:20 | おせち

 「サバの姿ずし」

 主な伝承地域 県内全域

 主な使用食材 サバ、各種魚、米、生姜、ごま

 歴史・由来・関連行事
 県内全域の食習慣として根づき、冠婚葬祭や神事に欠かせない「皿鉢(さわち・さはち)料理」。「皿鉢料理」は、土佐弁で宴会のことを指す「おきゃく」の際に振る舞われ、36cm~39cm位の大皿にごちそうが盛り付けられる。その「皿鉢料理」の定番といえるのが、「さばの姿ずし」である。新鮮なサバを背開きにして酢でしめられており、なかには酢飯が、ぎっしり詰められている。すしを中心に据えて、切り取った頭と尾の部分を豪快に盛り付けるのを正調としている。また、サバを使用したすしとしては「さばの押しずし」も、もてなしの席に並ぶ。高知県では魚を姿のまま調理する料理が多いのも特徴である。
 京都府の「さばずし」も全国的に有名だが、甘めな味付けの京都府に対して、高知県では酢と塩をきかせている。この味付けの違いは、使っているサバの種類が関係している。京都府で使われるマサバは脂が多く、高知県でよくとれるゴマサバはマサバほど、こってりしていない。この差が味付けにも現れている。
 「皿鉢料理」を出すほどでもないこぢんまりした会には、甘ダイやアジ、カマスなどの姿ずしが出された。「ひめいち(ホウライヒメジ)の姿ずし」は、日常食。食堂などで稲荷ずしとともに総菜としてよく売られていた。

 食習の機会や時季
 祭りや正月など祝いの席の料理に振る舞われる。かつて、「皿鉢料理」の魚をさばくのは集落の男性の仕事だった。
 サバは日常食材のため、新鮮なものは刺身で食べたり、煮魚や焼き魚として食べられる。

 飲食方法
 ボリュームのある「さばの姿ずし」だが、残ったサバの頭や尾は翌日に焼いて食べる。
 地域によってさまざまなつくり方が存在する。新鮮なサバを背開きにし、全体に振り塩をし半日から1日冷蔵する。塩が馴染んだら、さらに酢に半日ほど浸しておき、酢飯を詰める。酢飯に使われる酢は、柚子酢や米酢など地域によってさまざま。酢飯を詰め終わったらフキンでおさえて、かたちを整え、食べやすい大きさに切る。最後に頭と尾を立てればできあがり。
 1日ほど置くと、味が馴染みより美味しく食べることができるとのこと。高知のすし飯にはしょうがとごまが入っているのが特徴である。

 保存・継承の取組(伝承者の概要、保存会、SNSの活用、商品化等現代的な取組等について)
 現在でも正月などのハレの日のごちそうとして食べられている。手間がかかるため家庭でつくられることは減ったが、仕出し屋や飲食店で提供されている。 平成30年(2018年)、官民連携による「土佐ずしを盛り上げる会」が発足された。同会は、「さばの姿ずし」や「田舎ずし」などの高知県ならではのすし文化を県内外に発信。魅力を伝え、普及・保存に取り組んでいる。

*https://www.maff.go.jp/j/keikaku/syokubunka/k_ryouri/search_menu/menu/sabanosugatazushi_kochi.html より

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<おせち> 高知 皿鉢料理

2024-02-12 15:49:02 | おせち

 「皿鉢料理(さわち・さはちりょうり)」

 主な伝承地域 県内全域

 主な使用食材 すし、かつおのたたき、刺身、煮物、揚げ物など

 歴史・由来・関連行事
 高知県の代表的な食文化といえば「皿鉢料理」である。特定の料理名ではなく料理の様式のことを指し、36cmから39cmの大皿に高知県の恵まれた自然が生む山の幸、海の幸が贅沢に盛り付けられる。皿鉢に盛られる料理の種類はさまざまである。刺身や「かつおのたたき」などの旬の生ものの皿鉢、「姿ずし」や「田舎ずし」などのすしの皿鉢、組物と呼ばれる、すしと煮物、和え物、揚げ物、甘い物、果物などを盛りつけた皿鉢、そのほかに「蒸し鯛」やそうめん、ぜんざいといった一品盛りの皿鉢がある。
 高知県は客を招いて宴会を催すことを「おきゃく」と呼び、いまも「おきゃく」文化が根づいている。その「おきゃく」で振る舞われるのが「皿鉢料理」である。「皿鉢料理」は一皿三人前ほどのボリュームでつくられ、皿鉢の料理が減ると補充される。皿鉢の枚数で「おきゃく」の規模がわかる。
 「皿鉢料理」の起源は藩政時代にまでさかのぼる。武家の供宴の終わりに大皿に盛った料理が提供され、やがて明治以降になってから「おきゃく」料理として全域に普及したとされている。「皿鉢料理」は社会的地位を示す象徴でもあった。裕福な家庭では伊万里や九谷、有田焼などの高価な大皿を取り揃え、杯台や物据え(大皿を据える塗り物の台)といった付属品も蔵に所蔵していた。

 食習の機会や時季
 日常食ではなく、冠婚葬祭や出生祝い、還暦祝い、節句、新築祝いなど様々なハレの行事や客をもてなす際に提供される。料理は男性が魚を捌き、女性は煮炊きを担当する。下ごしらえに時間を要するため、つくるのに2日間かけるときもあるという。
 昔の農村には、農作業を共同でおこなう「結(ゆい)」と呼ばれる集団が組織されていた。結は、さらに「汁組」という小グループに分かれ、「おきゃく」があれば、協力して調理、配膳、片付けまでを手伝った。その中には素人ではあったが「器用料理人」と呼ばれる腕に覚えのある人たちがいた。「あの家のすしは上手い」「たたきといえば、あの家のオヤジ」など地元民たちは、その腕を評定し合っていたという。

 飲食方法
 大皿に盛られた料理を大勢で囲み、各々で小皿に取り分けて食べる。好きな食べ物を自由に取って食べられるので「おきゃく」には欠かせない料理になっている。

 保存・継承の取組(伝承者の概要、保存会、SNSの活用、商品化等現代的な取組等について)
 時代を追うにしたがって、汁組のような集団は村から姿を消していった。一方、高度経済成長を迎えた昭和30年代(1950年後半)ごろから、各地に「皿鉢料理」を提供する仕出し屋が増えていった。それにともない、料理の規模も大きくなり、盛り付けもより豪華になっていった。生や組物が中心に構成されるのは古くから変わりないが、近年はローストビーフやエビフライなどの洋風の料理を取り入れることも少なくない。
 高知県内の飲食店では、少人数用の「皿鉢料理」も提供している。

*https://www.maff.go.jp/j/keikaku/syokubunka/k_ryouri/search_menu/menu/sawachiryori_kochi.html より

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<おせち> 愛媛 ひのかぶら漬

2024-02-11 10:17:08 | おせち

 「ひのかぶら漬-緋の蕪漬/緋のかぶ漬」

 主な伝承地域 松山地域

 主な使用食材 緋のかぶ、だいだい酢、砂糖

 歴史・由来・関連行事
 愛媛県の民謡伊予節にもでてくる伝統野菜、緋色のかぶの漬け物であり、ダイダイ酢の香りと甘酸っぱい味付けと風味は、深みのある上品な仕上がりである。歴史的に見ると300余年前、蒲生忠知が松山に転封になった際に先祖の地、近江国蒲生郡日野産のかぶを移植したのが始まりで、原種であるこの「近江の日野菜かぶ」が松山の地に適して改良され、名物になった。
 鮮やかな緋色の発色は、かぶに含まれる色素のアントシアニンが酢に反応することで得られる。愛媛ゆかりの俳人 正岡子規も、「緋の蕪や膳のまわりも春景色」とこの漬物を俳句に詠んでいる。多くの人に好まれ、故郷を離れて暮らす人の郷愁を誘う漬物である。

 食習の機会や時季
 松山地域独自の漬物「緋の蕪漬」は、おせち料理には欠かせない食材のひとつで、各家庭で漬けられてきた。かぶの緋色が冴えていると、その年はよい年になる、という言い伝えがあり、今も縁起ものとして愛されている。特に初物の赤色が冴えていると、今年は縁起がよいと喜ぶ風習もある。

 飲食方法
 かぶは、きれいに洗い皮をむきたっぷりの水に一晩つけアク抜きをする。アク抜きしたかぶを輪切りにして塩漬けし、4、5日位おく。だいだいを輪切りにし、しぼり酢をつくる。しぼり酢に砂糖を合わせかぶを漬け込む。1週間位すると味が馴染み美味しくなっている。好みの大きさに切って食べてもよいし、千切りにしてサラダのトッピングにしたり、刻んでごはんに混ぜてもよい。酸味が苦手な人は、醤油をかけると味がまろやかになって、コクが加わる。

 保存・継承の取組(伝承者の概要、保存会、SNSの活用、商品化等現代的な取組等について)
 松山名産の土産物、お歳暮品として、食べ頃の年末にはその需要は高く、家庭用にはパック詰めが喜ばれている。学校給食のメニューにも登場している。

*https://www.maff.go.jp/j/keikaku/syokubunka/k_ryouri/search_menu/menu/hino_kabura_zuke_ehime.html より

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<おせち> 愛媛 寒天よせ

2024-02-10 08:19:29 | おせち

 「寒天よせ」

 しょうゆが入った甘辛い味つけで、錦糸玉子と季節の野菜が入る。天草の産地だったこともあり、祝いの席で広く食べられるようになった。

*https://www.kibun.co.jp/knowledge/shogatsu/database/2010local/index.html より

 「天草-てんぐさ」

 てんぐさの品質、産地

 てんぐさはほぼ全国で採れるが、一般的には太平洋岸の方が量が多く品質も良いとされ、更に、磯に近く波が常に荒いところのものが良いとされる。沖の、あまり流れのない深いところのものは草丈は高いが細く、ところてんにすると粘りが少なく物足りない。 また、波にもまれてちぎれて流れてくるものより、直接潜って採ったもののほうが上質である。
 採取時期は、5月から6月の春ものの方が、夏に入って採るものよりも、ところてんにしたときに粘りがあってよいとされている。
 近年テングサは、韓国、北朝鮮、中国、チリ、モロッコ、ポルトガル方面から年間約1000トンほど輸入されている。品質は国内産の方が良く、輸入物は主に寒天製造用に使われる。

*https://www.tengusa.jp/infomation/tengusa.html より

 天草の生産量は、静岡県に次いで愛媛県は全国2位。

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<おせち> 愛媛 じゃこ天

2024-02-09 08:21:15 | おせち

 「じゃこ天」

 主な伝承地域 南予地方

 主な使用食材 小魚、卵、揚げ油

 歴史・由来・関連行事
 宇和海から豊富な魚がとれる八幡浜市や、宇和島市などでは、魚の加工品づくりが盛んで、その代表的なものに「じゃこ天」がある。昔から宇和島では、魚のすり身の揚げ物を「天ぷら」といい、じゃこ天のように皮や骨ごと入ったものを「皮天ぷら」と呼んでいる。底引き網でとれたいろいろな種類の魚(雑魚)でつくられていたため、「ざこ天」と名付けられ、それが変化して「じゃこ天」になったという説や、原料のはらんぼ(ほたるじゃこ)に由来して「じゃこ天」と呼ばれるようになったという説もある。製品自体の始まりは、宇和島藩史によれば、元和元年(1615年)に宇和島藩初代藩主の伊達秀宗が故郷を偲んで仙台から蒲鉾職人を連れてきてつくらせたことによるといわれている。

 食習の機会や時季
 料理のバリエーションがたいへん多く時期は問わず、年間を通してよく食べられている。特に、南予地方では、日々の食卓に欠かせないものとなっている。おかずの一品のほか、酒の肴としても好まれている。

 飲食方法
 小魚の身だけでなく皮や骨もすり潰し、小麦粉、卵、塩を加え堅めに混ぜたら、小判上に形を整え油で揚げる。魚が骨ごと入っているため、カルシウムやミネラルなど栄養満点。揚げたてをそのまま食べるほか、火を通して醤油を落とした大根おろし、しょうがと付け合せるなどの食べ方がある。宇和島市のおでんには必ずといっていいほど、「じゃこ天」が入っている。また、肉の代わりに「じゃこ天」を使った天ぷらカレーは、じゃこ天産地の家庭料理としてもメジャーである。うどんの具にしたり、すり身のじゃこ天にパン粉を付けて油で揚げ、「じゃこ天カツ」にすることもある。

 保存・継承の取組(伝承者の概要、保存会、SNSの活用、商品化等現代的な取組等について)
 宇和島市の蒲鉾協同組合では、じゃこ天が購入できるマップを公開しているほか、じゃこ天の食べ方や歴史なども公開し、普及につとめている。

*https://www.maff.go.jp/j/keikaku/syokubunka/k_ryouri/search_menu/menu/jakoten_ehime.html より

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