「鬼島津 島津義弘」
島津 義弘(しまづ よしひろ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての薩摩国の武将、大名。戦国大名の島津義久の弟で、島津氏の第17代当主。島津氏18代当主・島津忠恒(のち家久に改名)の父。後に剃髪して惟新斎と号したため、惟新公(いしんこう)との敬称でも呼ばれた。
*Wikipedia より
常人を圧倒するような強さを誇っていた島津義弘の異名で、その活躍から畏怖の念を抱いて呼ばれた。
特に有名なものは朝鮮出兵の際、味方武将が思うように戦果を上げられないでいる中で、明・朝鮮の大軍20万の敵を7千の寡兵で打ち破るなどまさに人間業とは思えぬ、鬼の所業を成しと遂げた。
しかもこの時義弘自身が64歳というから驚きである。
ちなみに中国語における『鬼』は日本語では『幽霊』等にあたり(だから死亡することを鬼籍に入るという)侮蔑の意味合いが強く、よって中国語における鬼島津をわかりやすく言い換えればf××k'n島津辺りだろうか…
とはいえ敵方からそこまで恨まれるほどの活躍をしたというのは誇っていいだろう。
*https://dic.pixiv.net/a/%E9%AC%BC%E5%B3%B6%E6%B4%A5 より
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