いいもの見ぃ~つけた!

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< 郷土料理 > 宮城 サンマのすり身汁

2024-02-16 08:30:48 | 郷土料理

 「サンマのすり身汁」

 主な伝承地域 宮城県

 主な使用食材 サンマ、大根、ねぎ、豆腐

 歴史・由来・関連行事
 サンマは、金華山沖を代表する魚で、古くから秋の味覚として親しまれてきた。サンマは南の海で生まれて北上し、北の海でえさを食べて産卵のために南下する。北は千島列島から南は沖縄周辺まで南北に移動し、成長する。
 サンマの漁期は8月から北海道で始まり、金華山沖では10月から11月に最盛期を迎える。サンマやサバなどの青魚に含まれる魚油中の脂肪酸に多く含まれるIPA(イコサペンタエン酸)やDHA(ドコサヘキサエン酸)は動脈硬化を抑え、心筋梗塞や脳梗塞などの生活習慣病を予防する食品としても注目されている。
 庶民の秋の味覚として親しまれているサンマだが、近年は不漁が続き、価格は上がる一方である。
 地元では新鮮なものは刺身やすしのネタとして生食される。定番は塩をふったシンプルな塩焼きで、大根おろしを添えて出す。また、すり身もよく食されていて、自分でたたいてすり身にするほか、県内のスーパーマーケットや鮮魚店では秋になるとすり身として販売する。大根や白菜などと一緒に汁物に仕立てたものが「サンマのすり身汁」で、家庭や飲食店、イベントなどでも提供される。

 食習の機会や時季
 サンマの旬である秋になると、スーパーマーケットや鮮魚店でサンマのすり身が売られるようになる。それを丸めてつみれにし、秋野菜と一緒に汁ものにして食す。家庭や飲食店で食べることができる。また、毎年気仙沼や女川などの港町でおこなわれる秋のイベント「サンマ炭火焼お振る舞い」として提供されてる。

 飲食方法
 サンマのすり身をまるめたものと野菜を煮て食べる。石巻地域では「サンマのすり身汁」の中に松葉になぞらえた大根のひき菜を加えていることから「松葉汁」と称して郷土料理になっている。

 保存・継承の取組(伝承者の概要、保存会、SNSの活用、商品化等現代的な取組等について)
 各家庭でつくられており、郷土料理の中でもかなり一般的な一品である。

*https://www.maff.go.jp/j/keikaku/syokubunka/k_ryouri/search_menu/menu/sanmano_surimi_shiru_miyagi.html より

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<おせち> 佐賀 アラ料理

2024-02-16 08:27:10 | おせち

 「アラ料理」

 “アラ”とはクエのこと。正月のころが脂がのっていて最もおいしく、頭から内臓、尾まで、捨てるところのない珍味として尊ばれている。刺身や湯びき、鍋ものにして食す。

*https://www.kibun.co.jp/knowledge/shogatsu/database/2010local/index.html より

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うまいッ! NHK「みずみずしさが絶品!水なす~大阪 貝塚市~」

2024-02-16 08:07:28 | うまいッ!NHK

 うまいッ!「みずみずしさが絶品!水なす~大阪 貝塚市~」 2013年08月11日

 番組内容
 暑気を払う涼やかな味わいが大人気の「水なす」。アクが少なくジューシーで、その味わいはリンゴや梨に例えられるほど。中でも、漬け物は絶品で、おつまみにぴったりとお中元の注文が殺到するほどだとか。こだわりの生産現場に密着するとともに、研究機関の協力を得て、このおいしさの秘密を徹底解剖。また、大阪の地場野菜であった「水なす」を、全国区の味に押し上げた産地の人々のあくなき探求心にもスポットを当てる。

*https://www.nhk.or.jp/archives/chronicle/detail/?crnid=A201308110615001302100 より

 詳細不明につき、勝手に調べてみました。

 「泉州水なすについて」

 泉州水なすのルーツ

 なすの原産地はインドといわれています。 日本への渡来年代は不明ですが、最古の記録として、奈良時代の書物「東大寺正倉院奉方書」になすを献上したという記録があり、少なくとも1,200年以上前には栽培されていたことになります。

 なすは栽培の歴史が非常に古いため、古くから独自の品種が分化・発達しその土地に合う地方品種の1つとして水なすができました。

 泉州特有の品種で、その由来は定かではありませんが、室町時代の書物に水なすの元になったと思われる「澤茄子」や、また一説には、泉佐野市に残る「日根野あずきに上之郷なす」の諺から泉佐野市上之郷周辺とも言われています。

 泉州水なす特徴
 水なすは他の品種に比べて独特な性質をもった品種です。その名の通り水分が多くて柔らかく、あくが少なく独特の甘みを持つため、生でも食べられます。

 水なす部会紹介
 水なす部会は、現在166名の部会員で構成されており、年間出荷量は1,362t・販売金額は4億3,447万円となります。(令和4年度実績)

 出荷時期は12月頃から加温栽培が始まり、3月~8月がハウス栽培・5月~11月が露地栽培となります。

 「泉州水なす」で地域団体商標登録をとっており、特に水なすの浅漬けは絶品で泉州地域の特産品となっています。又、水なすはあくが少ないので生食でのレシピも多くなっています。

*https://www.ja-osakasensyu.or.jp/agri/mizunasu.php より

 「水なすの一種 馬場なす」

 馬場なすについて

 馬場なすの歴史
 水なすの一系統として貝塚で大事に受け継がれてきた「馬場なす」。
 その「馬場なす」のルーツについて

 出典: なにわ伝統野菜応援団員 森下正博氏「水茄子の発祥について」

 ナスの記録:『東大寺正倉院文書』(750年)が最も古い。『長屋王家(770年頃)の木簡』に「韓奈須比二斗」、「山背薗司進上菁□束 茄子一斗二升」と記載された木簡が出土。また調理面では、神護景雲四年(771年)に「茄子生料」、さらに『延喜式』(33大膳)に「僧一口別菓菜料-茄子六顆」とある。
 中国では『斉民要術』(405~556年)にナスの記録があり、『本草拾遺』(713年)に紫、青、丸、長等の品種が、 『王禎農書』(1303年)、『本草綱目』には「一種白而偏者皆謂之「番茄」甘脆不渋生、熟可食。又一種「水茄」其形稍長、甘而多水、可以止渇。」同様、群芳譜(1620年)に「一種水茄、形稍長、亦有紫、青、白三色根細末大、甘多而津可止渇」とある。生食用の涼水茄という茄子を天津にて1998年確認。
 庭訓往来(室町時代)に澤茄子(ミズナス)の記載があったことから、大阪府貝塚市の澤村が発祥と推定。一方、諸国産物帳(1735年)に和泉国岸和田領に「よも張、いしり、白茄子」の記載がある。また、かりそめの独り言(文政2年、1819年)に泉佐野市上之郷に浅漬けに美味しい茄子があったとの記述。そして、茄子は軟弱野菜的で日持ちがしないことから、昔では輸送が難しく、それぞれの地域で、そこの食文化とマッチした品種が土着する。その一例として、泉南では水茄子が挙げられる。
 大正15年、茄子の品種比較試験に水茄子が含まれる。昭和19年頃より旧農業試験場において系統分離が始められ、昭和27年頃には雄信達の野中系、男里系、奥野系、樽井系及び岸和田・荒木系(絹茄)など24系統以上を収集調査している。
 茄子漫談(昭和13年)に「雄信達に明治中頃何処からか伝わり、・・・その後、雄信達の水茄子が泉州地域内に広がり、在来の丸茄子や、長茄子などとの自然交雑あるいは人工交配によりそれぞれ新たな特性を持った水茄子へと系統分化していったものと推定され、中丸水茄(絹茄系)は岸和田・春木の系統「きぬ茄」などから派生し、現在の絹茄系の誕生に繋がっている。また、昭和の初め頃、篤農家により新潟に導入された水茄子は、十全、梨茄子などに選抜淘汰され育成されていった。従って明治から平成までは雄信達周辺が水茄子の中心であったといえる。
 雄信達に明治の頃に水茄云々・・・この点については平安時代より、京都の天皇らが毎年のように熊野詣でを行う。
 その街道筋に当たるのがちょうど雄信達周辺で、宿場に泊まった時の食事の饗宴に際し、やはり珍しく、美味しいものが必要である。このことからも、地域の特産であった水茄子は重要なもてなしの食材であったと推定される。
 昔は、米に湯か水を掛けて食べることが多く、かりそめの独り言にあるよう「湯漬けのおさえに茄子の浅漬けを出せにし、こは格別の佳味上之郷の茄子なり」はまことに的を得た記述といえる。
 結論:水茄子の初見が庭訓往来(室町時代)の澤茄子であり、諸国産物帳(1735年)の岸和田領には「白茄子、よも張、いしり」の3品種の茄子が記載。かりそめの独り言(1819年)には、茄子の浅漬け・・上之郷・・。茄子漫談では明治の中頃、雄信達に水茄子がもたらされ、・・それ以降、泉州に広がり他品種との交雑から新たな果実色、形、水分量の違いなど様々な変異を持った水茄子が誕生していった。
 そして、現在はその一系統である絹茄が泉州の「水なす」としてのブランド化の主役として位置づけられるに至った。

 『馬場なす』という名称は当時は無く、一般的に中長系と呼ばれていました。
 それを畠武治が平成16年地元の直売所「たわわ」を立ち上げる際に、昔から(※)栽培していた(地域に在った)このナスを産地である馬場地区の名産品となるように『馬場なす』と名付けました。馬場なすは果実の諸特性から見て、昭和27年代の在来水茄子の品種比較写真の3段目左より7番目、新家村(南系)のような中長タイプの1系統が貝塚市馬場地区で受け継がれてきたものと推定されます。

 ※少なくとも明治時代後期には馬場地区で栽培されていたという伝承がありますが、実際にはもっと古くからけ継がれてきたかもしれません。

 馬場なすの特徴

 『馬場なす』は一般的な水なすのようなふっくらとした形ではなく、普通のなすに似た形をしています。また、『馬場なす』の中にも写真のものとは少し違った首が細く先が膨らんだタイプもあるようです。
 ヘタ(ガク)には鋭い棘が沢山ついていて、果実の表皮は全体に濃い赤紫ですが、首のところはガクの下から青い部分が覗いているのが特徴です。そして、手に持つと、一般的ななすとは明らかに違いが分かるほどずっしりと重みが感じられます。果皮はとても薄く、触った感じがしっとりとしていて傷つきやすそうです。写真のものは傷がほとんどなく、栽培から収穫まで凄く気を使われたであろうことがうかがえます。
 果肉はとても緻密で、水分をたっぷりと含んでおり、皮ごと丸かじりした時の食感は皮の上からでもサクッと歯が入り、ふわふわした感じがなくそれでいて硬さを感じない何とも言えない食感です。食味的には優しい甘さにほんのりなすの香りが鼻から抜けていきとても美味しいです。

 出典:北野農園「水なすってどんなナス?」 http://www.kitanofarm.com/kf/aboutmizunasu

 上記の馬場なすと水なすの果皮の硬さの比較測定の結果から、馬場なすは一般的な水ナスに比べて比べて数値的にも果皮が柔らかく食べやすいと推定されます。

*https://www.babanasu.com/babanasu.html より

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<伝統野菜> 高知 葉にんにく

2024-02-16 07:55:11 | 伝統野菜

 「葉にんにく-はにんにく」

 【生産地】南国市

 【特徴】葉にんにくは、にんにくの成長途中に収穫した若い葉の部分で、一見するとニラに似る。旬は冬頃で、春頃になると養分がにんにく芋の部分にまわる。

 【食味】食感はネギより柔らかく、風味はニラより豊か。ほど良いニンニクの香味が食欲をそそる。

 【料理】「ぬた」高知の郷土料理酢味噌和え、かつをのたたき、くじらと葉にんにんくの煮物など

 【来歴】葉にんにくを食べる文化は朝鮮渡来によるものといわれている。土佐のにんにくのルーツは16世紀末、長宗我部元親が朝鮮の役から帰国する際、連れ帰った朴好仁一族が伝えたと言われる。これまで葉にんにくといえば、主に高知県の在来種である赤玉にんにくの葉を指した。近年、葉の成長が他種に比べて早く、幅広で長い品種が登場して、葉にんにく用として広く栽培されるようになってきた。

 【時期】葉にんにくの収穫時期は、秋取り、秋~冬取り、冬取り、春取りがある。一般的な作型は11月上旬~12月末

*https://tradveggie.or.jp/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E4%BC%9D%E7%B5%B1%E9%87%8E%E8%8F%9C%EF%BC%8D39-%E9%AB%98%E7%9F%A5%E7%9C%8C/#i-37 より

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<異名-人物> 相模の獅子

2024-02-16 07:51:45 | 異名

 「相模の獅子 北条氏康」

 北条 氏康(ほうじょう うじやす)は、戦国時代の武将。相模国の戦国大名。後北条氏第2代当主・北条氏綱の嫡男として生まれる。後北条氏第3代当主。母は氏綱の正室の養珠院。姓名は平氏康。

*Wikipedia より

 後北条氏の中興の祖として活躍したことから「相模の獅子」と呼ばれ、恐れられてきました。

*https://news.line.me/detail/oa-japaaan/20fcfdf25e6e より

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<料理用語-和食> 絹漉し

2024-02-16 07:41:05 | 料理用語

 「絹漉し」

 ①羽二重漉し(漉し器)

 ②羽二重漉しを使って漉すこと

 ③片栗粉入りの豆腐

 ④絹ごし豆腐

*https://temaeitamae.jp/top/t2/kj/6_G/018.html より

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<慣用句・諺> 大海の一滴 など

2024-02-16 07:35:07 | 慣用句・諺

 「大海の一滴」

 「大海の一粟 (いちぞく) 」に同じ。-広大な所にきわめて小さい物があることのたとえ。人間存在のはかなさなどにいう。滄海 (そうかい) の一粟。大海の一滴。

 

 「大海は芥を択ばず-たいかいはあくたをえらばず」

 広い海はどんなごみでも受け入れる。度量が広く、よく人を受けいれることのたとえ。大海は塵 (ちり) を択ばず。

 

 「大海を手で塞く-たいかいをてでせく」

 とうてい不可能なことをしようとすること、特に、仕事の困難さに対してあまりにも無力なことのたとえ。

 

 「大廈の材は一丘の木にあらず-たいかのざいはいっきゅうのきにあらず」

 《王褒「四子講徳論」から》大きな建物は、一つの山の木だけでできているわけではない。大事業は必ず大勢の力によって成就するもので、決して一人だけの力でできるものではないということ。

 

 「大廈の顛れんとするは一木の支うる所にあらず-たいかのたおれんとするはいちぼくのささうるところにあらず」

 《「文中子」事君から》大きい建物が倒れかけているのを、1本の木で支えることはできない。大勢 (たいせい) がすでに傾きかけているときには、とうてい一人の力では支えることができないということ。一木大廈の崩るるを支うる能 (あた) わず。

 

*goo辞書 より

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<難読漢字-魚> 虎魚

2024-02-16 07:28:48 | 難読漢字

 「虎魚 おこぜ」

 オニオコゼ(鬼鰧、鬼虎魚、学名:Inimicus japonicus)は、カサゴ目フサカサゴ科(あるいはオニオコゼ科)に属する魚類の一種。単にオコゼとも呼ばれる。

*Wikipedia より

 「オコゼ」の名前の由来

 オコゼは幼体だと可愛い見た目をしているのですが、大きくなった成体は酷い言われようをしています!(笑)
 特にその名前の語源からして酷い言われようなのです。

 見た目が悪いという意味でオコゼ
 オコゼという名前は、見た目が悪いという意味で付けられました。

 オコゼの「オコ」とは、顔が笑えるくらいに愚かでなおかつ奇怪なことや醜いことを意味しています。
 そして、「ゼ」は魚名語尾につく言葉となっています。
 つまり、オコゼは「ひどく醜い魚」という意味なのです。

 今の時代だと、コンプライアンスに引っ掛かりそうなくらい酷い理由で名付けられた魚なのです。

*https://getnews.jp/archives/2949364 より

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<日本酒メーカー> 岩手 菊の司酒造

2024-02-16 07:23:38 | 日本酒

 「菊の司酒造」

 菊の司酒造株式会社(きくのつかさしゅぞう)は、岩手県岩手郡雫石町にて清酒製造業を行う酒蔵である。

 概要
 創業元和年間(1615~1623)、伊勢松阪から陸中郡山(岩手県紫波郡紫波町日詰)に移った初代平井六右エ門が御宿を開業したのが始まり。その後、安永年間に六代目六右エ門が酒造業を始めた。 同所が後の日詰平井邸となる。(後述) 1927年 に酒造工場を盛岡市紺屋町に移転し、その後2021年に経営不振等を理由に株式会社公楽に事業譲渡。翌2022年には老朽化等を理由に雫石町に移転を決定した。事業譲渡からしばらくして平井家は社から離脱し、元専務の平井佑樹が日詰平井邸の活用を模索している。

 略歴
 元和年間 1615年から 1623年 - 旅館業として創業。
 1772年 - 酒造業開始
 明治初頭 - 盛岡支店開設。
 1927年 - 酒造工場を盛岡市紺屋町4-20に移転。
 1929年 - 平六商店株式会社を設立。
 太平洋戦争中 - 盛岡酒造に統合。
 1954年 - 盛岡酒造から分離独立。
 1955年 - 酒造再開。小野寺酒造店(現八幡平市)、平長酒造店(紫波町)等と合併。
 1968年 - 社名を「菊の司酒造」と改める。
 1975年 - 箱庄酒造店(現花巻市石鳥谷町)と合併。
 2021年 - 3月、岩手県を中心に遊技場等を展開する株式会社公楽に事業譲渡。グループ傘下に入る。
 2022年 - 3月、岩手郡雫石町との立地協定締結。11月、本社・工場を現在地に移転。

*Wikipedia より

 代表銘柄

菊の司 純米酒 吟ぎんが仕込
米、酵母、麹、水、そして南部杜氏が醸すオールいわて清酒。県産品種「吟ぎんが」の米らしい旨みに酸が染み渡る純米酒です。しっとりとした芳香が広がります。

 Alc.度数 :15度
 精米歩合 : 60%
 日本酒度 : +2.0
 酸  度 : 1.9

てづくり七福神 大吟醸 和心伝匠
酒米の王「山田錦」を精米歩合40%まで磨き上げ、南部杜氏が丁寧に醸した鑑評会出品大吟醸を原酒のままビンに詰めた極上の一本です。

 Alc.度数 : 17度(原酒)
 精米歩合 : 40%
 日本酒度 : +3
 酸  度 : 1.0

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<大阪-観光> 奥山雨山自然公園

2024-02-16 07:15:59 | 観光

 「奥山雨山自然公園」

 奥山雨山自然公園(おくやまあめやましぜんこうえん)は、大阪府泉南郡熊取町にある自然公園である。大阪みどりの百選、水源の森百選に選定されている。

概要

 この自然公園は1980年から1983年にかけて整備がなされていき、1984年7月に完成した。約130ヘクタールの敷地を擁し園内一帯は大阪みどりの百選、水源の森百選などに選定されている。アカマツやヒノキなど天然林が繁り、桜の名所でもある。園内にはハイキングコースが複数造られ、展望台からは和泉葛城山や関西空港などを望むことができる。雨山の麓、自然公園の玄関口たる永楽ダム周辺では、毎年、桜の開花時期になると広場や散策道路沿いの約1,000本のソメイヨシノの木に提灯をつり、「永楽桜まつり」を開催している。年間10万人以上の人々が訪れることでも知られている。2005年には近くにバーベキューや自然教室を楽しむことのできる「野外活動ふれあい広場」がオープンしている。

 現在、自然公園の域内にある土地は以前は、アカマツを主とした松林が多く松茸も採れていたようであるが、昭和期に入り「マツ枯れ」によりアカマツも減少した。その後は、ドングリのなるコナラやウバメガシなどが成長し、ウラジロ、コシダが林床をおおっている。その他、クロマツ、ヒノキ、ヤマザクラも茂っており、その植生は針葉樹:広葉樹=60:40であり、人工林:天然林=10:90である。また鳥類では、地元、熊取町の鳥でもあるメジロをはじめヒヨドリ、ウグイスなども観察することもできる。さらには、絶滅が危惧されているオオワシやフクロウの確認もされるなどしており、貴重な自然が残るエリアでもあることがわかる。

 永楽ダム
 園内の中心的施設である永楽ダムは、1965年に起工し、1968年に完成したダムである。このダムは見出川の上流部に、泉州南部地域の灌漑用水及び上水道水を確保するために築かれたダムであり、現在でも熊取町民にとって重要な用水源となっている。また、このダムの桜の道は大阪みどりの百選に選定されている。

*Wikipedia より

 大阪府の南部、熊取駅から南海バスで「大阪体育大学前」を下車し、徒歩約30分。泉南郡熊取町の水源である永楽ダム上流に広がる広大な公園。昭和59年(1984)7月に完成し、広さ130haの園内にはアカマツやヒノキなど天然林が豊かに繁り、森林浴に絶好のスポットだ。永楽ダムの周囲は約2kmの手頃なハイキングコースとなっていて、春には約1,000本のソメイヨシノが美しく咲き競う。奥山雨山自然公園内にある永楽ダムと桜の道は、「大阪みどりの百選」のひとつにも選ばれるほどで、多くの市民も憩いの場所でもある。快晴の日には和泉葛城山系や関西国際空港などが眺望できる展望台もおすすめ。小学校の野外教室としても利用されることが多く、子供たちの元気な声がこだまする。

*https://osaka-info.jp/spot/okuyama-ameyama-natural-park/ より

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