いいもの見ぃ~つけた!

「いいもの」は探せばいっぱいあります。独断と偏見による個人的「いいもの」情報発信所です。

< 郷土料理 > 茨城 煮合い

2024-05-26 07:08:04 | 郷土料理

 「煮合い」

 主な伝承地域 県央地域

 主な使用食材 れんこん、ごぼう、人参、しらたき、干ししいたけ、油揚げ

 歴史・由来・関連行事
 茨城県は全国トップクラスの耕地面積を有し、れんこんやごぼう、ねぎなど、1年を通して、多くの野菜が収穫される。特に、霞ヶ浦の湖畔でのれんこん栽培は盛んであり、れんこんの作付面積・生産量ともに日本一。こうした野菜王国の茨城県では地元でとれる野菜を活用した郷土料理がいまも根づき、その一つが「煮合い」である。
 「煮合い」は、水戸市の東部に位置する下市地方の郷土料理。歴史は古く、れんこんやごぼうなど、茨城県の特産品である食材でつくられる。名前の由来は諸説あるが、「煮て和える」ことから「煮合い」と呼ばれるようになったといわれている。「子安講(こやすこう:毎月19日に安産祈願のために子安神をまつる講)」などの多い地域で、その際のおもてなし料理として振る舞われていた。
「煮合い」は、スーパーマーケットなどで売っているのではなく、主に家庭でつくられる料理。調理方法はいたってシンプルだが、家庭によって具材や味付けの違いがあらわれる。

 食習の機会や時季
 ごぼうやれんこんなど、地元で手に入りやすい食材を多く使用してつくられる。もともとは水戸市周辺の正月や祝いの席など人の集まるハレの日には欠かせない郷土料理として食べられていた。酢を使って味付けをすることで日持ちがするため、日常的に食べられている。冠婚葬祭の際も提供され、仏事の時は人参を入れずに白い料理に仕上げる。

 飲食方法
 いちょう切りにしたれんこんと千切りにした人参、ごぼう、油揚げなどを炒め、火が通ったらだし汁、醤油などで味付けし、最後に酢を回しかけて煮る。調味料と野菜の水分だけで煮上げるのが特徴。出汁の旨味と酢のさっぱりとした味わいが良く、好みで白ごまをふりかけて食べる。

 保存・継承の取組(伝承者の概要、保存会、SNSの活用、商品化等現代的な取組等について)
 茨城県内の小学校の給食で提供されている。

*https://www.maff.go.jp/j/keikaku/syokubunka/k_ryouri/search_menu/menu/niai_ibaraki.html より

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

<伝統野菜・果樹> 熊本 葉隠柿

2024-05-26 06:58:57 | 伝統野菜

 「葉隠柿 はがくし」

 【生産地】宇城市

 【特徴】渋柿。丸い果実で高さがある。小ぶり。色はオレンジから熟すにつれ赤くなる。

 【食味】完全渋柿

 【料理】干し柿用

 【来歴】福岡県の原産といわれており、九州中北部で栽培されている。主産地は熊8割近くを占める。「葉隠柿」の名は、葉が隠れるほど、たわわに実がなることから付けられた。「高瀬(たかせ)」とも呼ばれる。

 【時期】11月中旬~下旬

*https://tradveggie.or.jp/vegetableposts/43-kumamoto#index__Q3MK1KW より

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

<B級ご当地グルメ> 山形 鳥中華

2024-05-26 06:32:50 | B級ご当地グルメ

 「鳥中華」

 鳥中華(とりちゅうか)は、山形県発祥の麺料理である。"蕎麦店から生まれたラーメン"として親しまれている。

 概要
 蕎麦のつゆに使われる和風だしのスープにラーメンの中華麺を入れ、鶏肉、天かす、海苔などをトッピングした料理である。山形県内の蕎麦屋などで提供されている。

 誕生は天童市にある1861年創業の「手打 水車生そば」であるとされ、元々は賄い料理として提供していたものである。その賄いで出していたものを近所の温泉街の酌婦が聞きつけ、そこから裏メニューとして一般客に提供していた。その後、メニュー化し知れ渡っていった。B級グルメのコンテストでは過去に全国6位に選ばれた実績も持つ。

 商品化
 袋麺
 みうら食品「山形 そば屋の中華 鳥中華 和風そばつゆ味」
 カップ麺
 2019年 - ヤマダイ「ニュータッチ 大盛山形鳥中華」
 2022年 - サンヨー食品「大和イチロウおすすめ! 鳥中華どんぶり 和風そばつゆ味」
 2022年 - エースコック「まる旨 山形鳥中華」
 2024年 - 東洋水産「マルちゃん満足の極み 山形鳥中華」(セブンイレブン限定)

*Wikipedia より

 「手打 水車生そば」 天童市鎌田本町1丁目3-26

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

うまいッ! NHK「あまくとろける食感 深谷ネギ~埼玉県・深谷市~」

2024-05-26 06:23:08 | うまいッ!NHK

 うまいッ! 「あまくとろける食感 深谷ネギ~埼玉県・深谷市~」 2016年01月24日

 番組内容
 埼玉県深谷市の深谷ネギは、1年を通して出荷されるが、中でも11月から3月末までの「秋冬ネギ」は、もっともおいしいとされ、市場価格も一般ネギの3倍以上の値がついたことがあるほど評価が高い。その特徴は、白い部分が30センチ以上もあり、糖度が最高で15度ほどとあまみが強く、熱が通ると、とろける食感があること。鍋の季節、旬を迎えた深谷ネギのおいしさの秘密を探る。

*https://www.nhk.or.jp/archives/chronicle/detail/?crnid=A201601240615001302100 より

 詳細不明につき、勝手に調べてみました。

 

 深谷ねぎの歴史 更新日:2024年04月18日
 はじめに
 深谷市はねぎの生産量が全国トップクラスであり、深谷ねぎは全国的なねぎのブランドとして定着している。深谷ねぎは品種名ではなく深谷地方で栽培されたねぎの総称であり、現在ではかなりの多様性を持つようになっている。根深ねぎ・千住群に属し、品種は多数存在する。深谷市外の利根川流域で栽培されたねぎも「深谷ねぎ」の名称で販売されている。

 明治時代
 深谷でのねぎ栽培は明治30年頃、利根川右岸の北郷と言われる肥沃な沖積地帯から始まった。藍作が衰退して養蚕が盛んになり、併せてねぎ、やまといも、ごぼうなどの野菜類が主力農産物になった。言い伝えでは旧八基村大塚の人が千葉県柏地方より千住赤柄系のねぎを導入して自家用につくったのが深谷ねぎの最初だといわれる。その後、明治末期には最大の生産量になった新会(新戒)のほか八基、中瀬、大寄など深谷ねぎの産地になっていった。当時の生産は新会でさえ米、大麦、養蚕を主とする全価額の7%に過ぎない。

 大正時代
 大正時代には「深谷葱」の名が生まれた。大正時代にねぎの相場が下がったことがあり、当時の八基村の指導者渋沢治太郎が、乾物屋永徳屋本店の安部彦平(後の初代深谷市長)に相談し、安部が取り引き先の信州、北陸、北海道、東北に深谷駅からねぎを出荷した際に、駅名をとって「深谷葱」の商標をつけたのが最初といわれる。それまで近辺にのみ出荷されていた深谷ねぎが東京デビューしたのは大正5年(1916)、大塚の人によって出荷されている。その3年後には血洗島の人が2トントラックにむきねぎを積んで直接東京へ出荷したのが、当時画期的な出来事として話題になったといわれる。大正の終わりには個人より団体で出荷するメリットが見出され、豊里に相次いで組合が誕生。東京を主な消費地として発展した深谷ねぎの流通は当初「土つき六貫目俵」で輸送され、途中の板橋志村坂では「立ちん棒」と呼ばれる人々が重い荷を押して運ばれたという。

 昭和時代
 昭和4年(1929)に起こった世界恐慌による海外市場喪失で養蚕業が大きな打撃を受けたこともあり、ねぎ栽培は拡大していく。中心は新戒(しんがい)33地域をはじめとする市北部であった。

 昭和に入ってからも、豊里は農業先進地区として周辺ねぎ生産界を牽引した。戦後の消費拡大とともに市北部豊里、明戸地区のねぎ作付面積は増加した。昭和43年(1968)の生産農業所得では、豊里村(当時の平均所得は埼玉県全体の2倍以上であった。その後、交通手段の発達とともに流通も変化した。おもな消費地である京浜地区だけでなく「山出し」と呼ばれる北海道、東北ルートも「野菜移出商人」によって拓かれた。かつては土がやわらかく寄せにくいため、ねぎに不向きとされた南部の藤沢地区櫛引でのねぎ導入は、昭和50年(1975)頃にインスタントラーメンの乾燥野菜用として始まったといわれる。この頃には技術的な向上もあり、また土にとってねぎは新しい作物だったため、南部でも高品質のねぎが生産されるようになり状況は変わっていく。

 生産安定への取組
 機械化
 ねぎ栽培を経営の柱に位置付け、ねぎ栽培面積の拡大を地域目標に掲げ取り組んでいく中で、安定生産が課題となる。こうした中、平成6年、農家の発想で冬ねぎの生理・生態にマッチした「挿し苗定植法」が導入され、肥培管理の試行錯誤を繰り返し、生産が安定、収益向上へつながった。しかし、この頃外国からのねぎ輸入が進み、価格の低迷から産地では危機意識が高まり、更なる安定生産、コスト低減、栽培技術が求められるようになる。また、厳しい真夏の炎天下の植え付け作業の軽減、作業時間の短縮も課題であった。そこで、手作業による植え付け作業から植付機の開発と栽培技術の体系化に向け、埼玉県、農機メーカー(井関農機株式会社、JAふかやの三者と地元農家の協力から「ネギ平床移植機」を利用した高位生産技術を組み立て、これにより周年生産専作経営への道が開かれた。

 品種作り
 昭和初期に共同出荷組織が定着したところから、品質の向上を図る上で、品種の統一が必要になった。そのため、農政研究会や八基農業研究会が組織され、品種改良に努め、その研究の結果「農研」が生まれ、その後合柄系の分けつ型で耐寒性のある「農研2号」が誕生する。口の中に入れると、とろけるような甘味があり、「深谷葱」の名を高めた。しかし、収量が少なく、型くずれを起こすなどの欠点があった。その後、中瀬の西田正一氏の長年にわたる研究成果である「西田」が「深谷葱」の主流をなし、息子の西田宏太郎氏によって「宏太郎葱」(農水省品種登録第947号、商標登録第4387180号)が生まれた。

 特徴
 深谷ねぎの特徴は、繊維のきめが細かく柔らかいこと、糖度が高く甘いこと、白根の部分が長く、皮を剥くと白く美しいこと、などが挙げられる。特に、糖度は10~15度前後の糖度があるといわれており、その糖度はミカンなどの果物に匹敵する。冬の深谷ねぎは特に甘く、地元では「ネギぬた」という料理で食べられることも多い。

*https://www.city.fukaya.saitama.jp/soshiki/sangyoshinko/nougyoshinkou/tanto/tokusan/fukayanegi/13896.html より

 

 「深谷ねぎ」更新日:2023年04月10日
 深谷ねぎのおいしさ
 深谷ねぎは一年中収穫されますが、収穫期によって「春ねぎ」「夏ねぎ」「秋冬ねぎ」に分かれます。薬味やなべ物、お味噌汁などに欠かせないねぎですが、深谷ねぎの旬はなんといっても12月頃から出荷が始まる「秋冬ねぎ」。寒さで甘みが増す冬の時期、深谷の大地が育んだ、甘くてやわらかい深谷ねぎのおいしさをぜひ堪能してください。

 深谷ねぎ選びのポイント
 重さがあり表面が滑らかでみずみずしく、巻きがしっかりしているもの
 白い部分が多く、緑と白の境がくっきりしているもの

 深谷ねぎの保存方法
 買ってきたら、乾燥しないように新聞紙でくるみ、冷暗所に立てて保存します。
 残ったねぎは葉と白い部分に分けてビニール袋に入れ、立てて冷蔵庫の野菜室へ。早めに使い切りましょう。
 泥つきのねぎは、洗わずに新聞紙でくるみ、冷暗所に立てて保存します。場所があれば庭などに埋めておけば、さらに日持ちします。

 ねぎの栄養
 ねぎ独特の匂いはアリシンと呼ばれる揮発性の成分です。

 体力回復
 血行をよくして身体を温める
 肩こりや疲労の蓄積を防ぐ
 神経を鎮め血行を活性化させる
 などの効果があります。 また、ねぎなどのアリシンを多く含む食材は、強力な殺菌作用があり、疲労回復に効果があるビタミンB1の吸収を助け、その効果をアップしてくれます。

 たんぱく質の消化を促す
 胃液の分泌を促す
 発汗作用を促す
 解毒酵素の働きを助け、病気への抵抗力を高める
 などの効果が知られています。 ビタミンB1はさまざまな食材に含まれていますが、玄米や豚肉、うなぎなどに比較的多く含まれています。こういった食材を食べて身体を温め、病気への抵抗力を高めることで、寒い時期はもとより日ごろからの健康管理に気をつけたいものです。

 昔から、風邪のひき始めや冬などに、ねぎやしょうがを入れた熱々のお味噌汁やなべ物を…というのはこれらの効果を狙ったものなのでしょうね。

 また、夏の暑い時期、麺類の『薬味』としてもねぎなどの香味野菜が用いられますが、食欲を増進させる効果もあります。

 ねぎは、積極的に摂りたい野菜の一つ。

 「深谷ねぎ」で、体の基礎づくり!しませんか。

 ねぎの豆知識
  ねぎは中国西部地域が原産とされています。日本では奈良時代以前から栽培され、「日本書紀」にも記載がある歴史のある野菜です。江戸時代中期には既に全国各地で気候風土にあったねぎが栽培されていたようです。

  ねぎは大別すると緑の葉の部分を食べる葉ねぎと、主に白い部分を食べる白ねぎの2種類があります。関西では葉ねぎが主流ですが、関東では主に白ねぎを栽培してきました。白ねぎは根元の土を何度も高く寄せる、土寄せという作業を行うことで光を遮断し、ねぎの軟白部分が長くなるように栽培していきます。関西は土壌が浅いため葉ねぎの栽培に、関東では土層が深くやわらいため、白ねぎの栽培に適していたようです。  

 お問い合わせ先 農業振興課

*https://www.city.fukaya.saitama.jp/soshiki/sangyoshinko/nougyoshinkou/tanto/tokusan/fukayanegi/1391490851596.html より

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

<料理用語-和食> 子・卵

2024-05-26 06:18:00 | 料理用語

 「子・卵-こ」

 「こがらみ」「子持ち」などの献立に使われる言葉。

 殆どの場合は魚卵を使うが、鳥獣類の卵を用いることもある。

*https://temaeita.net/top/t2/kj/9_G/01.html より

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

<異名-食べ物> 海のパイナップル

2024-05-26 06:11:37 | 異名

 「海のパイナップル ホヤ」

 ホヤ(海鞘、老海鼠)は脊索動物門尾索動物亜門ホヤ綱に属する海産動物の総称。

 そんなホヤですが、「海のパイナップル」と呼ばれることがあります。

 パイナップルというとトゲトゲしていて、甘酸っぱい印象がある果物ですが、ホヤのとげとげした質感や形がパイナップルに似ていることから「海のパイナップル」と呼ばれるようになりました。

 食用に供される種であるマボヤは、日本では太平洋側は牡鹿半島、日本海側は男鹿半島以北の近海産で、天然物と養殖により供給されています。
特 にワタと呼ばれる肝臓や腸には独特の匂いがあり、酒の肴として好まれ、刺身、酢の物、焼き物、フライとして調理され、塩辛、干物に加工されます。

*https://www.alias-food.com/seafood/sea-of-pineapple より

 結局のところ、「ホヤ」の異名は「海のイチジク、海のトリュフ、海のパイナップル」などがあるということ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

<難読漢字-鳥類> 鵤、斑鳩

2024-05-26 06:05:00 | 難読漢字

 「鵤、斑鳩 いかる」

 イカル(鵤、桑鳲、学名:Eophona personata)とはスズメ目アトリ科の鳥類である。

 木の実を嘴(くちばし)で廻したり転がしたりするため古くは「マメマワシ」や「マメコロガシ」、木の実を好んで食べるため「まめうまし」、「豆割り」などと呼ばれた。イカルという名の由来は奈良県の斑鳩とも鳴き声が「イカルコキー」と聞こえるからとも言われるが、定かではない。また古来より「イカルガ(鵤、斑鳩)」とも呼ばれる。なお、前者「鵤」については「角のように丈夫な嘴」を持つ当鳥に由来しているが、後者「斑鳩」の字を充てることは厳密には誤用であり、首に模様があるジュズカケバトを指していたという説もある。清少納言「枕草子」(第四十一段「鳥は」)には好ましい鳥の一つとして「頭赤き雀、いかるがの雄鳥、たくみ鳥」と記されている。

 学名は Eophona がギリシア語で「暁の声」、personata がラテン語で「仮面をかぶった」を意味する。

*Wikipedia より

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

<慣用句・諺> 面の皮を剝ぐ など

2024-05-26 06:00:21 | 慣用句・諺

 「面の皮を剝ぐ」

 ずうずうしく振る舞う人の正体をあばいて、面目を失わせる。面の皮をひんむく。

 

 「面を膨らす」

 不服な顔つきをする。ふくれつらをする。

 

 「面を見返す」

 自分を辱めた人に仕返しをする。

 

 「釣り合いを取る」

 つりあうようにする。

 

 「釣り合わぬは不縁の基」

 身分のつりあわない男女の結婚はうまくいかず、離縁などをすることが多いということ。

 

*goo辞書 より 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

<日本酒メーカー> 山形 千代寿虎屋酒造

2024-05-26 05:55:03 | 日本酒

 「千代寿虎屋酒造」

 千代寿虎屋株式会社(ちよことぶきとらや)は、山形県の清酒製造業を行う酒蔵である。寿虎屋酒造株式会社の分家。

 沿革
 1922年(大正11年) 虎屋本店8代目当主大沼保吉が、寒河江の造り酒屋「石山佐助」の酒造工場を買収して虎屋第三酒造場として創業。
 1940年(昭和15年)虎屋より分離独立し「虎屋寒河江酒造場」と改名。次男大沼義之助が2代目経営者となる。
 1952年(昭和27年)「千代寿」の商標を登録。
 1960年(昭和35年)社名を虎屋酒造合資会社に変更する。
 1976年(昭和51年)全国で初めてチェリーワインの製造販売を開始。
 1984年(昭和59年)10月社名を千代寿虎屋酒造合資会社に変更し、長男の大沼保義が3代目社長となる。
 2012年(平成24年)1月大沼保義は千代寿虎屋株式会社会長就任。長男の大沼寿洋は社長となる。

 千代寿虎屋酒造 山形県寒河江市南町2-1-16

*Wikipedia より

 代表銘柄

純米大吟醸 虎睡 千代寿
外観は透明感と輝きのある色合い。青りんご用のフルーツ感を感じる香りと美山錦のすっきりした舌ざわり、透明感が最後まで細く長く残るイメージでしなやかな後切れ。

原料米 美山錦(山形県大江町産)
精米歩合 48
アルコール度数 15
日本酒度 2
酸度 1.3
淡麗度 淡麗
甘辛度 やや辛口

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

<四国八十八箇所> 第56番札所 泰山寺

2024-05-26 05:45:36 | 巡礼

 「泰山寺」

 泰山寺(たいさんじ)は、愛媛県今治市小泉にある真言宗の寺院。金輪山(きんりんざん)勅王院(ちょくおういん)と号す。本尊は地蔵菩薩。四国八十八箇所第五十六番札所。

 本尊真言:おん かかかび さんまえい そわか
 ご詠歌:みな人の詣りてやがて泰山寺 来世(らいせ)の引導(いんどう)たのみおきつつ
 沿革
 寺伝によれば弘仁6年(815年)に空海(弘法大師)が梅雨期に当地を訪れた際に、蒼社川が氾濫していたが、村に伝えられる悪霊の祟りと考えられていた。空海は村人と堤防を築き、河原で土砂加持の秘法を七座にわたって修し、満願の日に空中に延命地蔵菩薩を感得し治水は成就した。空海はその修法の地に不老松を植え、感得した地蔵菩薩像を刻み金輪山々上に堂宇を建て本尊として安置したという。泰山寺の名は延命地蔵経中の「女人泰産」からとったものである。一説には道教の五岳の一つである東岳泰山からの引用ともいわれる。

 天長元年(824年)には淳和天皇の勅願所となり、七堂伽藍を備え10坊を持つ規模となったものの数度の兵火により衰退し、空海が不老松を植えた山麓の現在の場所へ移築された。

 境内
 本堂:安政元年(1854)再建。
 大師堂:昭和60年(1985年)落慶。大師像を拝顔できる。
 鐘楼:明治14年(1881年)建立。今治城内の太鼓楼の古材で再建された。
 仁王像:仁王門は無く本堂と客殿の間の廊下に立っている。
 不動明王石像、役の行者石像、理源大師石像、如意輪観音石像・・・
 弁財天祠:小さい池の中に祠。
 不忘松:弘法大師が寺を建立した際に手植えしたという伝説が残る初代の松の切り株が祀られた祠があり、足腰に御利益がある。現在は三代目の松が育っている。
 持仏堂:如意輪観音菩薩像を障子戸が開いていれば見ることができる。(入口を入って正面)
 今治市郊外の田園の中、石垣に囲まれた高台にあり、2000年に改修された白い漆喰塀が美しい。数段の石段を上ると石柱門が立ち境内に入る。正面に客殿その右に納経所さらに右に鐘楼がある。大師堂は右後ろになる。本堂は左奥にある。

 宿坊:定員80名(季節営業 3〜5、9〜11月のみ)
 駐車場:30台、大型4台(駐車料金:普通車200円)

 泰山寺  愛媛県今治市小泉一丁目9-18

*Wikipedia より

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする