小川栄太郎氏著『約束の日 ( 安倍晋三試論 )』( 平成24年刊 株・幻冬舎 )を、読了。
氏は保守論客の一人で、安倍総理の強い支持者と聞いています。どのような内容かと期待を抱き、ページをめくりましたが、失望と幻滅と、最後は軽蔑で終わりました。
ひいきの引き倒し、という言葉がありますが、まさにその通りで、この調子で褒められたら、総理の支持率が下がるのでないかと心配が先に立ちました。
つい先日、チャンネル桜の動画、「日本の自死」を見て、保守論客のレベル低下を、嘆息したばかりですが、氏の著作も、私の嘆きを深めました。215ページある、立派な単行本で、表紙を飾っているのは安倍総理の横顔です。
本には、崩壊した第一次安倍内閣が、朝日新聞を始めとするマスコミにより、いかに叩かれたかが語られています。第二次安倍内閣の成立が、平成24年の12月で、その直前の8月に、この書が出版されていますから、意地悪く考えれば、返り咲く安倍氏への追従本であるという気もいたします。
首相になった氏が、第一次安倍内閣で、「戦後レジームからの脱却」をスローガンに、国民の期待を担い、華々しく出発しました。しかしこのスローガンが、マスコミと官僚に総スカンを食らい、彼らを敵に回す結果を招きました。朝日新聞の論説主幹だった若宮啓文氏が、「安倍の葬儀は、うちが出す。」と語り、「それが、朝日新聞の社是だ」と言い切ったのはこの時でした。
利敵行為者としか思えない若宮氏は、新聞を駆使し、傍系誌のアエラを使い、執拗な安倍氏への個人攻撃を続けました。韓国の肩を持ち、中国に味方し、安倍外交を散々批判した氏のことを、私は何度か「ねこ庭」で取り上げた記憶があります。
日本に敵対する韓国と中国を偏愛する若宮氏が、定年となり、朝日を退社した時の喜びの気持ちを、ブログにしたこともあります。彼は定年後、韓国の大学に教授として招かれ、最後は中国で病を得て生涯を終えました。朝日新聞社が、どんな腐れ縁を、韓国や中国と結んでいるのか知りませんが、日本人の魂を失った、反日・左翼マスコミ人にふさわしい氏の奇妙な最後でした。
亡くなった人物は、なるべく批判しないようにしていますが、若宮氏は例外です。安倍氏だけでく、私のように、日本を大切にする庶民を、散々なぶりものにしましたので、敢えて小川氏の暴露文を紹介いたします。
「平成20年8月、当時論説主幹だった若宮氏が中国出張に際し、女性秘書を個人的に同行させ、」「しかも会社の経費で、ビジネスクラスに乗せ、高級ホテルに宿泊しました。」「後日、社の内部監査室の調査で、不正が発覚し、全額を会社に返済しました。」
「更に問題なのは、不正経費で出張した理由である。」「その出張は、中国人民外交会が主催する、若宮の著書の、出版記念パーティーに出席するためだったが、」「その学会は、事実上、中国外務省の別働部隊だという。」
「中国に言論の自由はなく、政府の諜報活動は極めて活発だ。」「若宮は、露骨な親中・親韓の論陣を張ることで有名な人物である。」「良く知られているのは、竹島を韓国に譲れという、平成17年のエッセーだろう。」
きっと若宮氏は、自身の出版記念パーティーで、中国外務省から、多額のお祝い金を受け取っているはずです。小川氏の暴露が続きます。
「その後若宮は、朝日新聞の主筆という、頂点に上り詰めています。」「その人物が、言論統制と、諜報活動の国、そして反日策謀の中心である、中国政府に記念パーティーを開いてもらい、のこのこと出かけたのである。」「日本を代表する新聞の主筆の不祥事として、これに勝るものは考えにくい。」
知らないことを教えてくれる著者には、立場の左右を問わず、感謝をしていますが、それでも私は、氏に感謝する気持ちになれませんでした。保守論客といわれる氏に、もっと高い見識を期待していたからです。有意義な情報でも、この程度の暴露なら、週刊誌でも書きます。
1. 教育基本法の改正
2. 公務員制度改革
3. アジアゲートウェイ構想
4. 農林水産業の戦略産業化
5. 憲法改正
安倍氏が第一次内閣で手をつけた政策は、どれも戦後レジームからの脱却の道でした。中曽根元総理に「これは安倍革命だ」と言わせ、「まさに本格政権だ」と驚かせもしました。しかし教育基本法の改正を除けば、すべては志半ばで終わり、若宮氏が率いる朝日新聞を先頭にしたマスコミの総攻撃と、同調する官僚の叛旗のため、病を持つ安倍氏はついに辞任いたしました。
こうした経緯については私も知っており、教えられる事実よりも、切れ目のない安倍氏賛辞の軽薄さに閉口致しました。
「松陰と三島・・、二人は日本を誰よりも激しく危惧し、日本の明日が、本来の美しい健やかさに戻ることを誰よりも、激しく希望した。」「死の瞬間まで、それぞれの、果たし得ていない約束への感覚が彼らを突き動かし続けた。」
「彼らの魂の重量は、同時代の誰よりも豊富で、彼らの生命力は、溢れるように尽きなかった。彼らは本質的に詩人であり、非政治的人間だったのである。」
吉田松陰と三島由紀夫に関する氏の評価ですが、饒舌過ぎます。三島氏は確かに、詩人であり、非政治的人間だったかもしれませんが、松陰は現実主義者でした。二人について、違う意見を持っていますが、それは言わないで先を続けます。
「安倍は政治家である。政治家は、絶対に詩人であってはならない。」「松陰や三島を気取ることは許されない。」「むろん安倍には、そんな軽薄さは微塵もない。」
「安倍政治の挫折は、安倍晋三個人の敗北ではない。日本国民の敗北だったのだ。」「私は、切望している。安倍晋三が、果たし得ていない約束を果たすために、今こそ、執念の炎を燃やし、政権を再度奪還してくれることを。」
著作の最後は、このように綴られていますが、同じような言葉が繰り返され、読者である私は、退屈しました。評論家である氏こそが、言葉に酔う詩人であってはならず、冷静な意見を言うべきだろうにと苦々しい思いでした。
意に反して、長いブログとなりましたが、本当は、次の二、三行で済ませたい書評でした。
「中身のない駄作を世に出すとは、日本の保守論客も、すっかりレベルが落ちました。」「もしこれが安倍氏へのエールだとすれば、諺どおり、醜女 ( しこめ ) の深情け、と言うしかありません。」