いいもの見ぃ~つけた!

「いいもの」は探せばいっぱいあります。独断と偏見による個人的「いいもの」情報発信所です。

< 郷土料理 > 宮城 サンマのきがき

2024-02-15 08:33:34 | 郷土料理

 「サンマのきがき」

 主な伝承地域 気仙沼などの港町

 主な使用食材 サンマ、大根、ねぎ

 歴史・由来・関連行事
 気仙沼の本吉地方では、昔からカツオの魚群が沿岸近くまで回遊し、大量に水揚げされていた。大抵は塩蔵ガツオとして流通していたが、その塩蔵カツオの漬け汁を「きがき」と呼んだ。この漬け汁を樽に入れて調味料として売り歩いていた業者がおり、それで大根などを煮るととても美味しいと評判になった。
 「きがき」は秋田のしょつるやタイのナンプラーと同じ魚醤の一種で、当時は画期的な調味料だった。その後、イカの塩辛や塩漬けの魚をだしに大根を煮たものを「きがき」と呼ぶようになり、サンマなどの鮮魚も煮るようになった。かつては家庭の調味料といえば、自家製の味噌と塩、酢くらいだったので祝い事があれば、味噌を漉した「みそだれ」を醤油の代用品としていた。
 明治時代になると、醤油は地方でも販売されるようになり、醸造業も発達した。しかしながら醤油は高価なためもっぱら祝い事や来客用だったという。
 現代では、魚醤ではなく醤油でサンマを煮つける。

 食習の機会や時季
 サンマが水揚げされる秋に気仙沼などの沿岸部で食される家庭料理。おかずの一品、酒のアテ(肴)として好まれている。

 飲食方法
 サンマは頭と鱗を落として、腹を裂いて内臓を取り出す。せんつきでおろした大根を汁ごと入れてサンマを煮込み、火が通ったら身をほぐして背骨を取り出す。醤油を加えてひと煮立ちさせ、ねぎを添える。器に盛り付け、提供する。

 保存・継承の取組(伝承者の概要、保存会、SNSの活用、商品化等現代的な取組等について)
 気仙沼地域などの港町で家庭で親から子へ伝承されている。

*https://www.maff.go.jp/j/keikaku/syokubunka/k_ryouri/search_menu/menu/sanma_no_kigaki_miyagi.html より

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<おせち> 福岡  ブリ(刺身、塩焼き、照焼き)

2024-02-15 08:28:58 | おせち

 「ブリ(刺身、塩焼き、照焼き)」

 正月にはブリ
 成長するにつれ呼び名が変わる、出世魚として縁起がよい魚がブリ

 福岡で正月といったら、必ずといっていいほどブリが出てくる。ブリは、ヤズ、ハマチ、ブリと成長するにつれ呼び名が変わる。出世魚として縁起がよい魚として大切に扱われ、正月などめでたい席には欠かせない。ブリの旬は11月から2月ごろとされ、12月から1月にかけては、特に脂がのっているそうだ。

 また、「嫁ブリ」という風習があるという。初めて正月を迎えるお嫁さんの実家に、感謝の気持ちを込めて、ブリを届けるという。「よか嫁さんブリ」から「嫁ブリ」と言われるようになったそうだ。昔ながらの風習には、心温まるものが多い。

*http://ginjoka.com/sake-style/buri/ より

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うまいッ! NHK「涼味満点!伝統のとうふ~京都市~」

2024-02-15 08:14:05 | うまいッ!NHK

 うまいッ!「涼味満点!伝統のとうふ~京都市~」 2013年08月04日

 番組内容
 京都で180年以上にわたって続く老舗の豆腐は、さっぱりしたのどごしで、大豆の香り豊かな一品。この味を求め、近所の人たちは、できあがるのを待って買う。8代目の店主・入山貴之さんのこだわりが、昔ながらの「おくどさん(かまど)」。すりつぶした大豆を釜で炊きあげる作り方は、全国でも数軒しか残っていない。また、番組では、豆腐の味の決め手を科学的に検証。暑い夏、涼を届けてくれる豆腐のおいしさの秘密を探る。

*https://www.nhk.or.jp/archives/chronicle/detail/?crnid=A201308040615001302100 より

 詳細不明につき、勝手に調べてみました。

 

 京都のまちかどの おとうふ屋さん [2021.2.1]
 「今日は湯どうふ」と、何回もお鍋を囲んだお家も多いことと思います。季節を問わず、年中お世話になっているおとうふ。良い水に恵まれている京都は昔から「京のよきものとうふ」と名をあげていました。
 上京のまちに今も、おくどさんで薪を焚いておとうふを作り続けるお店があります。
 「創業文政年間」と染め抜いたのれんが、京町家にしっくり調和する入山豆腐店です。ご主人の入山貴之さんに話をお聞きました。おとうふのこと、お客さんのやりとり、京都の歴史等々の話題が次々と繰り出し「もっと聞きたい」入山さんの味なお話を、ほんの一部ですが、おすそ分けいたします。

 ものは人の手がつくっている
 京都のまちなかには、名水の湧く井戸がいくつもあります。上京区の「滋野井(しげのい)」の名水は、元滋野中学校の校歌にも「滋野井の泉のほとり」と歌われ、地元の宝として大切にされてきました。入山豆腐店もこの地域にあり、井戸から地下水をくみ上げています。近辺にはおとうふ、生麩、醤油など良い水があってこその生業が営まれています。

 入山とうふのおくどさん
 入山さんのお店では、機械を使うのは大豆をすりつぶす作業だけです。このすりつぶした大豆を、おくどさんにかけた大釜のお湯に入れて炊いていきます。ガスにすれば手間はかかりませんが、カロリーが低いので時間を要します。その点、常に火加減に注意し、微妙な調整も必要ですが、薪は火力が強く短時間で炊きあがり、香りや風味を生かすことができます。
 按配のよいところを見きわめて、炊いた大豆を袋で濾すと、豆乳ができます。この豆乳に、にがりをまぜて型に流し、余分な水を除いてから水槽の中で切って、おとうふの完成です。焼豆腐は串を打って炭火で焼き上げています。これは秋から4月いっぱいくらいまでの季節のものです。焼目こんがり、こうばしい味、よい香りは「入山さんのお焼き」だけのものです。

 入山とうふの油揚げ
 お揚げやひろうすもおくどさんで、きれいな油を使い、丁寧に揚げているので、油抜きする必要はありません。豆乳も機械でぎゅうぎゅうしぼり切ることがないので「お客さんから、ジューシーやと、よう言われる」しっとりしたおからになります。炒らずに、そのまま使っておいしくできます。豆乳も毎日買いに来るお客さんも多く、冬は豆乳鍋にするお家もあるとか。質の良い水と原料、誠実な手仕事で作られたものは、何にしてもその素のよさが生きています。

 薪を割る入山さん
 大豆を水に漬けるのは前の晩、朝4時からおとうふを作りお客さんに応対し、合間には薪を割りその他諸々、仕事がたくさんあります。年2回は近くの小学校の見学を受け入れています。「体を使って働く姿を見ることがないと思う。ものは人間の手がつくり出しているのだということを知ってもらえたら」という思いです。ものづくりは人の手がつくり出す。入山豆腐店はおいしさとともに、その大切さを教えてくれます。

 鐘の音と「入山さーん」と呼ぶ声
 2年前から、火曜、木曜、土曜の午後は近くの町内をリヤカーでまわる「まわり」を復活させました。担当は、2年前からお店を手伝っている姪ごさんの太田真莉子さんです。真莉子さんの後にくっついて、まわりに同行させてもらいました。リヤカーに真莉子さん手書きの「入山とうふ」の看板を付け、入山さんのお祖父さんの時代からのりっぱな鐘とともに出発です。

 あいにくの冷たい雨でしたが、晴天続きで井戸が枯れかけていた入山豆腐店にとっては、恵みの雨です。よく響く鐘の音が家の中にも届いて「入山さーん」と声がかかります。「雨の日は本当に助かる。まわって来てくれはるし、ありがたいわぁ。入山さんとこのは、おいしいしね」そして「雨の日は大変でしょう。気ぃつけてね。いつもありがとう」という言葉に、信頼関係や感謝の気持ちがこもった、とてもあたたかいものを感じました。
 まちなかでも、このあたりはお店がなく、高齢の方をはじめ多くの人が真莉子さんのまわりを頼りにしています。一言ふた言でも、そこで交わす会話に気持ちがなごむことでしょう。
 2階からかごを降ろして買う思いがけない楽しい場面にも遭遇できました。

 「今日はお客さんが多かったです。3人だけとかいう日もあります」と真莉子さん。まわりを始めたのは、どういうことからですかという問いには「必ず需要はあると思っていました。入山豆腐店がせっかくこれまでやってきたことを大切にしないともったいない。必要とされているところ、待っていてくれている方に応えたいと思って冬も夏も、お客さんが少ない日も、曜日も時間も変えることなくまわりをしています。」
 みなさんも運が良ければ真莉子さんのまわりに巡り合えるかもしれません。鐘の音が聞こえてくるか、耳をすませてみてください。

 江戸時代の作り方は、究極のエコだった
 薪をたくなつかしい匂いと、煙突からうっすらと上がるけむり。入山さんがのれんを出し、店頭にはみずみずしいおとうふをはじめ、揚げたて、焼きたてが次々と並んでいきます。同時にお客さんがやって来ます。「ただ今開店しました」というふうではなく、何となくゆるく開店する感じも、ほんわかした雰囲気です。
入山さんのお父さんが跡を継いだ時は昭和30年代、世の中が大きく変化し始めた時でした。豆腐製造業も機械化が進み、多くのお店が機械化・量産化へ舵を切りました。スーパーマーケットができ、食品へも大量生産、価格競争の波が押し寄せた時代です。お父さんも機械の導入を考え、先代に相談したところ「とうふ屋が数に走って売り上げを上げたらあかん」と返され「これまで通り」を続けてきました。「結果、よかったかな」と入山さんは思っています。

 おとうふは、外国の人に多いベジタリアンやヴィーガンの人たちも食べられます。「そういう点でも日本のとうふは世界の人に安心して食べてもらえる優れた食品で、食べ方もいろいろアレンジできる。しかも歴史や文化的な価値がある。シンプルという日本人の考え方はすごい」と可能性を感じています。

 おくどさんで焚く薪は、大工さんから手に入れる端材を利用し、消し炭も火付け用に取っておき、灰は豆乳をこすふきんなどを洗う時に使います。「捨てるものは何もない究極のエコ」です。あるものを生かして使い切り、循環させる作り方には、今の時代に多くの人が感じ、見つめなおして大切にしようという暮らし方、ものづくりの本来の姿があります。
 入山さんは人と話すことが大好き、本が好き、いろいろなことに興味があり、多くの人、外国のお客さんともコミュニケーションを楽しんでいます。入山さんは「それが、まち店の意味」と語ります。そこからお店の経営や考え方にも柔軟性が発揮されているように感じます。

 商品名を書いた札や、イラスト入りのボードなどは、すべて真莉子さんの手になります。真莉子さんの「リヤカーを、赤とか明るい色にして、もっとかわいくしたい」という構想に、入山さんは「それもええなあ」と応じます。二人のやり取りや、かもしだす雰囲気が何かいい感じです。淡々と明るく仕事を進める二人の様子は、二百年ののれんも軽々と、とても身近に感じられます。おいしいおとうふ屋さんが近くある幸せ。ささやかな喜びの積み重ねが、京都のまちと暮らしをかたちつくっています。

 入山豆腐店 京都市上京区椹木町通油小路東魚谷町347

*http://kento-sanpo.com/093 より

 

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<伝統野菜> 高知 根木谷ねぎ

2024-02-15 08:01:34 | 伝統野菜

 「根木谷ねぎ-ねぎだにねぎ」

 【生産地】高知市三谷地区、潮江地区

 【特徴】長ねぎの一種で土寄せすれば白ねぎになる。葉が軟らかく折れやすいので栽培が難しい。

 【食味】葉にんにくの風味があり美味。旨味が豊富で葉部分にとろみがある。

 【料理】薬味、すき焼き、焼き物、天ぷらなど

 【来歴】かつては高知県春野町根木谷山の南の集落でつくられていたとされる。土佐山内家の御用達とされ、供え物として献上されていたという話もある。牧野野菜唯一のねぎ。根木谷のねぎは生産量が少なく、市場にはほとんど出回ることはない。

 【時期】11月~

*https://tradveggie.or.jp/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E4%BC%9D%E7%B5%B1%E9%87%8E%E8%8F%9C%EF%BC%8D39-%E9%AB%98%E7%9F%A5%E7%9C%8C/#i-36 より

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<異名-人物> 西国無双の侍大将

2024-02-15 07:56:05 | 異名

 「西国無双の侍大将 陶晴賢」

 陶 晴賢(すえ はるかた) / 陶 隆房(すえ たかふさ)は、戦国時代の武将。大内氏の家臣。

 晴賢と名乗ったのは、天文20年(1551年)に主君・大内義隆を討ち、大友晴英(後の大内義長)を当主に据えてから厳島の戦い前に出家するまでの数年間だけであり、それまでは初名の隆房を名乗っていた。

*Wikipedia より

 

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<料理用語-和食> 衣被

2024-02-15 07:49:55 | 料理用語

 「衣被-きぬかつぎ」

 里芋(小粒な石川芋の新芋が適する)の料理。

 里芋の胴のあたりに包丁を入れて一周させ、それを茹でるか蒸したものである。

 つまむだけで切り目から皮がむける状態になる。

 塩をふって食べる。
 上部の皮だけ剥いた状態で黒胡麻を振り、塩を添えて出すこともある。

 衣被の名は平安時代の婦女子が外出のさいに単の小袖を頭にかぶった(頭巾のようなもの)ものを「きぬかずき」と呼んでいたのが転じたとされる。「衣担ぎ」とも書く。

*https://temaeitamae.jp/top/t2/kj/6_G/017.html より

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<慣用句・諺> 臓を揉む など

2024-02-15 07:47:06 | 慣用句・諺

 「臓を揉む-ぞうをもむ」

 苦しい思いをする。心をくだく。気をもむ。

 

 「俗耳に入り易い-ぞくじにはいりやすい」

 世間一般の人々にわかりやすい。

 

 「ぞっとしない」

 おもしろくない。あまり感心しない。

 

 「大隠は市に隠る-たいいんはいちにかくる」

 《王康琚 (おうこうきょ) 「反招隠詩」から》真の隠者は、人里離れた山中などに隠れ住まず、かえって俗人にまじって町中で超然と暮らしているということ。大隠は朝市 (ちょうし) に隠る。

 

 「大海の一粟-たいかいのいちぞく」

 広大な所にきわめて小さい物があることのたとえ。人間存在のはかなさなどにいう。滄海 (そうかい) の一粟。大海の一滴。

 

*goo辞書 より

 

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<難読漢字-魚> 追河

2024-02-15 07:39:02 | 難読漢字

 「追河 おいかわ」

 オイカワ(追河、Opsariichthys platypus)は、コイ科に分類される淡水魚の一種。西日本と東アジアの一部に分布し、分布域ではカワムツやウグイなどと並ぶ身近な川魚である。釣りの対象としても人気がある。

*Wikipedia より

 由来・語源

 琵琶湖周辺での呼び名を標準和名にしたもの。いろんな語源説があるが、川で追いかけてとるからだと考えている。川の浅場にもいる魚で、石を石にもたせかけて空間を作り、その周辺にいる個体を追いかけると石の空間に入る。それを手でつかんで取る。この遊びはウグイやカワムツではやれず、本種だからできる遊びだった。徳島県美馬郡貞光町(現つるぎ町)では子供が普通に行っていた遊びである。
 「河で追いあげてとるから【追河】」。「【追川】。「水中でお互いに尾を追いて闘う」。『新釈魚名考』(榮川省造 青銅企画出版)

*https://www.zukan-bouz.com/syu/%E3%82%AA%E3%82%A4%E3%82%AB%E3%83%AF より

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<日本酒メーカー> 岩手 喜久盛酒造

2024-02-15 07:30:32 | 日本酒

 「喜久盛酒造」

 喜久盛酒造株式会社(きくざかりしゅぞう、KIKUZAKARI SAKE BREWERY CO., LTD. )は、岩手県北上市にて清酒製造業を行う酒蔵である。明治27年に藤村酒造店として創業し、現在の名称に改名してからは「鑑評会の先生に評価される酒ではなく、焼鳥屋の親父に好まれる酒」を目指している。かつての子会社に花巻酒販株式会社があった。

 略歴
 1894年 - 初代藤村精一が東和賀郡更木村(現在の北上市更木)で藤村酒造店として創業。
 1944年 - 戦時中の企業整備により、花巻税務署管内の酒造メーカーが統合。本社を花巻に置き、花巻酒造株式会社となる。
 1946年 - 三代目蔵元藤村久喜が南支那方面より復員。
 1949年 - 花巻酒造株式会社が「喜久盛」、「白雲」、「宝峰」、「七福神」、「稲の友」の6工場に分離。
 1951年 - 喜久盛酒造株式会社に社名変更。
 1954年 - 子会社である花巻酒販株式会社を設立。
 1969年 - 「鬼剣舞」発売。
 1982年 - 「本格焼酎 舞」発売。
 2004年 - 「電氣菩薩」発売。
 2005年 - 「タクシードライバー」発売。
 2009年 - 1月より北上市青柳町から同市更木の工場敷地内へ本社を移転。
 2014年 - 10月より製造場を北上市更木から廃業した旧白雲の工場の花巻市東十二丁目へ移転。

 喜久盛酒造 株式会社 岩手県北上市更木3-54

*Wikipedia より

 代表銘柄

喜久盛 純米酒 トヨニシキ55 秋あがり

《生熟後の火入れで帰って来た!トヨニシキ55!》

熟成させたら化けるかも!

「喜久盛」のほぼ全ての商品で私がいつも思うことです。

と、思っていたらタンク1本の限定「トヨニシキ55」が秋あがりで帰って来ました!

ちゃんと囲っていらしたんですね♪

毎年ひやおろし(秋あがり)の銘柄が変わる「喜久盛」ですが、今回は「トヨニシキ55」

約1年半熟成です!

今回はひやおろしでは無く、秋あがりと表記されていることには意味があります。

ひやおろしには一応、定義がありまして。

冬から春に掛けて搾られた新酒を火入れし、タンクで夏の間、常温熟成し、秋に火入れをせずに瓶詰。

常温(冷や)でおろすのでひやおろしと呼ばれています。

ですが、今回のお酒は生で熟成させた後、瓶詰、火入れを行われたので、ひやおろしでは無い!

(最近では珍しくなった生貯蔵です。)

ということで、秋あがりという商品名にされました。

(そもそも、1年半熟成って時点でひやおろしでは無いのですが。)

火入れのタイミングが変わるとお酒の香味は大きく変わります。

生貯蔵ということで生熟成の適度なボリューム感があり、先に火入れした場合とは違う火入れなのに生っぽいお酒に仕上がっています。

味の乗りとしては生貯蔵の方が良いように私は感じました。

良さが違うんですけどね。

1年半熟成の生貯蔵の旨さ、是非味わってみて下さい!

《喜久盛酒造とstudio80-80のコラボで復活!トヨニシキのお酒!》

「喜久盛の純米酒トヨニシキ55」のラベルを手掛けられたのは弊社オリジナルのお猪口もデザインして下さった「studio80-80」さん。

「喜久盛酒造」とのコラボで色々なラベルをデザインされています。

「studio80-80」さんはテレビゲームをモチーフにしたアパレルブランド。

「喜久盛」の文字を見ていると懐かしい気持ちになるのは私だけでしょうか?

さて、このラベルが採用された中身のお酒は「トヨニシキの純米酒」

使用されているお酒造りに欠かせない酵母はきょうかい7号酵母。

蔵元の藤村さんとこのお酒に付いて話していると、興味深い話が出て来ました。

このトヨニシキときょうかい7号酵母の組み合わせ。

実は先代が造られていた「上撰喜久盛」と同じなのだそうです。

藤村さんにとって、「純米酒トヨニシキ55」つまり、「トヨニシキ×きょうかい7号酵母」は「上撰喜久盛」へのオマージュ。

これで繋がりました。

ラベルから来る懐かしさと。

ラベルやネーミングには遊び心を。

中身のお酒は1本筋が通っている。

これが「喜久盛」の魅力であり、ファンの心をくすぐっているのだと思います。

香りは割とスッキリなのですが、飲むとガツン!

酸もしっかり感じますが、酸が更に旨さを増している。

開栓直後はじゃじゃ馬ですが、日ごとに落ち着いて来ます。

変化を楽しんでみて下さい。

いつもの「喜久盛」とは一味違うので、他のお酒と飲み比べてみても面白いと思います。

私はこのお酒を飲んで、先代の上撰にとても興味が湧きました。

超限定品ですのでお早めに。

(文章:金巻 忍)

商品スペック
容量 720ml
製造元 喜久盛酒造(岩手県)
特定名称 純米酒
生/火入れ 火入れ酒(加熱処理有り)

■甘辛:辛口 ■原料米:岩手県産トヨニシキ ■精米歩合:55% ■アルコール度数:17.6度 ■日本酒度:+1.0 ■酸度:2.8

 

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<大阪-観光> 城北公園

2024-02-15 07:22:04 | 観光

 「城北公園」

 城北公園(しろきたこうえん)は、大阪府大阪市旭区生江三丁目29にある都市公園(総合公園)である。

 概要
 1934年(昭和9年)に淀川の旧河床約11ヘクタールを整備して開園した。公園の名称は、大阪市編入以前の自治体名「城北村」(しろきたむら)に由来し、榎並城の北に位置することによる。

 公園の真ん中には池があり、その池をまたぐように菅原城北大橋が公園を南北に横断している。毎年6月頃には菖蒲園も開かれる。

 菖蒲園
 1964年(昭和39年)に開設された回遊式の花菖蒲園。面積約1.3ヘクタール。花菖蒲約250品種が栽培されている。菖蒲園の一角では、カキツバタも栽培されている。大阪みどりの百選に選定されている。

*Wikipedia より

 淀川の河川敷を利用して昭和9年(1934)に開園した、古くからある公園。面積9.5haの園内は、4月の桜、そして毎年11月ごろに開催される「城北菊花展」などが、大阪の風物詩として親しまれている。とくに江戸系、伊勢系、肥後系三系統の花菖蒲が約250種/13,000株が栽培されている「菖蒲園」では、見頃を迎える5~6月に青紫、白、黄色と色とりどりに咲く様子が「大阪みどりの百選」のひとつにも選ばれている。また、淀川の堤防のすぐ下には、湾処(わんど:河川沿いで水制などに囲まれ池のようになっているところ)が広がり、珍しい植動物たちが集まっている。自然を身近に観察しながら散策するのもいいだろう。

*https://osaka-info.jp/spot/shirokita-park/ より

 「城北菖蒲園」

 淀川河川敷を利用してつくられた城北公園内の一角に、昭和39年(1964)開園した城北菖蒲園。広さ約1.3haの回遊式の園内には、江戸系、伊勢系、肥後系の花菖蒲約250種13000株が栽培され、「大阪みどりの百選」にも選ばれている。開園期間の5~6月に合わせて、「城北公園フェア」など関連イベントが開催される。期間中には、大阪はもとより遠方からも大勢の人が訪れます。

*https://osaka-info.jp/spot/shirokita-shobuen/ より

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