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< 郷土料理 > 茨城 わかさぎとれんこんの酢漬け

2024-05-23 07:48:02 | 郷土料理

 「わかさぎとれんこんの酢漬け」

 主な伝承地域 県内全域

 主な使用食材 ワカサギ、れんこん、酢、人参、玉ねぎ

 歴史・由来・関連行事
 「わかさぎとれんこんの酢漬け」は、国内第2位の湖面積を誇る霞ヶ浦の特産品である、ワカサギとれんこんを使った郷土料理である。
 豊富な水と肥沃な湿地帯に恵まれた霞ヶ浦周辺では、古くかられんこんの栽培がはじまり、いまでは国内生産量日本一の産地として知られている。れんこんは、1年を通して出荷されるが、夏に収穫するものはシャキシャキとみずみずしく、冬に収穫するものはもっちりとした食感になり、収穫時期によって違った味わいが楽しめる。
 また、霞ヶ浦で古くからおこなわれてきたワカサギ漁は、昭和40年代はじめごろまでは、霞ヶ浦独特の漁法である帆びき船を使った帆びき漁でおこなわれていた。真っ白な巨大な帆が特徴的で、風力を利用してひき網を引きながら漁をおこなう。白い帆を広げた何十隻もの帆引き船が湖上に浮かぶ様は、霞ヶ浦の名物であったという。しかし、風がない時は漁ができないことと、帆が非常に大きいため、突風に煽られたときに転覆する危険性も高かったことから、現在では、機械トロール船による漁になっている。近年は、乱獲気味のため収穫量が減ってきているという課題がある。
 ワカサギは骨が柔らかく、丸ごと食べられるため、手軽に調理ができることから多くの人に親しまれている。

 食習の機会や時季
 ワカサギ漁は、7月下旬から12月下旬までの間でおこなわれる。この時期にとれたワカサギはすぐに地元の加工業者に水揚げされ、鮮魚として市場に出荷される。れんこんも夏から冬にかけて収穫されるため、この時期に「わかさぎとれんこんの酢漬け」をつくることが多い。酢を使って味付けをすることで日持ちがするため、いまでも日常的に食べられている。

 飲食方法
 ワカサギはうろこをとり、塩水で洗って水気を切ったら、片栗粉をまぶして油で揚げる。れんこんは薄切りにし、揚げたてのワカサギとともに甘酢に漬け込む。しばらく寝かし、味が馴染んだら食べる。甘酢は、柚子の皮などを入れることで爽やかな風味を楽しめる。
 現在は、南蛮酢(甘酢、醤油、唐辛子)を使って「南蛮漬け」として食べられることも多い。

 保存・継承の取組(伝承者の概要、保存会、SNSの活用、商品化等現代的な取組等について)
 現在でも、食材を手軽にスーパーマーケットなどで購入できることから家庭でよくつくられている。

*https://www.maff.go.jp/j/keikaku/syokubunka/k_ryouri/search_menu/menu/wakasagitorenkonnosuzuke_ibaraki.html より

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<伝統野菜・果樹> 熊本 河内晩柑

2024-05-23 07:45:52 | 伝統野菜

 「河内晩柑-かわちばんかん」

 【生産地】熊本市

 【特徴】外観や大きさが似ているところから、“和製グレープフルーツ”と呼ばれることがある。果実は250g~450gほど。

 【食味】グレープフルーツのような苦味は少なく、さっぱりとした甘みがある。

 【料理】生食、ドライフルーツ(ピール)、ジュース、ポン酢、果実酒、ジャム、味噌ディップ、ドレッシング、カルパッチョソース、ソフトクリーム、カキ氷用シロップ、スムージー、ゼリーなど

 【来歴】1905年頃に熊本の河内村(現在の熊本市西区河内町付近)で見つかった文旦(ぶんたん)の偶発実生(ぐうはつみしょう)。偶発実生は、自然に落ちた種や捨てられた種から種子親を超える特性(糖度が高い、種が無いなど)を持つ偶然発見された品種のことをいう。発見された場所の地名「河内」と、収穫時期が春先以降であること晩生の柑橘であることから「河内晩柑」という品種名がつけられた。現在は、生産者によってさまざま名前がつけられており、愛媛では、「愛南ゴールド」「美生柑(みしょうかん)」「宇和ゴールド」「ジューシーフルーツ」「灘オレンジ」、高知では「夏文旦」、熊本では「ハーブ柑」「天草晩柑」「ジューシーオレンジ」、鹿児島では「サウスオレンジ」などとも呼ばれている。いずれも品種は「河内晩柑」である。「河内晩柑」は、文旦(ぶんたん)の系統と考えられていたが、近年のゲノム解析により弓削瓢柑(ゆげひょうかん)の変種である説が最有力となった。また、他の柑橘類と比較して、オーラプテンという脳の認知機能の維持が期待できる成分が大量に含まれていることが判明している。

 【時期】4月~7月

 奥山 聡 他「高血糖および全脳虚血モデルマウスにおける河内晩柑果皮とオーラプテンの神経保護作用」日本薬理学雑誌 155 (4), 214-219, 2020 公益社団法人 日本薬理学会

*https://tradveggie.or.jp/vegetableposts/43-kumamoto#index_NVA3Zrq3 より

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<B級ご当地グルメ> 山形 赤湯ラーメン

2024-05-23 07:44:03 | B級ご当地グルメ

 「赤湯ラーメン」

 都道府県 山形県
 地域 南陽市
 推進団体 
 概要 「赤湯ラーメン」は山形県南陽市のご当地B級グルメ。
 味噌スープに太い平打の麺。中央に真っ赤な「からみそ」(辛味噌)がトッピングされているのが最大の特徴で、少しずつ好みに合わせて溶かしながら食べる。
 札幌味噌ラーメンとほぼ同じ時期の昭和35年頃(1960年)に誕生したと言われている。

 南陽市・赤湯温泉周辺の十数店舗で提供されている。

*https://b9navi.com/%e8%b5%a4%e6%b9%af%e3%83%a9%e3%83%bc%e3%83%a1%e3%83%b3%ef%bc%88%e5%b1%b1%e5%bd%a2%e7%9c%8c%e5%8d%97%e9%99%bd%e5%b8%82%ef%bc%89/ より

 

 赤湯ラーメン(あかゆラーメン)は、山形県南陽市(旧赤湯町)で供されているご当地ラーメン。山形ラーメンは醤油ベースのスープのラーメンが多いが、赤湯ラーメンは味噌ラーメンに辛味噌がトッピングされていることが特徴である。「赤湯ラーメン」「赤湯からみそラーメン」「赤湯辛味噌ラーメン」は考案した店である龍上海の登録商標でもある。

 なお、龍上海では「赤湯ラーメン」として醤油ラーメンを提供している(2024年時点)。

 歴史

 1958年に龍上海は創業したが、創業当時はそれほど繁盛しているとは言えず、スープが売れ残ることもたびたびあった。売れ残ったスープは初代店主が自宅へ持ち帰り、味噌を入れて味噌汁にして家族で飲んでいた。その味噌汁に息子(後の二代目店主)が麺を入れ、これを美味いと父に勧めたことから開発が始まり、試行錯誤の末に、赤湯特産の唐辛子、山形の赤味噌などをニンニクや香辛料などとブレンドした辛味噌をスープに混ぜずにトッピングするスタイルが1960年に完成した。

 一般的に味噌ラーメンの元祖とされているのは、1961年に札幌市の味の三平で発売された味噌ラーメンであるが、上述のように龍上海も同時期に味噌ラーメンの販売を開始している。ラーメン評論家の大崎裕史は、当時は情報の流通も活発ではなかったので、どちらかが真似をしたということもなく、自然発生的に誕生したのではないかと推測している。

 龍上海は地元で長らく人気店として営業が続いており、激辛ブームを先取りしていたとも言える。2005年には、新横浜ラーメン博物館へ龍上海が出店を果たしている。2008年には明星食品製造のカップ麺「龍上海 山形赤湯から味噌ラーメン」がセブン-イレブンで販売され、ラーメン博物館出店と共に龍上海の名が全国に知られるきっかけとなった。

 2017年に南陽市の白岩孝夫市長の主導による「ラーメン課R&Rプロジェクト」で作成した小冊子『なんようしのラーメン』にも赤湯ラーメン、龍上海が取り上げられている。

 主な食材
 龍上海で提供する赤湯からみそラーメンに使用されている食材は以下の通り。

 スープ
 煮干し、豚骨、鶏がら、タマネギ、ニンジン
 具材
 チャーシュー、ナルト、メンマ、青のり
 辛味噌
 山形の赤味噌に唐辛子、ニンニクなどを加えたもの
 麺
 多加水麺
 食べ方
 トッピングされている辛味噌が最大の特徴であるが、辛味噌を一度に全部溶かして食べるとかなり辛くなる。そのため、少しずつ溶かして自分の好みの辛さで食べることが推奨されている。

 トッピングの辛味噌は別売りされていることもあるので、より辛い味が好みならば、辛味噌ラーメンに更に辛味噌を追加トッピングすることもできる。また、味噌ラーメンではない醤油ベースのラーメンに辛味噌をトッピングすることもできる。

*Wikipedia より

 「龍上海」 山形県南陽市赤湯二色根6-18

深いコクと旨み、原点のしょうゆラーメン
スープは鶏ガラを中心に、肉、魚介をふんだんに使い、じっくりと丁寧に仕込んでいます。手打ち麺はコシ強くモチモチしており、スープとより絡むよう良質の小麦粉を使い丹念に作っています。
昔懐かしい、当店の定番ラーメンです!

*https://ryushanhai.com/ より

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うまいッ! NHK「ほんのり甘く香り豊か!ダッタンソバ~北海道・浦幌町~」

2024-05-23 07:42:25 | うまいッ!NHK

 うまいッ! 「ほんのり甘く香り豊か!ダッタンソバ~北海道・浦幌町~」 2015年12月13日

 番組内容
 甘味と栗のような香りが特徴のダッタンソバ。ポリフェノールの一種“ルチン”が多く含まれ、注目されている。原産地は中国。1980年代に日本に入ってきたとされ、主に北海道で生産されている。おいしさの秘密は、手間をかけた栽培に加え、こだわりのそば屋の製粉や、の保存方法にある。ダッタンソバはだけでなく、茶や、菓子にも使われているが、今年、産地のホテルでは新料理を考案、“ダッタンソバの町”作りが進んでいる

*https://www.nhk.or.jp/archives/chronicle/detail/?crnid=A201512130615001302100 より

 詳細不明につき、勝手に調べてみました。

 「ダッタンソバ」

 ダッタンソバ(韃靼蕎麦、学名:Fagopyrum tataricum)は、タデ科ソバ属の一年草。製粉・製麺して、蕎麦のように食用とされる。独特な強い苦みがあるため苦蕎麦(にがそば)とも呼ばれる。「ダッタン」は漢字で「韃靼」と書き、モンゴルに住む遊牧民族の古い呼び名のひとつであるタタール人のことである。ダッタンソバの食品名は、彼らが好んだことにちなんで名づけられたとされる。

 野生種
 ダッタンソバ(栽培品種)に近縁な野生種に、多年草の虫媒植物のシャクチリソバがある。これはパキスタン、インド、中華人民共和国の南西部、タイと、ソバ属のなかでも広範囲の分布域を持っている。シャクチリソバの遺伝子やアロザイム変異を解析した結果からチベット地方に二倍体の野生種が発見され、約70万年前から150万年前頃に四倍体に分化したと考えられている。なお、一般的に食用とする混同しやすいソバ(蕎麦)とは異なる種と判明している。

 性質・分布
 日本で主流のソバ(Fagopyrum esculentum)と同属であるが、ソバが他殖性であるのに対し、ダッタンソバは自家受粉する自殖性植物で、山岳地帯を中心に広くアジアに分布している[2]。寒冷に強く、ソバが育たない気象条件や、農地に適さないような土壌条件の厳しい土地でも比較的よく育成し、主に標高が高い高山地域で食用や飼料用として栽培・利用されてきた。このような特性を生かして、通常は畑作に向かない寒冷な土地での生産性向上を目的に、品種改良や活用が国内で着目されている。

 生産地
 ロシア、モンゴル国、ネパール、中華人民共和国の内モンゴル自治区・雲南省・四川省などの1,500〜2,700m程度の標高がある亜高山帯で主に生産されている。

 日本
 日本における初の本格的な栽培は岩手県軽米町で昭和60年(1985年)頃、岩手大学の教授が持ち込んだ16粒の種子から始まったとされる。

 栽培面積は2011年(平成23年度)では全国でおよそ325ha(ヘクタール)、その内250ha以上が北海道であり生産の中心となっている。また、機能性物質ルチン含有量が多いことが注目され、ダッタンそば茶等の消費量が増加し、国産需要もあり栽培面積も増加傾向にある。北海道は「北海道の外来種リスト」において、北海道に定着しているとは言えない植物としてダッタンソバを挙げている。

 国内の主な生産地
 北海道 - 森町、当麻町、士別市、八雲町、雄武町
 長野県 - 北信地方、長和町(大門地区)
 成分及び利用

 種子
 種子の形状がソバと違い、表面のくぼみからカビが発生しやすいため、水分を低くして管理するか早期に消費する必要がある。また、ダッタンソバがソバと混入すると、蕎麦製品としての見た目や味の違いからの品質低下が指摘されており、混入に規格を設けて対応することが望まれている。

 成分
 種子の成分は普通ソバとほとんど違いがみられないが、ルチン含有量はソバの50〜100倍で非常に多い。ルチンはフラボノイドの一種で、毛細血管強化作用を持ち、血圧低下に関係するとされる機能性成分である。しかしダッタンソバ子実にはルチン分解酵素も多く、粉への加水で急速に分解して苦み成分のクェルセチンが生成する。この独特の苦みのためにニガソバとも呼ばれている。クェルセチンは、エームズ試験によりフラボノイド中最も変異原性の高い物質といわれているが、クェルセチンに分解する前のルチンには変異原性がないと言われている[9]。ソバ同様に実を原料にして、ルチンを豊富に含む健康食品のダッタンソバ茶や麺類として加工、販売されている。

 ルチン分解酵素が失活していないダッタンソバ粉から製造された乾麺、生麺ではルチンがほとんど含まれていない。麺類からルチンを摂取する場合にはルチン分解酵素を失活させたダッタンソバ粉を用いる必要がある。研究から加水分解により生成されたクェルセチンの機能性が注目されており、ルチンよりむしろクェルセチンを積極的に評価する動きがある。

 品種
 品種には道県で栽培が奨励される品種とそうではない品種がある。

 奨励品種
 北海T8号 - 農業・食品産業技術総合研究機構(農研機構)北海道農業研究センター開発
 ソビエト連邦(現在ロシア)から導入した育種素材を母体に、選抜・育成された国産品種。安定多収で倒伏しにくく、そば茶への加工に向いている。北海道の優良品種。
 奨励品種ではない品種
 信永イエロー - 長野県・永田氏によって育成されたダッタンソバの第一号登録品種
 北陸4号 - 北陸地方で主に栽培される。
 大禅 - 民間育成品種
 気の力 - タカノ育成品種
 イオンの黄彩 - (独)日本原子力研究開発機構育成品種
 満天きらり - 農研機構 北海道農業研究センター開発
 北海T8号を交配し、ソバの栽培が難しい北限地域でも育成出来るダッタンソバの新品種。ダッタンソバの難点であった強い苦みを改良し、従来のダッタンソバ品種よりも苦みが弱く良食味で麺などの加工にも向いている。
 ダッタンソバブーム
 ダッタンソバが蕎麦粉製品として日本に紹介されたのは、1997年3月12日付の『日本経済新聞』とされている。しかし、苦味をマイルドにした苦蕎麦という認知ではブームと言うまでには至らず、ルチン(ポリフェノール)の健康効果、抗酸化機能に着目された2001年を境に掲載メディアが急増している。

 このことから、ダッタンソバブームとはルチンあるいはポリフェノールのブームが背景にあったと考えられる。ダッタンソバでないソバを茹で上げた蕎麦湯にもルチンが溶け込んでいるので飲むと健康に良いというような説が流行したのも、ルチンに注目したダッタンソバブーム以降であると考えられる。※実際にはルチンは不溶性であり、通常の生そばを茹で上げた蕎麦湯の含有量は期待できない。

*Wikipedia より

 

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<料理用語-和食> 巻繊蒸し

2024-05-23 07:34:20 | 料理用語

 「巻繊蒸し」

 魚や肉でけんちん地を包んで蒸したもの。

 腹を抜いて詰め込んだり、観音開きにして包んだりする。

 餡掛けにし、しょうがを添える。

*https://temaeita.net/top/t2/kj/8_F/020.html より

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<異名-食べ物> 海のイチジク

2024-05-23 07:33:03 | 異名

 「海のイチジク ホヤ」

 ホヤ(海鞘、老海鼠)は脊索動物門尾索動物亜門ホヤ綱に属する海産動物の総称。

 そんなホヤですが、「海のイチジク」と呼ばれることがあります。

 イチジクというと、クワ科イチジク属の落葉高木、またはその果実のことですが、不老長寿の果物とも呼ばれます。

 そのイチジクを半分に切ってみると種が多く、中身が熟しています。

 その見た目がホヤを半分に切ったときと同じように見えることから、「海のイチジク」と呼ばれるようになったと言われています。

 食用に供される種であるマボヤは、日本では太平洋側は牡鹿半島、日本海側は男鹿半島以北の近海産で、天然物と養殖により供給されていますが、トリュフ同様、貴重であることからこう呼ばれるようになったと言われています。

 ちなみに、このホヤは、特にワタと呼ばれる肝臓や腸には独特の匂いがあり、酒の肴として好まれ、刺身、酢の物、焼き物、フライとして調理され、塩辛、干物に加工されます。

*https://www.alias-food.com/seafood/sea-of-fig より

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<難読漢字-鳥類> 家鴨、鶩

2024-05-23 07:31:05 | 難読漢字

 「家鴨、鶩 あひる」

 アヒル(鶩、家鴨、鴨)は、水鳥であるカモ科のマガモを原種とする家禽。生物学的にはマガモと同種である。ヨーロッパや中国などで飼育が始まり、飼育が容易なこともあり、世界中で幅広く飼育されている。

 日本における飼育に関しては諸説ある。一説では平安時代に飼育されていたとされるが、品種改良された種が中国から渡来し室町時代に飼育され始めたという説もある。「アヒル」という名称は、水掻きの足が広いことから「あしひろ」が転じて「アヒル」という説が有力である。大阪の河内地方では、豊臣秀吉が水田へのアヒルの放流を推奨したためにアヒルの飼育が盛んになった。その名残から、滋賀県長浜市では鴨料理を食べる風習が残っている。

*Wikipedia より

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<慣用句・諺> 爪で拾って箕で零す など

2024-05-23 07:27:42 | 慣用句・諺

 「爪で拾って箕で零す-つめでひろってみでこぼす」

 こつこつと苦労して蓄えたものを、一度に使い果たすことのたとえ。

 

 「爪に爪なく瓜に爪あり」

 よく似ている「爪」と「瓜」の字形の違いをわかりやすくいった言葉。

 

 「爪に火を点す」

 ろうそくの代わりに爪に火をともす。ひどく貧しい生活をする。苦労して倹約する。また、ひどくけちなことのたとえ。

 

 「爪の垢を煎じて飲む」

 格段にすぐれた人の爪の垢を薬として飲んでその人にあやかるように心がける。

 

 「爪を隠す」

 才能を人に見せないようにする。

 

*goo辞書 より

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<日本酒メーカー> 山形 米鶴酒造

2024-05-23 07:24:57 | 日本酒

 「米鶴酒造」

 米鶴酒造株式会社(よねつるしゅぞう)は、山形県高畠町で日本酒を製造する酒蔵である。「亀の尾」から選抜した「亀粋」というオリジナル酒米を有している。純粋日本酒協会会員。

 概要
 初代梅津伊兵衛が、二井宿街道沿いに元禄年間の1704年に創業。幕末には米沢藩上杉家の御用酒蔵となる。

 戦前、九代目の伊兵衛は、経験・勘頼りだった酒造りを改革しようと、十代目に大阪高等工業学校(後の大阪大学工学部)で醸造学を研究させ、腐造を防いで品質を安定させた。

 1953年12月に法人化し、株式会社米鶴本店を設立。1972年に商号を米鶴酒造に変更した。現蔵元は12代目である。

 「米作りからの酒造り」を掲げ、酒米の契約栽培に力を入れ、昭和58年(1983年)には蔵人と農家で高畠町酒米研究会を立ち上げた。米の半分は地元、二井宿産。山形県産米の使用率は95%以上となっている。

 米鶴酒造株式会社 山形県東置賜郡高畠町二井宿1076

*Wikipedia より

 代表銘柄

米鶴が自信を持って鑑評会に出品する最高峰の大吟醸酒。鑑評会での金賞受賞は30回を超えます。兵庫県産山田錦を自社で丁寧に精米し、洗米~貯蔵までの見極め全てを醸造責任者である杜氏が行っております。蔵人が手間暇惜しまず醸した、雑味の無い綺麗さと調和のとれた力強い香味をご堪能いただける逸品です。

米鶴 純米大吟醸 亀粋
米鶴蔵人でもあった高畠町酒米研究会・志賀良弘が新品種登録を果たしたオリジナルの酒造好適米「亀粋」100%使用の純米大吟醸酒。「亀粋」は背の高い稲のため倒伏しやすく栽培が大変な酒米ですが、だからこそ作り手の最高の技術が注ぎ込まれます。穏やかな洋梨・バナナ様の香味が主体の味わい美しい仕上がりで、長期熟成による経年変化も楽しめます。

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<四国八十八箇所> 第53番札所 圓明寺

2024-05-23 07:21:57 | 巡礼

 「圓明寺」

 圓明寺(えんみょうじ)は、愛媛県松山市和気町にある真言宗智山派の寺院。須賀山(すがざん)、正智院(しょうちいん)と号す。本尊は阿弥陀如来。四国八十八箇所第五十三番札所。近年は円明寺と表記されることが多い。

 本尊真言:おん あみりた ていぜい からうん
 ご詠歌:来迎の弥陀の光の圓明寺 照りそふ影は夜な夜なの月
 納経印:当寺本尊、奥之院十一面観音、四国十三仏霊場勢至菩薩
 歴史
 寺伝によれば天平勝宝元年(749年)聖武天皇の勅願を受けて行基が本尊阿弥陀如来、脇侍に観世音菩薩、勢至菩薩を刻んで開基した。当初は現在地より北西約2.5 kmの和気浜の西山という海岸にあり「海岸山圓明密寺」と称する七堂伽藍を備えた大寺であったという。後に空海(弘法大師)がこの地を巡錫し荒廃した伽藍を整備したという。

 鎌倉時代以降に幾度か兵火によって荒廃、元和年間(1615年 – 1624年)に現在地に移転。寛永10年(1633年)、須賀専斎重久がその私財をもって再興したものという。その功労により寛永13年(1636年)仁和寺の覚深法親王より須賀山の山号を賜り、仁和寺の直末とされる。

 境内
 山門(仁王門)
 中門(楼門)
 本堂:修復された前立仏・阿弥陀如来坐像と県文化財の脇仏が拝観できる。背後の厨子の中の本尊は絶対秘仏。多聞天と増長天が両脇を固め、右脇陣には阿弥陀観音勢至の三尊仏が祀られ、天井近くには左甚五郎作と云われる龍の彫物がいる。
 大師堂:大師像は令和6年12月末まで(予定)開帳中。
 観音堂:観音立像が拝観できる。
 閻魔大王像祠
 地蔵菩薩像祠:子育・水子地蔵菩薩立像、青銅仏。
 文殊石像祠
 弘法大師石像祠:松山新四国霊場第11番。
 弁財天祠:石の鳥居の隅にある。
 キリシタン灯ろう:十字架形灯ろう、高さ40 cmマリア観音とおぼしき像が刻まれ隠れキリシタンの信仰に使われたと云われている。
 鐘楼
 句碑:松根東洋城「鶴飛久や丹頂雲越やぶりつゝ」と、中野三允「麗かやめくら乃眼尓も弥陀の像」が門前左に、峨山「鈴の音能笠共々に霞みけ里」が入って右に、芳野正王「島遍路干潟歩きて近道す」がその左に、芳野井寒「いかにして剪りたる泰山木能花」が大師堂の左に、芳野佛旅「星を掃く寺の銀杏や夜半の霜」が本堂左前のトイレ入口左に、喜和子「朱印帳ひらく蝋梅匂ひけり」が納経所の前にある。
 山門を入ると右に弁財天、観音堂、鐘楼があり、左に大師堂がある。参道の中門の先正面に本堂が建ち、その左手に閻魔堂が、右奥に庫裏・納経所がある。大師堂の右に文殊堂、左奥にキリシタン灯籠がある。

 宿坊:なし
 駐車場:10台、大型3台。無料。

 文化財
 愛媛県指定有形文化財
 八脚門:三間一戸、一重、入母屋造、一軒疎垂木、本瓦葺。昭和31年11月3日指定。
 厨子:一間厨子で、入母屋造、板軒、室町時代作。昭和31年11月3日指定。
 木造阿弥陀三尊像のうち両脇侍立像:観音菩薩立像60.2 cm、勢至菩薩立像60.6 cm、寄木造、玉眼、1250年頃の作。昭和40年4月2日指定。
 松山市指定民俗文化財
 銅板納札:昭和55年10月20日指定。慶安3年(1650年)の銘がある銅板の納札は四国遍路納札では唯一のものである。四国八十八箇所を巡拝していた米国シカゴ大学のフレデリック・スタール博士によって大正10年(1921年)に世に紹介されたことで、広く知られるようになった。

 圓明寺  愛媛県松山市和気町一丁目182番地

*Wikipedia より

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