某地方都市の「副市長」がやらかした「地元有力者」に対する便宜問題。
「地元有力者」の秘書から再三にわたる「依頼」に対して、毅然とした態度がとれなかった副市長。そして、ルールを違反して「依頼」を承諾。副市長の権限で段取りした「行政の体制」にも問題がある。
やはり「地方自治体」はまだまだ「昭和」なのねw
某地方都市の「副市長」がやらかした「地元有力者」に対する便宜問題。
「地元有力者」の秘書から再三にわたる「依頼」に対して、毅然とした態度がとれなかった副市長。そして、ルールを違反して「依頼」を承諾。副市長の権限で段取りした「行政の体制」にも問題がある。
やはり「地方自治体」はまだまだ「昭和」なのねw
「桃薫」
■桃薫/とうくんとは?
●桃のような甘い香りのいちご
「桃薫」は、(独)食品産業技術総合研究機構野菜茶業研究所と北海道農業研究センターが共同で育成した品種で、「カレンベリー」と野生種を交配して得られた艶のある系統に、「とよのか」に、桃のような香りの野生種を交配して生まれた、香りが良い「久留米IH1号」を交配し、生まれたものから選抜育成されたとされています。2009(平成21)年に登録出願され、2011(平成23)年に品種登録された新しい品種です。
淡い桃のような色合いと、華やかな桃やココナッツの香りが強く、一般的ないちごとは一線を画する品種となっています。
桃薫/とうくん<イチゴ
桃薫(とうくん)という名称は、『桃のような甘く芳醇な香りが隅々まで漂う(薫る)様子をイメージし、各地に広く普及していくことを願って命名された』となっています。
●桃薫(とうくん)の特徴
桃薫(とうくん)の果実の大きさはやや大きめとされ、形は縦横比が同じくらいの円錐形です。表皮の色は完熟してもとても淡い桃白で、真っ赤ないちごのイメージとは違います。
そう果(種のようなもの)のくぼみが一般的なイチゴに比べかなり深く、イチゴの表面が凸凹している感じです。
桃薫/とうくん<イチゴ
そして何よりの特徴である香りですが、『桃やココナツ、カラメルのような香り成分が多く含まれている』とされているように確かにこのイチゴから立ち上る華やかで芳醇な香りは普通のイチゴフレーバーとは全くといっていいほど違います。
桃薫(とうくん)の果肉は果皮近くから真に至るまで真っ白で、柔らかくジューシです。味的には特別甘いと言う程ではありませんが、柔らかな酸味と、それを包み込むほどに十分な甘さを感じます。
桃薫/とうくん<イチゴ
農林水産省の品種登録データベースには以下の通り記載されています。
『-----
果実の大きさは大、果実の縦横比は同等、果実の形は円錐形、
果皮の色は桃白、果実の光沢の強弱は中、そう果の落ち込みは落ち込む、
果実のがく片の付き方は水平、果径に対するがく片の大きさはやや小、
果実の硬さは軟、果肉の色は白、果心の色は白、果実の空洞は中、
季性は一季成りである。
-----』以上、抜粋
■桃薫(とうくん)主な産地と旬
●主な産地と生産量
(独)食品産業技術総合研究機構のサイトによると、桃薫は現在、長崎県や茨城県などで生産されているそうです。苗は市販されているほか、ネットでも購入することが出来、それ以外の各地でも栽培されているようですが、まだまだ生産量は少なく、注文生産を中心にしている農家も多いようで、一般のスーパーなどで見かけることはありません。
また、特徴がある品種なので、各地でブランド化も進められているようです。
長野県軽井沢では「軽井沢貴婦人」として、北海道北斗市では「もものか」という名称で出荷されています。
●桃薫(とうくん)の収穫時期と旬
桃薫の株は生育が旺盛で、収穫開始時期は遅めですが、春までの全期間の収量は多く、収量性に優れているとされています。収穫は12月下旬頃から始まり、軽井沢などで行われている栽培方法では8月頃まで収穫できるようです。
とは言うものの、やはり食べ頃の旬の時期は2~4月頃となります。
独立行政法人農業・食品産業技術総合研究機構が桃薫の栽培や利用に関する手引き書をWebで公開しています。
*https://foodslink.jp/syokuzaihyakka/syun/fruit/Strawberry-Toukun.htm より
「政治資金パーティー」ではなく「政治資金集金集会」?
都内ホテルで行われた「政治家-参議院議員」の資金集めに、発起人となったのが「日本医師会の会長」。
ホテル側と「十分な対策」をとったとはいうが、「まん防」期間中。
「日本医師会の幹部」も10数名参加しているし・・・
「コロナ対策」で「国民に対して」提言をしている立場にあるにも関わらず、「不要不急でもない」政治家の資金集めをしているとは・・・
「政治家」も「医師会会長」も「医師会幹部」も、そして「ホテル」にも責任はないのか?
どこか狂ってるとは思ってはいるが、みんな「本気」でコロナ終息を願ってはないのか?
まぁ「日本医師会」は政治団体なのかも?w
「若葉冷」
【若葉冷】(ワカバビエ)
初夏、木々の若葉が生い茂るころは、空気までみずみずしく、ものみな生気が感じられるが、日によって冷え冷えとした風邪が吹きわたり、妙に肌寒いことがある。寒いといっても、早春の冷え込みとは違い、まわりの清々しい景色に助けられて、清らしい心地よさがある。(「美しい日本語・季語の勉強」〔辻桃子・安部元気著〕)
*https://blog.goo.ne.jp/yoshi13711/e/53ed5af970f7a144bfeae15c38dab0e4 より
近田春夫
1951年2月25日生まれの70歳
こんな時代だからこそ近田春夫の“おふざけ魂”に学ぶ 2020年04月04日
「さあみなさん、こんなご時世でございます。明るくいかなきゃつまんないじゃないですか!」
近田春夫さんは不思議な人だ。ロック界のレジェンドでありながら最先端を走り続け、何をやっても10年、20年、ヘタすりゃ30年後に、やっと時代が近田さんに追いつく始末。加えていたずら心を忘れない、少年のような一面もある。
音楽業界が窮地に立たされた今、近田春夫さんは何を思うのか。永遠の“夢先案内人”に緊急インタビューをおこなった。
イベント自粛の中、自身もコロナで2月25日のバースデーライブを最後に、ライブ活動は休止中。今、アーティストにできることとは?
利権絡みのオリンピックにNO! 世界規模のお祭りを音頭で応援
2020年2月16日、近田さんはYouTubeで新曲「近田春夫のオリパラ音頭」を発表した。この「いきおいで勝手に作った東京2020の非公式テーマソング」は、誰でも許可なく自由に使用することができる。
曲を聴いてまず感じたのは、コロナ疲れでゲンナリした毎日に風穴を開けるスカッと感。「あ〜この軽さとバカバカしさ待ってた!」というのが正直な感想だ。
近田さんが「オリパラ音頭」に着手したのは去年のこと。「最近のスポーツ大会のテーマソングには真面目くさっているものが多いかな」と感じたのがきっかけだったという。
「僕の場合“鉄の意志でふざけ続ける”というのが基本的なモットーなので、そういうスタンスでオリンピック・パラリンピックの応援ソングが作れないかなという気持ちがありました」(近田春夫さん 以下同)
ではどこまでふざけているのか、ちょっくら聴いていただこう。まずは、8ビートのロックンロールver.から。
1964年の東京オリンピックでは、三波春夫の「東京五輪音頭」が大ヒット。昭和の時代にはクレージーキャッツを筆頭に、バカバカしく楽しい曲やノベルティ・ソングがたくさんあり、自身の中に眠るそんな音楽の記憶を「オリパラ音頭」に反映させた。
「昔のオリンピックはアマチュアスポーツの祭典だったけど、ロサンゼルス五輪以降、アメリカの放送局の利権とかがからんできた。だんだんプロの人もやるようになっちゃって、自分が子どもの頃に思い描いていたオリンピックの純粋性っていうものがなし崩しになっていく中で、もう一度クーベルタン男爵が言った“参加することに意義がある”をキーワードにして歌ったら、けっこう意地悪くできるんじゃないかな、とも思いまして」
「オリンパラリン ピックピクっていうのはどこか不謹慎なところがあるけど、どこが不謹慎なのか誰も指摘できないだろうという目論見があって、そう思ったら嬉しくなっちゃって」と近田さん
避けて通れない嫌なことなら楽しむ方法を考える。たとえそれが空元気でも
オリンピックは世界でいちばん大きい運動会。商業主義に牛耳られた大会ではなく、祭りとして楽しみたい。祭りなら当然音頭でしょう、と曲作りを始めた近田さん。ところが、そこにやってきたのがコロナ禍だった。
「コロナもオリンピックも門外漢の僕なんかが何かを言うのは僭越だと思うので、意見を言うつもりはないんです。ただ純粋に、当初の目的とはちょっとスライドしてきてるけど、こういうときにはちょっとふざけたものが気晴らしになるとは思うんですよ。
嫌なことはなるべく避けて通りたい。でもどうしても避けて通れなくなったら楽しめ。これはSF作家のフィリップ・K・ディックの言葉だけど、ホントにそうだなァと思って。例えば僕が死刑囚で、今が死刑執行の5分前なら、その5分をどう楽しむかを考える。
今は打って出るというか、強い気持ちを持つことが大事。めげてるとどんどん取り込まれちゃうから、空元気でもいいと思うんです」
音楽やその他のイベントに関しても、無観客状態が続くかもしれない。この状況を、どうやって打破すればいいのだろうか。
「今回ほどのパンデミックは、誰もこれまで経験したことがない。だからこそ、今までとは違う発想が生まれてくるんじゃないかと感じています。人から教わるのではなく、自分で考えてそういうものをいち早く発見できる人間っていうのがかっこいいし、その競い合いがちょっと楽しみでもあります。
SNSもひとつの武器になるだろうし、いろんな人が無料配信してるよね。“言霊”を信じるわけでもないけど、みんなそれによって何かが鎮められたり、和らげることができるなら、という思いでやっているはず」
一連のパラダイムシフトであっという間に暴露された世の中の本性
世界中で起こった数々のパラダイムシフトは、自分の頭で考えることの大切さを痛感させた。
「地球ってものがどれくらい華奢で脆弱なのかがわかったよね。例えば社会は今、経済を中心に動いているけど、経済の構造は結局自転車操業でねずみ講なんだってこともよくわかった。いったん止まると途端にツケが払えなくなり、たった1〜2週間で大企業が倒産したり。
お金が回ってるように見せかけてるだけで、“僕はあなたに100円貸します。ありがとうじゃあ貸してください”っていうのを1億円単位で回してるだけですもん。本性が見えた気がしました」
各国のリーダーの発言にも「え、そういうこと言っちゃう?」とがっかりさせられることが多い。
「どこの国のリーダーも、言質とられないようなことしか言わないんだよね。こないだ言ってたことと全然違うことをしゃあしゃあとした顔で言われると、“なんかこの人やっぱりずるいんじゃないのかな”って。あれを見てると“な〜んだ、日本だけじゃないんだ”と。
“あんときはそう言ってましたが、話は変わりました”っていうのはナシにしてもらいたいですよ。みんな自分の非を認めないし、誰も“話が違うじゃん”と突っ込まない。ひとこと“ごめんなさい”と言ってからやってくださいって思います。誰も怒らないからさ」
各国に比べると、今はギリギリ持ちこたえているようにも見える日本のコロナ対策。「いろいろなとらえ方があるが」と前置きをした上で、近田さんはこう話す。
「安倍晋三って人は、森友・加計問題などで国民に非常に不誠実な対応をしてきた。だから不信感はすごくあります。でもそれとは別に、いわゆる一国のリーダーという専門職としては、この状況の中ではよくやってるなと僕は思います。日本特有の中途半端で煮え切らない、どっちつかずでいろいろやってるのが功を奏してる部分もあるかもしれませんが。後手後手とかぬるいとか批判は簡単にできるけど、“じゃあおまえやれるの?”っていう部分では評価してあげないと。…あげないとっていう言い方も失礼だけど、そこはある程度尊敬してやってかないと、本人もやんなっちゃうと思うんだよね。
ただ、それと一連の不誠実な対応は別のことだから、これが終わったら決着つけてもらわないと」
国のコロナ対策にはみんな思うところがあるだろうが、「評価してあげないと」と上から見れば溜飲も下がるというもの。加えて森友・加計問題に関しては「それはそれ、これはこれ」である
人類にはコロナ騒動を教訓として進んでいく英知がきっとある
無理が通れば道理がひっこむ。それを権力者は平然とやり、開き直ればなんでもまかり通るということを今回は目の当たりにしたと、近田さんは言う。コロナ騒動は、人類が改めて世の中全般をじっくり考えるために与えられた、過酷で長い休暇なのかもしれない。
「でもね、エイズが出てきたときも、みんな絶望的な気持ちになったけど、今は不治の病ではなくなりましたよね。だから今回もきっと人類は克服して、いい教訓として進んでいくだけの英知を持っている気がするんですよ。ただ自分がそこで何がやれるかといったら、オリパラ音頭ぐらいしかないんですけど(笑)」
東京2020は来年開催される。その日に向けて盆踊りの振り付けを考えておくくらいの心の余裕が、今は大切なのかもしれない。
「アレンジしたいならアカペラのみの音源をお届けするし、自分の歌を吹き込みたければカラオケを送りますから、ぜひYouTubeに上げてください。この宇宙をこれ以上深刻にさせないっていうのが自分の役目と思ってるんで、おもちゃにしてもらってけっこう。世界平和のためにもみんなで遊んでください!」
ということで、最後は「正調 近田春夫のオリパラ音頭」で締めたい。“あっぱれ日本晴れ”って感じのナイスな踊りを考えつつ、この苦境を乗り切っていこう!
近田春夫(ちかだはるお) ’75年に近田春夫&ハルヲフォンとしてレコードデビュー。タレント、ラジオDJ、作詞・作曲家、プロデューサーとしても活躍。’81年にビブラトーンズを結成、’87年には人力ヒップホップバンドのビブラストーンを始動し、日本語ラップシーンの黎明期を支えた。一昨年、ソロ名義としては38年ぶりとなるアルバム『超冗談だから』(ビクター)をリリース。近年は元ハルヲフォンのメンバー3人によるバンド「活躍中」、ディスコ×テクノユニット「LUNASUN」を展開。
取材・文:井出千昌
*https://friday.kodansha.co.jp/article/105695 より
【平成30酒造年度全国新酒鑑評会 金賞銘柄一覧(大阪国税局)】
〈滋賀〉 松の司/松瀬酒造
原料米への取り組み-美味しさの追求の先に
取り組みの先に目指すもの
日本酒は原料となる米と水そして、微生物の働きによって成り立っています。特にお米に関しては近年の環境意識の高まりなどもあって、少しずつ無農薬や無化学肥料栽培の方向へシフトしつつあるのではないでしょうか。
特に滋賀県は環境意識が高く、古くは有機リン入りの合成洗剤がはびこる中、民間を基点にした「粉せっけん運動」が起こったことにもあるように、母なる琵琶湖を守りゆこうという意識が県民一人ひとりに根強くあるようです。2001年には「環境こだわり農産物」の認証制度を設け、農薬・化学肥料を従来の半分以下にする取り組みや、濁水防止啓発活動などを通し、琵琶湖に流れる水の浄化に力を入れています。
ここにしかない味わいを求めて弊社は、1988年から地元竜王町、そして兵庫県旧東条町(全て特A地区)で主に山田錦の契約栽培を始動し、1992年からは、より上品(エレガント)な味わいを求めて、全ての原料米を契約栽培による生産に切り替えました。契約農家の方々を通して2002年産より全ての契約農場に「環境こだわり農産物認証」取得し、2003年産より栽培期間中無農薬・無化学肥料栽培米に取り組んでおります。このお米は【AZOLLA(アゾラ)】シリーズに使用しています。
優良な圃場の追求
このような環境にも配慮した取り組みは単に商品の差別化というだけでなく、次世代へ残す優良な圃場を追求することが、この土地でしか味わえない美味しさとなり、お米が美味しいという事は竜王町の自然環境も素晴らしいということにつながって行きます。それは、この土地に感謝するという気持ちとなり、次世代へ繋いで行くことになるのではないでしょうか。
終始一貫の姿勢でこうして丁寧に育てられた原料米は全て自社で精米を行なっております。その年、その年の気候によって生育状況の変わるお米の状態を見極めながら、また同じ竜王町でも平地・山裾など田んぼの位置する土地の違いによる影響も鑑みながら、どの商品に、どのお米を使用するかの選別をします。その後、酒米の品種ごとに精米データの調整など、酒造りの川上である原料米の栽培から加工まで、一貫して自分たちの目で確認することで、大切な竜王町の恵みである原料米の良さを十二分に活かせるよう取り組みを続けています。
松の司の酒造り
日本酒「松の司」について
シンプルな味わいの中に奥深いオリジナリティをもって
「松の司」の酒造りは、つねに自分らしく在りたいと考えています。
「松の司」であるためには、地元で育んだ酒米や地下120Mから吸上げる仕込み水など地元素材のセレクトから始まります。
地下120Mの大きな岩盤の下を流れる鈴鹿山系愛知川伏流水を仕込み水とし、
100%契約栽培により栽培法を定め十分に審査された酒米を、蔵人が時間をかけて精米。
酒に味わいをつける箱麹法による麹造りや、酒質を決める社内保存酵母菌による速醸酒母と、昔ながらの生酛酒母の採用。
また、発酵温度を低温に抑えながらも完全発酵を目指す小仕込み(1.2t以下)によるモロミ工程、そして瓶詰貯蔵による低温熟成管理(5℃以下)など、
永年の経験による出来る限り丁寧な手造りで、深遠な味わいの「松の司」を醸しだします。
日本酒の本質とは何かを常に考え
"美味しい以上に大事なこと"を求めていきたい
これまでもこれからも私の酒造りにおける信念は、こちらから積極的に何かを目指して造り込んでしまうことがないようにということです。
傍目には地味な酒造りに思われるかもしれませんが、この蔵が持つあらゆることから醸成されてくる穏やかな個性を大事にして酒に投影しようとした時、造り手の自我が強すぎることは好ましくないと思うのです。松の司を飲んでくださる一人一人が穏やかで安らかな気持ちになっていただける事が理想です。華やかな個性に驚かれたり感嘆されるような酒に私は違和感を感じますし、またそんな華やかな酒も私には造れません。この田園風景に囲まれたのどかな土地の穏やかな空気感。そこに素朴になり過ぎずに洗練された要素を感じていただけるような酒を造っていくこと、それが蔵人一同が目指しているところと言えるかもしれません。
巷には今ありとあらゆる特徴を持った酒が溢れています。またSNSを通した情報の供給スピードは年々加速しています。国内外、一般向けプロ向け、様々な酒の審査会も開催されています。そんな目まぐるしく変わる日本酒業界のなかでも、時代に振り廻されることなく、日本酒の本質とは何かを常に考えて美味しい以上に大事なことを求めていきたいと考えています。
技巧的で華美であっても惰弱な酒では意味が無い。かといって技巧を拒絶したような粗野な酒では理念という人為が真の個性を覆いかぶしてしまいます。自然には決してできない日本酒というものが、あたかも自然にここにあるかのように感じてもらえるような酒造り。真の意味で水のような空気のような身体と精神との親和性を夢見て精進していきたいと考えています。蔵の雰囲気であったり、杜氏・蔵人の個性、蔵の周りに広がる田んぼの風景を感じてもらえるまで。結果、様々な要素が渾然一体となって飲んだ人が穏やかで安らかな気持ちになってもらえるように。
それを実現するためにどこかに偏ることなく、'美味しい'の美しいという一点だけを求めて、吟醸造りや生酛仕込み、無農薬栽培など様々なことを試みながら、松の司だけでなく日本酒が一歩でも二歩でも前進していけるように、これからも新しい挑戦をしていきたいと思っています。
理想の次元には遥か及ばぬ現状ではありますが、どうか長い目でご愛顧下さいますようよろしくお願い致します。
松瀬酒造株式会社 滋賀県蒲生郡竜王町大字弓削475
ラインナップ
「松の司」純米大吟醸 黒・純米大吟醸 AZOLLA35・大吟醸 Ultimus など
「芭蕉菜-ばしょうな」
【生産地】岩手県南部地域(現:奥州市江刺区)
【形状】からし菜の一種。通常は40~50cmで収穫するが、栽培の仕方では80cm以上になる。漬け菜類の中でも葉が大きく、芭蕉(ばしょう)の葉を連想させるため、この名がついた。
【食味】独特の辛味と風味が特徴。塩漬けや粕巴蕉菜 漬けなどの漬物用の高菜として栽培されている。
【来歴】岩手県の南部地域では、古くから栽培されている。山形県の名産である「山形青菜(やまがたせいさい)」と同じ系統といえる。山形青菜が山形県で栽培されるようになったのは、1908(明治41)年のこと。山形県農事試験場(現農業総合研究センター)で、奈良県から種子を導入し試作したところ、品質が優れていたことから栽培が始まった。江刺地区の芭蕉菜は辛味が特徴。
仙台芭蕉菜はナタネの仲間で辛みが少ない。
【時期】10月~11月
*https://tradveggie.or.jp/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E4%BC%9D%E7%B5%B1%E9%87%8E%E8%8F%9C%EF%BC%8D%E5%B2%A9%E6%89%8B/#i-13 より
前回の回答
次の漢字(熟語)の読みを答えてください。
問1 阿諛 -あゆ-顔色を見て、相手の気に入るようにふるまうこと。追従 (ついしょう) 。
問2 寥落 -りょうらく-荒れ果ててすさまじいこと。荒廃すること。
問3 簫鼓 - しょうこ-簫とつづみ。笛と太鼓。
問4 輻輳 -輻湊-ふくそう-
1 四方から寄り集まること。物事がひとところに集中すること。
2 電話やインターネットなどの回線において、多数の利用者が特定の時間帯に集中することにより処理可能な容量を超え、不具合が生じたり機能が停止したりすること。
問5 踉蹌 -ろうそう-ふらふらとよろめくさま。蹌踉。
今回の出題
次の漢字(熟語)の読みを答えてください
問1 舐犢
問2 瘢痕
問3 埴輪
問4 畿甸
問5 眩暈
*漢字検定Web問題集 HP より
*goo辞書 より
「有松・鳴海絞り」
Description / 特徴・産地
有松絞・鳴海絞とは?
有松絞・鳴海絞(ありまつしぼり・なるみしぼり)は、愛知県名古屋市緑区周辺で作られている絞り染めです。日本国内の絞り製品の多くはここで生産されており、国の伝統工芸品に指定されています。「有松絞(ありまつしぼり)」「鳴海絞(なるみしぼり)」とも呼ばれます。
有松絞・鳴海絞の特徴は、絞りのときにできる濃淡や文様の独特な風合いです。「縫絞(ぬいしぼり)」「くも絞」「雪花絞(せっかしぼり)」「三浦絞(みうらしぼり)」「鹿の子絞(かのこしぼり)」など多種多様な技法が考案され、現在では100種類にも及ぶ絞りの技法があります。
1992年に「第一回国際絞り会議」が開催されたことを皮切りに、世界中に絞りのネットワークを展開し、有松地区や鳴海地区は絞りのメッカともいわれるようになりました。今では「SHIBORI」として世界中に愛されています。
History / 歴史
有松絞・鳴海絞 - 歴史
有松絞・鳴海絞のルーツは江戸時代初期に遡ります。絞りの技法自体は奈良時代に始まったものですが、1610年(慶長15年)から1614年(慶長19年)にかけて行われた名古屋城築城の手伝いに豊後(現在の大分県)から来た人たちが着ていた絞り染めの着物を、有松地区に移住してきていた竹田庄九朗が見て、三河木綿に絞り染めを施した手ぬぐいをつくったことから有松絞・鳴海絞の歴史が始まりました。
1655年(承応4年)には、豊後からきた女性により豊後絞りが伝えられ、有松絞の絞り染めは変化を遂げました。このときに伝えられた技法が「三浦絞り」です。当時から生産の中心は有松地区でしたが、東海道五十三次の一つである鳴海宿で旅人が故郷へのお土産にと買い求めたことから「有松絞」「鳴海絞」として繁栄しました。その後、有松地区と鳴海地区が名古屋市に編入したことから、「有松絞・鳴海絞」として発展を続けています。
*https://kogeijapan.com/locale/ja_JP/arimatsunarumishibori/ より
浮世絵にも描かれた伝統の美と技 有松・鳴海絞
有松は絞りとともに歩んだ町。旧東海道沿いには江戸時代そのままの古い商家の家並みが残る。宿場町として栄えた鳴海の隣りにあり、土産物として旅人に買われて広く知られるようになった有松の絞りは、伝統の美しさで今も人の心を魅了する。
技の競演により生まれる逸品
旧家を利用した絞りの老舗をのぞくと、色あざやかな数々の絞り製品に目を奪われる。百種類に及ぶという括(くく)りの技法と、それを引き立たせる熟練した染色の技術。手間をかけ心を込めたその素朴な美しさは、独特の風合いがあり長く愛用したくなる逸品。18世紀末から19世紀初めごろに分業形態が定まり、型紙彫りから下絵刷り、括り、そして染色と、何人もの職人の手を渡り、みごとな技の競演が見られるようになった。
繊細な括り技法を活かす染色
三浦典久さんは染色を専門とする職人の一人。絞りの仕事を始めたのは、昭和40年代の右肩上がりの時代だと言う。「浴衣だけでも、染めきれないほど大量の仕事があったね。」今は扱うものの種類が増え、着物や浴衣の和装だけではなく、ハンカチ、スカーフ、ひざ掛けのほか、ワンピースやスカートなどのアパレル製品が多くなっている。化学染料を使うようになり、染料の色も数え切れない種類があるが、染めの難しさは生地によって染まり方が違うところだという。「色見本を渡されて、サンプルを少量作っていいと思っても、大きな釜で大量に染めると、仕上がりの色が違ってくるからね。」求められる色にぴったり合う染料があることはほとんどない。たいていは3色以上を混ぜて使うことになる。 「何らかの人の力を加えて柄になるのが絞りだよね。手作りの素朴なところに親近感がわく。」括り加工や生地に応じて、いかにきれいに染めるかが染色職人の腕の見せどころ。「好きな杢目(もくめ)絞りがうまく染まるとうれしいね。」と言う三浦さんは、「自分で企画した商品を作って、販売なども手がけていきたい。」と今後の展開もいろいろ考えている。
一度の作業で染め上がるわけではなく何度も浸染を繰り返す
昔ながらの技法が消えていくのは残念なこと
最近では、括り加工の一部は中国で行われるようになった。伝統の絞りの技術を守り伝えるため、地元では後継者育成の積極的な取り組みがなされている。鳴海で絞りの店を持ち、自ら制作に励む榊原あさ子さんも、月の半分は東海地区や東京の教室で教え、忙しい日々を送る。小学生のころから絞りに親しみ、長く内職として括りの仕事を続けていたが、44歳のときに大病を患い、それがきっかけで「生きた証として何かを残したい。」と考えるようになった。できる人がいなくなったと聞いた「白影絞り」にも挑戦。以前、明治生まれの94歳のおばあさんに見込まれて、「蓑絞り」を伝授してもらったことが忘れられない。絞りの工程は分業が基本だが、型紙彫りから染色まですべて自分でこなす。有松・鳴海絞の伝統工芸士の中で、ただ一人「総合部門」で認定されている。
自分の発想を表現することが楽しい
「短歌や俳句、絵画、音楽、陶芸、文学・・・。60年間、ありとあらゆることを勉強してきたの。今それが花開いている感じ。」現在、通信教育で学ぶ大学生でもある。「余分なものなど今まで何ひとつなかった。」と言うように、そうして学んできたことがいろいろな形で絞り制作にも役立っているのだろう。染色には化学染料が一般に使われているなかで、榊原さんは本物の藍にこだわる。 「糸をほどいたときの意外性が楽しみ。」教室で教えていて気づいたのは、良質の絞り製品を買うのは絞りを習ったことのある人だということ。「趣味としてでも日本の技術が残っていけば」と技法の伝授に努力しながら、自らも「新しい柄、新しい技法を編み出していきたい。」と意欲をみなぎらせている。伝統を守るだけではなく、ここからまた新たな伝統が生み出されていく。
職人プロフィール
三浦典久 (みうらのりひさ)
1946年生まれ。 大学卒業後、染色職人となる。「手で染めるということに、こだわっていきたい」
榊原あさ子 (さかきばらあさこ)
1926年生まれ。 絞り作家として活動しながら、数カ所の教室でも教えている。
こぼれ話
装いに絞りを取り入れ、生活を演出
有松の絞り専門店には、着物や浴衣だけではなく、Tシャツやワンピースなど日常的な装いに取り入れられる製品がたくさん並んでいます。紺染めのものから多色づかいのものまで、同じデザインであってもひとつひとつ括りや染めが異なり、選ぶのも楽しくなります。 スカーフや帽子、日傘などの小物も豊富なので、ワンポイントで使うのもまたよし。ファッションアイテムの幅が広がりそうです。高価な反物には手が届かなくても、身近なものから日本の伝統の技術に親しんでみるのもいいかもしれません。 また、最近はアジアン雑貨や和風アンティークなど、素朴で落ち着きのある、手作りのインテリアに人気があるようです。部屋の中に絞りの品をさりげなくコーディネイトしてみてはいかがでしょう。
*https://kougeihin.jp/craft/0204/ より