「甲山の猛虎 飯富虎昌」
飯富 虎昌(おぶ とらまさ)は、戦国時代の武将。甲斐武田氏の重臣。
武田信虎の時代から武田家の譜代家老衆として仕え、信濃国佐久郡内山城を領した。信虎追放後は、信玄に仕えた。信玄の信任厚く、嫡男武田義信の傅役や赤備えを率いる大任を務めたが、義信事件に連座し、切腹させられた。名は虎昌とされるが、義信側近が連署した「二宮祭礼帳」にその名は見当たらず、検討の余地がある。
武田信虎、武田信玄の2代に仕えた宿老中の宿老で、その剛勇は「甲山の猛虎」と呼ばれて敵味方から恐れられたほどの猛将であり、武田二十四将の一人に挙げられる。
*Wikipedia より
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