ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

天皇の祭祀 ( 大嘗祭 ( だいじょうさい ) )

2019-03-11 21:30:48 | 徒然の記

 村上重良氏著『天皇の祭祀』( 昭和52年刊 岩波新書)を、読了。

 田中英道氏が、講演で語っていた言葉を思い出します。

 「私の本が出ましたが、おそらく誰も読んでいないでしょうね。」「保守の人は、本を読みませんから・・。」「しかしそれでいいんです。」「本ばかり読んで知識を求めていると、左翼になります。」「世の中に出ているのは、左翼の本ばかりですから。」

 聴衆の中から、笑いが漏れていましたが、実際その通りです。廃棄本を図書館から貰い、本棚に並べ、せっせと読んでいますが、ほとんど左翼学者の著作です。本ばかり読んで知識を求めている私は、もし若かったら氏が言う通り、左翼になっていたのかもしれません。天の配剤とでも言うのでしょうか、定年退職後から読書を始めたというのは、幸運でした。

 単純な人間ですから、若い時にこの勢いで読書をしていたら、今頃は間違いなく、反日・左翼の老人です。辺野古の海岸で、みっともない姿を息子たちに晒していたはずです。まことに、幸運でした。

 このように述べますのは、著者の村上氏も、まことに立派な、反日・左翼主義の大学講師 だったからです。岩波書店も日本破壊に寄与した、まことに立派な出版社であると、再認識いたしました。

 しかし私は、国会でバカをさらしている野党議員とは違いますから、村上氏を一方的に批判しません。私の知らない天皇の祭祀につき、古代から現在に至るまで沢山教えて頂きましたので、感謝をし敬意を表します。私が批判するのは、氏が「東京裁判史観」のまま、自分の国を否定する愚行だけです。立派さと愚かさが明確であるだけに、氏は学者として、真っ直ぐだったという気もします。まず、巻末に書かれている、氏の略歴を紹介いたします。

 「昭和3年、東京に生まれる。」「昭和27年、東京大学文学部、宗教史学科卒業。」「現在東京都立大学講師」

 存命ならば、今年90才です。大正10年生まれの母が、97才で健在ですから、氏も元気なのかもしれません。次に、ネットのデータを紹介します。

 「東大卒業後、慶応大学講師を務める。」「日本共産党に属し、共産党に敵対的な、創価学会および公明党を批判する著作や論文を、いくつも発表していた。」「しかし宮本顕治が中心となり、」「日本共産党と、創価学会との合意について、創共協定を締結したことにより、」「共産党指導部が、融和的態度を示したことに反発し、」「宮本指導部を公然と批判したため、党から除名された。」

 「村上は、国家神道の研究で知られ、特に岩波新書の『国家神道』は、」「国家神道論における定説として、長く扱われてきた。」「近年の検証により、明治政府の中にも、」「伊勢派・出雲派などの路線対立が有り、一枚板ではなかったことや、」「明治政府の神道信仰の強制が、ほとんどなかったことなどの史実を踏まえると、」「村上の国家神道論は、粗雑かつ本人の先入観に基づく説だったのではないか、」「といわれるようになり、学界での影響力は低くなっている。」

  ネットは便利です。ここまで教えてもらいますと、氏の人物像が鮮やかに結べます。宮本顕治氏は、共産党の委員長として君臨し、党内独裁体制を敷いた人物です。「民主集中制」などという、奇妙な言葉で自らの独裁を正当化し、誰も異議が唱えられませんでした。
 
 その彼に逆らい、除名されたというのですから、根性のある人物です。独裁者でもないのに、安倍総理に逆らわず、日本をダメにする法律を成立させ続ける、自民党の議員諸氏には、氏の爪の垢でも煎じて飲ませたいくらいです。
 
 しかし氏は、平成3年に63才の若さで亡くなっていました。強気でいるように見えても、苦労の人生だったことが伺われます。

 「新嘗祭 ( にいなめさい ) は、皇室神道にとって、」「最重要の祭典であることから、祭場には、宮廷の中心地の殿舎が、宛てられた。」「平安前期の9世紀には、大内裏 ( だいだいり ) の中央にある、中和院の、中央に設けられた、神嘉殿であった。」

 以前から、新嘗祭の言葉は耳にしていましたが、そんな重要な祭りごととは知りませんでした。 

  「新嘗祭は、記紀に由来する祭りとして、」「重く意義づけられている。」「高天原 ( たかまがはら ) で、皇祖神天照大神 ( あまてらすおおみかみ )は、 」「保食神 ( うけもちのかみ ) から、五穀の種子を得て天孫降臨の際、この元種を、」「皇孫ににぎのみことに、授けたという。」

 「新嘗祭は、稲の元種を授けた皇祖神の、神恩に感謝し、」「天皇が神と共に、新穀を食べることで、」「天皇の徳を増す、祭りとされた。」

 氏の説明を読みますと、前日から始まり、当日は早朝から翌朝まで、暖もない宮殿で、古来からの仕来りどおりの服装で、細かな手順に従い、ゆっくりと執り行われます。知るほどに過酷な祭事で、年を召された天皇には、文字どおり命を削るお仕事です。これを知りますと、今上陛下が、皇太子への譲位を考えられたのも、むべなるかなと思えて参ります。

  さらに説明が進みますと、庶民が知らないだけで、陛下が一年中ご先祖さまと、国民の安寧を祈られていることが分かりました。詳細は省略いたしますが、次の叙述からでも、陛下のご多忙さが伝わって参ります。

 「天武天皇の時期から、毎年の新嘗祭と区別して、」「即位に伴う、一代一度の大新嘗祭を、」「大嘗祭 ( だいじょうさい ) と、呼ぶようになった。」「古代の皇室神道の祭祀は、」「大祀、中祀、小祀に、分けられていたが、」「大嘗祭のみが、大祀で、」「祈年 ( としごい )、月次 ( つきなみ )、神嘗 ( かんなめ )、新嘗 ( にいなめ )、加茂の各祭りが、中祀であった。」

 今上陛下は、4月30日に退位され、5月1日に皇太子さまが、新天皇になられます。氏の説明によりますと、天武天皇以来の大嘗祭を行われる、ということになります。来年の10月には、新天皇の即位を国内外に宣言する、即位礼正殿の儀が行われます。この時に使われる玉座 ( ぎょくざ ) は、高御座 ( たかみくら)と呼ばれますが、保管先の京都御所から、皇居へ運ばれました。 

  天皇の御代 ( みよ ) 代わりの行事は、まさに日本の歴史であり、文化です。昭和天皇から今上陛下の時は、知識がありませんでしたから、無意識のうちに過ごしましたが、今回は氏のお陰で、感慨深く見守ることができます。

 スペースが無くなりましたので、続きは次回といたします。反日・左翼・共産党員の学者の著作でも、事実を教えてくれる限り、感謝と敬意を持って受け止めなくてなりません。

コメント (2)
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