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<経産大臣指定伝統的工芸品> 三重 伊勢形紙

2021-06-01 07:35:56 | 経済産業大臣指定伝統的工芸品

 「伊勢形紙」

 Description / 特徴・産地

 伊勢形紙とは?
 伊勢形紙(いせかたがみ)は、三重県鈴鹿市着物周辺で作られている型染めに用いられる型紙です。古くから伊勢の地・白子(現在の鈴鹿市あたり)で作られたことから、「伊勢形紙」または「伊勢型」「白子型」などの名で呼ばれていました。現在も鈴鹿市を中心に生産されており、「伊勢<形>紙」と「伊勢<型>紙」の両方の字が併用されています。
 伊勢形紙は、柿渋(かきしぶ)で張り合わせて補強した美濃和紙を台紙にし、職人が彫刻刀による手彫りで図柄を彫り抜いて作られます。彫刻技法には「縞彫り」「突彫り」「道具彫り」「錐(きり)彫り」の4種類があります。
 伊勢形紙の特徴は、卓越した職人がさまざまな彫刻刀と技法を駆使して丹念に作り上げる独特の風合いです。この型紙は主に、友禅や小紋、浴衣など着物の模様や柄を染めるために用いられます。
 現在は着物の染色用のみならず、襖・障子などの室内装飾やLED照明にも応用され、新しい取り組みにも注目が集まっています。
 History / 歴史
 伊勢形紙 - 歴史

 伊勢形紙の歴史は古く千年以上前に遡るとも言われており、発祥については諸説があります。一説では、室町時代に描かれた「職人尽絵(しょくにんづくしえ)」に型紙を使う染職人の姿があることから、室町時代末期には型紙が存在したと考えられています。
 江戸時代になると、紀州藩による手厚い保護を受け、伊勢形紙は白子と寺家を中心に盛んになっていきます。また、伊勢湾に面したこの地は交易の拠点だったことも大きく影響したと言われています。職人たちの協同による発展に加えて、型売り業者が各地に型紙を売り歩き、伊勢型紙は全国に広がっていきました。
 明治時代には近代化の波を受けて衣服文化が変化し、さらに太平洋戦争による打撃から型紙業者がほぼいなくなる状況に陥ります。しかし、終戦から復興が進むにつれて再び着物の需要が増え、昭和40年代に最も盛んになりました。
 現代は、着物の需要の減少と新しい染色技術の普及によって型紙業者も減る傾向にあり、伝統技術を後世に伝えるために技術保存会が立ち上がっています。芸術性のある図柄は美術工芸品としても評価され、個人の趣味として楽しむ人も多くなっています。

*https://kogeijapan.com/locale/ja_JP/isekatagami/ より

 

 小紋の美を継承する巧みの技
 友禅染や小紋・ゆかたなどの図柄や文様を染める際に用いられる伊勢形紙。特に小紋にいたっては全国の99%が伊勢から出荷される形紙で染められるという。着物の小紋にこだわり続ける職人に話を聞いた。

 
 中学卒業のあくる日から職人に
 伝統的工芸用具に指定されている伊勢形紙には、表現する柄によって錐彫り、道具彫り、突彫り、縞彫りという四つの彫刻技法がある。その中でも錐彫りの工芸士である二代目六谷梅軒さん。初代六谷梅軒は父であり錐彫りの人間国宝だった。中学卒業のあくる日から仕事を始めたそうだ。「ちょうど父が人間国宝の内示を受けた頃で、後継者がいると望ましいということだった。自分の場合はそのような特殊な事情があったが、家業としてやっていて自然に後を継ぐという人が多かったし小さい頃から親の仕事を見てきて(後を継ぐ)予感はありました。」


 伊勢形紙の彫刻は道具づくりから
 「小学校の頃から手伝っていたから、彫り方は見よう見まねで覚えられた。彫刻に関して苦労という苦労をした覚えはないね。」しかし彫刻刀づくりには苦労したという。錐彫りの場合半円形の彫刻刀を使うが、半径が1ミリにも満たないものから大きなものまで、はがねを切り曲げて自作する。すべて微妙に太さが異なる彫刻刀が200本以上あるという。「道具を作ったり研いだりすることは、形や作り方を見て知っていたけど、刃物は自分で経験して苦労しないと、一人前にならない。20年して切れ味や研ぎ方がようやく分かった。未だに思い通りに刃が出来たと思ってもうまく彫れないことがある。」だから「彫るときはいろんなことを考えてるよ。軽く音を流していることもある。でも道具を作るときは死にもの狂い。」お正月には彫刻刀の刃を一本一本すべて研ぐ。200本以上研ぐと10日はかかるが、それを年中行事にしているそうだ。


 先代から学んだこと
 「先代とは20年間一緒に仕事をしました。技術は見て学ぶものですが、仕事に対する情熱、姿勢もやはり見て覚えるものなんですね。私は風邪を引いたりしたら休もうかと思ったりしたけど、父は毎日毎日、絶え間なく仕事を続けていました。」プレッシャーについても尋ねてみた。「もちろん感じていましたが、努めて思わないようにしました。それに(職人人生の)半分は親方と一緒に仕事できましたから。ただひとつ言えることは、これから先親方を越えられるかどうかはわからないけど、(生きている間には)通り越さなかったということです。だから一年でも長生きしよう思うてます」


 着物は日本の民族衣装、だからなくならない
 着物を普段着として着ることがなくなり、バブル崩壊後は嗜好品としての着物需要も減った。仲間の間でも着物離れや後継者不足の悩みが話題だとか。六谷さん自身、後継者がいない。「技術は伝えられたとしても、仕事は取ってあげられない。何十年もやって技術を身につけたとしても将来は?ということになると、責任が持てないから。伝える以上は本職にしてほしいし」今までも弟子入りしたい、という人は何人かいたが、そのたびに「学校に行きなさい」と帰したそうだ。しかし「着物は日本の民族衣装だから、決してなくなることはない、ということを望みにしています。」と六谷さんは力強く語った。

 小紋の着物に希望を託して
 小紋の着物にこだわっていきたいと語る六谷さんは最後にこう語った。「今までは着物の会社から『こんな柄をデザインしてほしい』と言われることが多かった。これからは自分のデザインをして、今までになかったような小紋を作りたい。もちろん自分だけでなく、みなさんに納得していただけるものです。あとは伊勢形紙の魅力を分かった上で、仕事をしようという人に巡り会えること。この二つが希望です。」


 職人プロフィール

 六谷梅軒 (ろくたにばいけん)

 昭和28年より伊勢形紙に従事。
 着物の小紋を生業とする伝統工芸士。

*https://kougeihin.jp/craft/1503/ より


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