「鬼虎 小畠/小幡虎盛」
小畠 虎盛(おばた とらもり)は、戦国時代の武将。武田信虎、武田信玄の2代に仕える。父は小畠日浄(盛次)。
武田の五名臣、武田二十四将の一人としてそれぞれ数えられる。なお小幡姓とするのは誤り(小幡氏は上野国の武家の名で、子の昌盛が信玄に許されて名乗ったもの。なお、虎盛は上野小幡氏の遠縁とする系図もある)。 娘婿に市川等長(梅隠斎)の子・平右衛門、原与左衛門尉(『甲陽軍鑑』)。
元々は遠江国の出身で、父親が武田信虎に仕官したのに伴い1500年(明応9年)に甲斐国に入る。1504年(永正元年)に父が今井信是の叛乱鎮圧に出陣して討死すると14歳で家督を継いだ。信虎麾下の足軽大将として甲斐国統一戦や今川氏、後北条氏との戦いで活躍。大永元年に今川氏配下の福島正成が甲斐に攻め込んできた際には、原虎胤と共に先鋒として迎撃の最前線を担ったとされる。それら今川、北条氏との戦功から信虎の偏諱を受けて「虎」の一字を貰い、虎盛と名乗って、その武勇から「鬼虎」と称された。
*Wikipedia より
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます