「田村酒造場」
田村酒造場(たむらしゅぞうじょう)は、東京都福生市福生に本社および工場を置く日本の酒造業者。現在、東京にて伝統を守っている10軒の酒造業者の一つである。
概要
田村家は代々、武蔵国多摩郡福生村(現・福生市)の名主を務めた家柄で、17世紀後半(元禄時代頃)の古文書に先祖「半十郎 豊真」の名が確認される旧家である。歴代の当主は半十郎・十兵衛・文左衛門という通称を名乗っていた。江戸時代の福生村は幕府領で、田村家は村の政治一般を司る村役を務めていた。田村酒造場は、1822年(文政5年)、9代目・田村勘次郎(賢真)が酒造業を興したのに始まり、「嘉泉」ブランドの日本酒を醸造販売する老舗酒造メーカーである。
「嘉泉」の由来
1822年(文政5年)、9代目・田村勘次郎が造り酒屋を始めるに当たって、敷地内各所で井戸を掘ったところ、大欅(おおけやき)の根元から泉が湧き出したため、これにちなんで酒銘を「嘉泉」と名付けられた。この井戸水は創業以来、仕込み水として使われている。
沿革
17世紀後半(元禄時代頃) - 始祖・田村半十郎(豊真)、武蔵国多摩郡福生村(現・福生市)を切り開く。江戸時代の福生村は幕府領で、田村家は名主などの村役を務めた。
1804年(享和4年) - 9代目・田村勘次郎(賢真)、名主を継ぐ。
1822年(文政5年) - 9代目・田村勘次郎(賢真)、46歳の時に酒造業を興し創業者となる。後に、田村家敷地内の井戸から、酒造に好適な中硬水の秩父奥多摩伏流水を得たことから「嘉泉」と酒銘を定める。
1903年(明治36年) - 酒税政策や税法の整備に伴い、江戸時代より続いた「店内関係」の役割を終える。
1975年(昭和50年) - 15代目・田村半十郎、「まぼろしの酒 嘉泉」を完成した。
1983年(昭和58年) - 高橋雅幸入社(後の、初代地元採用の杜氏)。
1988年(昭和63年) - 当時、岩手の南部杜氏10名が、11月下旬に蔵に来て酒を作っていた。
1992年(平成4年) - 機械化のため棟を一つ造り、連続蒸米機、自動製麹装置などを導入。高橋雅幸「頭(かしら・杜氏を助けるナンバー2)」に任命される。
1999年(平成11年) - 高橋雅幸、南部杜氏協会において杜氏資格取得。
2008年(平成20年) - 16代目・田村半十郎、現当主が襲名した。
2016年(平成28年)11月 - JR両国駅舎内の商業施設「-両国-江戸NOREN」に「東京商店」オープン。
田村酒造場 東京都福生市福生626番地
*Wikipedia より
代表銘柄
嘉泉 大吟醸 對鴎
精米歩合 35%
日本酒度 +3~+5
酸 度 1.1~1.3
ALC度数 16度
おすすめ 冷やして
配送区分 常温
保管方法 冷暗所
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