「京人形」
Description / 特徴・産地
京人形とは?
京人形(きょうにんぎょう)は、京都府の京都市周辺で作られている日本人形です。頭師・手足師・髪付師・小道具師・胴着付師などの職人たちがそれぞれの技を錬磨しています。
京人形の特徴は、製作工程が細かく分業化されていることにより生み出される高い品質と深い趣です。
現在、京人形と呼ばれるものは、「雛(ひな)人形」「五月人形」「御所人形」「市松人形」「浮世人形」「風俗人形」などです。「雛人形」は最も多く生産される衣裳着人形のひとつで、現在は京人形の主流を占めています。
武者人形や金時(きんとき)、鍾馗(しょうき)、鎧・兜飾りなどの「五月人形」は、端午の節句に飾られる人形です。主に赤子の裸姿をテーマにした「御所人形」は、江戸時代に宮廷から諸大名への贈答品として用いられた由緒ある人形です。
男女の子ども姿の「市松人形」は、市松模様で知られる江戸時代の歌舞伎役者・佐野川市松の顔に似せて作られました。
ほかにも西陣の産地を持つ京都では、時代風俗を模した「風俗人形」や「浮世人形」など布地を用いる衣装着人形があります。
History / 歴史
古くから信仰や呪術の対象として用いられてきた人形は、疫病や災厄の身代わりを願う意味合いを持ち、「人形 (ひとがた)」や「形代(かたしろ)」と呼ばれていました。
貴族文化が花開いた平安時代には、この「人形 (ひとがた)」の呪術的な趣旨が徐々に薄れていきます。貴族の姫君の間で「雛(ひいな)」という人形を使う「雛遊び(ひいなあそび)」が行われ、これが京人形の始まりと言われています。
江戸時代に国政の中心が江戸に移ると、3月3日(上巳)に雛遊びが行われるようになり、「雛」が座り姿の「雛人形」に変化していきます。こうして雛祭りが成立し、手遊びの玩具人形から、子どもの誕生や成長を祝う節句人形へと変わっていきました。
また、5月5日(端午)には男児の節句人形として飾兜や武者人形が作られるようになります。京都では新しい人形文化が開花し、ほかにも「嵯峨人形」「加賀人形」「御所人形」「風俗人形」「市松人形」などが次々と生み出されました。その伝統的技法は連綿と受け継がれ、現在もなお磨かれ続けています。
*https://kogeijapan.com/locale/ja_JP/kyoningyo/ より
柔らかな表情に芯の強い気品を感じる京人形
気品ある姿に西陣を羽織る見返り美人。ふっくらとした表情に愛らしい仕草の童人形など、京人形は見ているものを魅了する。人形(ひとがた)をした美術品。けれど、柔らかで芯の強さを感じさせる京人形に、美術品独特の近寄りがたさはない。
人形師の情熱が生みだす京人形
京人形師、片岡行雄さん。親子二代にわたって、京人形の製作に携わってきた。父は京人形師として一世を風靡した「片岡光春」さん。村井はる氏の門下生で、京人形の着付けに独特の美を極めた名工。昭和30年~55年頃にかけての、京人形の黄金時代を引っぱってきた人形師の1人。あでやかな「光春人形」は全国のファンを魅了し、その遺作は今も全国各地で見ることができる。(名家・豪商などの秘蔵品展)
そんな父に連れられ、片岡さんは小さい頃から頭師・手足師・髪付師の工房をまわった。芸術家肌だった光春氏は、それぞれの専門家たちに対し、熱心に「自分が作ろうとする人形」「自分の思い描いている人形」のイメージを伝え「本当にいいもの」を作ろうとしたと言う。「小さいうちは、大人のする難しい話はわからないですから。その話合いが、終電がなくなる程夜遅くまで続けられるので、子供心に“早く家にかえりたいなぁ”と思ったものです」と笑う。
人形づくりに携わる中で
人形師としての父の生きざまを、目の当たりにしてきた片岡さん。“着付け”という仕事は、「単にマネキン人形に着物を着せる感覚ではないのです。分業化されて仕上がってくる“頭”や“手・足”“小道具”を、その人形が一番生きるようにコーデネィトしていく」仕事だと言う。片岡さんの傍らには、ぽってりとした表情の童人形が、様子伺いな仕草をして立っている。既成の人形とは違った、味わいのある創作人形だ。「人形作りに携わっていると、だんだん自分の思う人形が作りたいと考えるようになってくるんです」。「実際にこうして全部自分で作ってみると、本当に勉強になることばかりです。“頭”や“手・足”“小道具”の、どれについても言えることですが、“規格にないものが欲しい”からと言って、実際技術的に出来る事と出来ない事、出来ても大変難しい事があるんです。そういう予備知識を持って、それぞれの専門家にお願いしないと無茶を言うことになりますから」。分業で製作される“頭”や“手・足”“小道具”には、幾種類かの規格がある。しかし「より良いものを作ろう」とすると、規格にはない“頭”や“手・足”“小道具”が必要になることがる。そうなった時、コーディネーターとしての着付け師には“毎日膝をつきあわせて熱心に話した”光春氏のような情熱が必要になるのだ。
全身で語りかける様な、表情の豊かさ
人形の着付けについても「ただ型通りに裁断して、仕立てて着せたらいい、というものではないんです」。その人形の設定を考えて、顔の向きや手足、着物の袖や裾に表情を付けて初めて着付け師の仕事になるのだと言う。確かにショールームの中の人形は、どれをとっても今にも話しかけ始めるのではないかと思うくらい、表情豊かだ。全身で、もの言わんとしてくる。嬉しいのも甘えた気なのも、顔の表情だけでなく、首の傾げ加減・手や足の仕草・着物の折れ、跳ねから伝わってくる。人形全体の雰囲気が、見る人の心を動かす。
人形に平和の祈りを込めて
芸術家との交流が深かった父・光春氏に相対し、片岡さんは哲学的な目線で人形を捉えている。人形が社会の中で持つ意味や位置付け。社会の変化に伴い、人形は今どうあるべきなのか、と。時代時代に生きた人形師達は、世の中の変化や人々の願いを受け“人形(ひとがた)”にその技と心を写してきた。柔らかで芯の強さを感じさせる京人形に、片岡さんはどんな思いを込めているのだろう。「これは今作っている創作の一つで、すべて木で出来ているものなんです」と説明された人形は、ふっくらとした表情に愛らしい仕草をしている。この、豊かな表情をもつ京人形の内側には強い「祈り」が込められている。人形の持つ社会的な意義。片岡さんはそれを「平和の象徴であり実現」だと考えている。 “いい人形を作りたい”という光春氏の思いが、今もしっかりと受継がれている。
職人プロフィール
片岡行雄 (かたおかゆきお)
1934年11月18日生まれ。
京人形師。
伝統工芸士
京都府匠会会員
*https://kougeihin.jp/craft/1307/ より
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