山尾氏の著作は、第3章「大化の改新の実態」です。これについて述べる前に、別途調べた「大化の改新」の説明を紹介します。
「大化の改新は、飛鳥時代の孝徳天皇の646年に発布された、」「改新の詔 ( みことのり ) に基づく、政治的改革である。」「改新の詔は、ヤマト政権の、土地・人民支配の体制(氏姓制度)を廃止し、」「天皇を中心とする、律令国家成立を目指す内容となっている。」
「この政治改革は、皇極天皇の皇居における、蘇我入鹿暗殺により、」「当時、天皇を次々と擁立したり、廃したりするほど権勢を誇っていた、蘇我氏を滅亡させた、」「乙巳の変(いっしのへん、おっしのへん)から、始まった。」
「改革そのものは、天皇ではなく、」「皇極太上天皇と、その親友とされる、」「中臣鎌足の主導のもと、」「年若い両皇子(中大兄、大海人)の協力によって、推進された。」
「この改革によって、豪族を中心とした政治から、」「天皇中心の政治へと移り変わったとされている。」「また大化は、日本最初の元号である。」「この改革により、日本という国号と、天皇という称号の使用が、始まったとされる。」
山尾氏の著作を読んでいながら、わざわざ別の情報を探した理由を、説明しなくてなりません。
1. 氏の説明では、大化の改新の意味が掴めない。
2. 氏の使う言葉は不適切な用語で、読者である私に不快感を与える。
古代の日本を語るとき、なぜか氏は朝鮮との関係を重視し、すべての出来事に朝鮮の事実をからめます。なぜ、日本の歴史を中心にして、書き進められないのか。客観的事実を求める、学者の良心がそうさせるのか。依然として判断がつきませんが、日本人である自分を耐えがたくさせます。
日本の歴史で大転換をもたらした出来事が、三つあると考えています。学校で教えられたのでなく、年金暮らしの読書生活で知ったことですから、歴史に詳しい人物は、別の出来事をあげるのかもしれません。
1. 大化の改新 2. 明治維新 3. 大東亜戦争の敗北
この出来事以降、日本が大きく転換しました。歴史ばかりでなく、国民の意識や、文化や伝統まで、嵐に見舞われました。どれを取っても重大なできごとで、受け止めなくてならない事実だと、考えています。しかるに氏は、大化の改新を説明する時、「クーデター」という言葉を使います。ブリタニカの辞典で、「クーデター」は、次のように説明されています。
「一般に武力による奇襲攻撃により、政権を奪取することをいう。」「通常の政権交代方式と違って、非合法的であることに特徴がある。」「また革命は、支配階級に対する大衆の蜂起と、それに続く既存の体制の転覆であるが、」「クーデターは、支配階級内部の権力争奪である点で、革命とも違っている。」
息子たちに、この不快感が伝わるのか分かりませんが、訪問される方々の中には、理解する人がいるような気がします。国家大変革の重大事を、マルクス用語で語ろうというのですから、良識を疑います。他の説明では「政治的改革」という言葉を使っており、学校でもそのように習いました。非合法な、武力による政権奪取とは、一度も教わりません。まして「クーデター」などと。
前回のブログで、下記の氏の意見を紹介しました。
「畿内閥族による、地方の土豪に対する階級的闘争が、」「律令国家機構を生み出すまで、徹底して苛烈なものになるのは、」「663年の、白村江 ( はくすきのえ ) の、敗戦を待たねばならぬと思う。」
大化の改新の遠因が、白村江の敗戦にあるという意見です。氏の著書では、古代史の日本の動きが、すべて朝鮮の3国との関係で説明されます。もしかすると氏の頭には、未開な文化しか持たない日本と、先進国である韓国という図式が、固定されているのかもしれません。
「自分の国の安全を、自分の国の軍隊で守れない日本は、アメリカの属国でしかない。」「中国や韓国の難癖にも反論せず、国際社会で孤立している日本は、情けない国である。」
私はこの認識に立ち、「日本を取り戻そう」と、息子たちへのブログを綴っています。だからといって、現状を日本の歴史として語るとき、氏がするようにアメリカや、中国や韓国を第一のものとして説明するでしょうか。これらの国々が、日本に対し大きな影響を及ぼしているからといって、日本の政府が劣っているとか、つまらない国だとか、そんな分析だけで終わるのでしょうか。
世界のどこの国でも、たとえ小さな貧しい小国でも、国民に歴史を語るときは、誇りと希望を教えます。これが世界の常識と考える私は、不快感を持ちながら氏の叙述を紹介し、本日のブログを終わります。
「聖徳太子の時代は閥族政治の開始であって、」「太子の政治が、改新の先駆だと言えるほどの根拠は、ほとんどない。」「改新そのものが、はたして公地・公民制の採用と、規定しうるのかどうか、大いに疑問であろう。」