「吉田拓郎」
1946年4月5日生まれの74歳
「等身大」 歌った先駆者
「広島時代から今まで、結局は変わってない」。9月、レギュラーを務めるラジオ番組「オールナイトニッポンGOLD」で、懐かしい歌声が流れた。アマチュア時代の1969年、広島市青少年センターでステージに立った「よしだたくろうフォークどくえん会」の貴重な録音。「自分の作る歌は、当時から『日記』だった」と、音楽人生の原点を振り返った。
広島商科大(現広島修道大)在学中、4人組のロックバンドを結成。独学でギターの演奏技術を磨き、ソロでもオリジナルソングを奏で歌った。コンサートを自主開催していた大学生たちのグループ「広島フォーク村」で人気者となった。70年のデビューシングル「イメージの詩」は、広島時代の作。世に拓郎節を印象付けた長大な歌詞は、失恋した心情を書いたものだったという。
72年に「結婚しようよ」が大ヒット。等身大を歌うシンガー・ソングライターの先駆者として、若者から熱狂的な支持を集めた。当時主流だったテレビの音楽番組ではなく、全国を回るライブツアーを中心に活動。深夜放送のパーソナリティーとしても人気を博した。今は「普通」となったミュージシャン像を作り上げた。
昨年は東京や名古屋など7カ所のツアーを成功させた。「愛、家族、友達、裏切り、信頼、正義、悪、心。そうした全てを音楽と共に感じながら生きてきた。すばらしいことだったな、と思う」とリスナーに語りかけた。(西村文)
よしだ・たくろう 鹿児島県生まれ。小3から広島市へ▽1971年、広島商科大(現広島修道大)卒▽74年、森進一に提供した「襟裳岬」で日本レコード大賞▽75年、静岡・つま恋で6万人ライブ▽96~2001年、音楽番組「LOVE LOVEあいしてる」出演
*https://www.chugoku-np.co.jp/column/article/article.php?comment_id=695820&comment_sub_id=0&category_id=450 より
J-POPを語るうえで「吉田拓郎」をはずすわけにはいかないだろう。
「フォークソング」において「政治色」を排除し、ふだんの生活や恋愛を歌った。軟弱ともとられたが、ブレることなく歌い続けた。
歌謡曲とも従来のフォークソングとも違う「拓郎節」は、以降のフォークシンガー・ニューミュージックに大きな影響を与えた。
そして、「女の子にもてたい男たち」がギターを弾くようになる。
「シンガーソングライター」という職業が成立するにも大きな影響を。
まだまだ「現役」と思いたいのだが・・・
2019年にラストツアーを敢行したが、昨年「ラストコンサート」の予定がコロナ禍で延期に。
「<現役ミュージシャン> 意外な年齢の・・・」を書こうと思った理由の一つは、今もラジオ番組を続けている「吉田拓郎」という男の存在があった。
「ラスト~」という言葉が出るたびに「惜しい」と感じる。
まだまだ頑張ってもらいたいミュージシャンの一人である。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます