村上氏の著書への5回目の書評です。今回は、野党議員の国会質問の続き、「 2. 式典における男女平等 ( 継承の儀)」から、始めます。
これについては、私が下手な説明をするより、1月18日付の千葉日報の記事を、転記する方が、早道です。
「政府は17日、皇位継承に伴う、」「一連の儀式の詳細を検討する、式典委員会 ( 委員長安倍総理 )の、 第3回会合を官邸で開いた。」
「新天皇が、三種の神器の一部などを引き継ぐ、」「剣璽 ( けんじ ) 等継承の儀の参列者は、」「前例を踏襲することと決めた。」「参列者は、成年男子に限定し、」「女性皇族や、秋篠宮家の長男悠仁さまは、参加されない。」
「皇位継承は、男系男子に限るとした、皇室典範の規定や、」「未成年皇族は、儀式全般に出席しないとの、」「慣例をふまえた。」
息子たちに言います。ここまでが記事の前半です。後半に書かれていることが、父の言う「皇室崩壊へのステップ」です。さりげなく書かれていますが、これがマスコミによる洗脳記事と、見抜いてください。この記事は千葉日報が掲載した、共同通信からの配信記事です。全国の地方氏に、同時に掲載されています。おそらく朝日、毎日、東京の反日・全国紙も、同様の記事を全国の家庭へ届けています。
「識者や、野党からは、」「女性皇族であることを理由に、出席を認めない政府の方針に、批判も出ており、」「議論になる可能性もある。」
この記事の流れが、3月13日の国会質疑で、野党議員の質問につながっていると、どれだけの読者が気がつくでしょうか。年金暮らしで、時間をふんだんに持つ、野次馬の父だから発見できた、「皇室崩壊へのステップ」です。
野党議員が、一人でできる質問ではありません。反日・左翼のマスコミの応援があるから、自信に満ちて、彼は質問ができます。国民注視の中で、失言を一つでもすれば、議員の首が飛ぶくらい重要な案件です。マスコミは、反安倍、反政府の質問者に寛大で、むしろ支援していると知っているから、彼は落ち着いて質問できます。
息子たちに言います。現在の国際情勢を思い出してください。野党議員の質問を、喜んでいる国がどこなのか。中国と韓国・北朝鮮は、真っ先に拍手しているでしょうし、米国内にいる反日政治家たちが、笑みを漏らしているかもしれません。
たかが、国会での野党議員の質問と、軽く考えてはいけません。もしかするとこの議員は、国際社会の中にある反日勢力の協力者で、「言わせられているばか者」かもしれません。もう、この議員の国会質問の中身を忘れてしまいましたが、「儀式に女性皇族を入れないのは、憲法の精神に反するのではないか。」と、そんなことでした。彼の主張の根拠は、憲法の言う「男女平等」です。
「男女平等」「人権」「自由」といった、憲法の言葉が、今後反日どもの武器として、「皇室崩壊」のために使われていきます。これは誇大妄想家の予言でなく、杞憂でもありません。父のように自由な時間を持ち、昔の本を読み、政治を観察していたら、国際社会の中での反日たちの動きが、自然と分かってきます。
国民の中に、「お花畑が咲き乱れる限り」、反日・左翼・グローバリストの活躍の場が、広がります。息子たちに言います。そろそろお前たちも、自分の可愛い子供たちのため、真面目に考える時が来ています。
昨日からの続きである、二つ目の質問について紹介しました。ここで再び、村上氏の著書へ戻ります。172ページ「皇族の権利義務」です。
「皇族は特権とともに、特別の義務を、課されていた。」「皇族は、皇室に対する忠順と、品位の保持をはじめ、」「職務上の制約、居住と旅行の制限、」「親族法上の制限、財産法上の制限があり、」「また皇族は、公共団体の吏員、議員となることを禁止された。」
「皇族の子弟は、原則として男子は宮内庁直轄の学習院へ就学し、」「女子は、同じく女子学習院に、就学することとなっていた。」
氏の意見が書かれていませんので、はっきりしませんが、反日学者の文章ですから、「皇族は、かくも人権を縛られ、自由を制限されていた」と、先日の国会議員の質問につながるのだろうと、推察します。
私は反対に、氏の叙述の中から、「旧十一宮家の、皇族復帰」への確証を得ました。旧宮家の方々は、日常生活で不便をされたかもしれませんが、皇室の藩屏 (天皇家をお守りする役割) として、誇りと責任感を持たれていたはずです。軽薄な議員が口にするような、軽々しい「自由」や「平等」でなく、二千年の歴史を持つ、「誇り」と「責任」だと考えます。たかだか戦後70年の憲法です。まして野党議員が言う、自由と平等は、宮家が大切にされた誇りと責任とは、別次元のもので、混同すること自体が間違っています。
イスラム教では、礼拝場であるモスクに女性はいません。これを男女平等に反するとは、誰も言いません。八百万の神様の住む日本には、日本独自の歴史と伝統があります。自民党の議員でさえ、歴史を知らない人間が増えましたから、野党の議員ばかりを責められません。
陛下の退位式典と新天皇の即位式典が、憲法の定める「政教分離」に反していないかと、野党議員は、詰まらない質問をしていましたが、そもそも政教分離をしていないのは、欧米諸国ではありませんか、大統領の就任式や、議員の証言時に、聖書に手を置いて彼らは誓っています。
GHQが日本解体のため、神道と政治を分離させた悪だくみを、いつまで馬鹿正直に守ろうというのでしょうか。一つ一つ反証を上げていけば、日本の政治家は、庶民が我慢しているのを良いことに、国会を国民白痴化の舞台にしています。戦後73年経ちましたから、そろそろこういう茶番劇は、おしまいにする時です。
もう一度、氏の本に戻ります。皇族の義務として、氏が「品位の保持」と説明していました。ここには、一般人である小室氏がとうてい保持できない、歴史と伝統の上に立つ品位が語られています。「十一宮家の復活」について、ますます自分の考えの正しさを確信します。同じ事実を見ても、拠って立つ場所が異なれば、どのようになるのか。反日の学者である、氏の意見をそのまま紹介します。
「皇室儀制の完成とともに、」「皇室は、一般国民の目から厳しく遮断され、」「近代社会としては、想像外の異様なタブーが、幾重にもつくられた。」「宮中では、現代の日本語からかけ離れた、」「平安時代に始まる、特殊な宮中言葉が常用され、さながら、別世界を形成していた。」「国民は、天皇と皇室を、ひたすら、雲のうえに、仰ぎ見るのみであった。」
国を愛することを忘れた反日・左翼の学者の本には、共通したものがあります。つまり、憎しみと、否定です。国会で質問した野党の議員にも、同じものがありました。自分の住んでいる国への「憎しみ」と「否定」です。私たちは、いつまで、こんな議員に投票し、いつまで国会を空転させれば気が済むのでしょう。
乗り掛かった船と言いますか、毒を食らわば皿までと言う方が適切なのか、次回も村上氏の書評を続けます。年寄りの冷水と笑われても、私は、子や孫のため、国をダメにする、反日・左翼・グローバリストの学者の書と、戦います。