ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

千葉日報への提案

2019-03-25 17:41:07 | 徒然の記
 3月15日の記事です。見出しに、こう書いてあります。

  「明石市長に暴言の泉氏3選」

 見出しを見て、私はこのように理解いたしました。
「明石市長に対し、暴言を吐いた泉氏が、選挙で3選を果たした。」

 記事を読みますと、明石市長と泉氏は同一人物で、暴言を吐いたにも拘らず、選挙で3選されたという内容でした。このような誤解が生じないために、私は次のように、見出しを書き直してみました。

 「暴言の泉氏、明石市長に3選」

 見出しに、句読点を付けないという規則があるのでしたら、「泉氏」と「明石氏」の間に、半角のスペースを入れれば、同じ意味になります。同社の見出しで、半角のスペースを使用している例が、幾つかあります。

 過去の経緯を知っている読者なら、もしかすると、私のような誤解はしないのでしょうが、紛らわしい見出しであることに、違いはありません。どうでも良い提案なのか、大切な指摘なのか、よく分かりませんが、記事で売る新聞社ですから、このくらいの推敲はして良いのでないかと、思います。

 ここまできて、ハタと立ち止まりました。どうでも良い些事を、針小棒大に取り上げ、国会審議を無意味なものにしている、反日・野党の議員を思い出したからです。自分も、彼らのように、取るに足りない事柄を指摘し、千葉日報を困らせるだけの人間と思われるのではないかと、ためらいが生じました。

 いやそんなことはあるまい、読者の真面目な提案なら、千葉日報は静かに受け止めるはず・・と、いつものように、都合の良い解釈をすることに決めました。
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日本国家の形成 - 2 ( 『古事記』と『日本書紀』の否定から )

2019-03-25 13:57:51 | 徒然の記

 山尾氏の著書は、基礎知識のない門外漢には難しくて、難渋します。

 敗戦後に日本の歴史は、大きく修正されました。その記憶はありませんが、戦前の日本史は、天皇家を中心とする「皇国史観」で、貫かれていたと聞いています。天孫降臨の神話に始まる、大和朝廷の歴史以外の考え方が、認められませんでした。歴史学者が、客観的な史実を求めようとしても政治が許しませんでした。

 書評を真面目にやろうと思えば、どうしても、話はここから始めなくてなりません。つまり大東亜戦争の敗北と、GHQによる占領統治です。山尾幸久氏や田中英道氏について語ろうとすれば、この二つを抜きにはできません。私たち国民は戦後73年が経過しても、まだ二つの壁が乗り越えられず、呪縛からの卒業ができません。

 戦前は『古事記』と『日本書紀』が、歴史の原典としての地位を占め、異義を唱えることができなかった、と聞いています。GHQが天皇制を否定する方針で統治し、自由な研究を許したので、多くの学者が喜びました。喜んだ学者の中には、純粋な学究精神の人物もいましたし、政治的な歴史観を持つマルキストもいました。

 戦後の日本史の見直しは、まず『古事記』と『日本書紀』の否定から出発したと思っています。理由は今でも覚えていますが、次の2点でした。

 1. 『古事記』と『日本書紀』は科学的な根拠がなく、全く合理性がない。

 2. 神武天皇以来、百代に渡る天皇の名前を、子供の頃から暗記させられたが、百才以上の天皇がいたり、昔の人間の寿命がそんなに長いはずがない。

 中学生だったか高校生の頃だったか、正確な記憶がありませんが、こんな話は日常会話でやりせんので、授業で教えられたのだと思っています。私は歴史にも日本にも大した興味がなく、受験勉強に忙しかったため、「そういうことか」と受け止めていました。

 息子たちのためには、もっと分かりやすい、戦前と戦後の違いを説明します。建国記念日という祝日がありますが、戦前は「紀元節」と呼んでいました。「紀元節」とは、神武天皇が即位した日を、建国の初めとしたもので、国民の祝日でした。『古事記』や『日本書紀』で、初代の神武天皇が即位した日とされていたからです。

 しかし現在、学校ではこのようなことを教えませんし、子供は休みの日は嬉しいと、その程度でしか考えていません。戦後建国記念日を、再び祝日として制定するため、自民党の議員と反日左翼の議員が、どれほどの論戦を国会で重ねたか。「紀元節」という言葉が使えず、自民党は「建国記念の日」という曖昧な表現で妥協しました。私たちは、その事実さえ知りませんし、反日・左翼と、保守の対立は、時の経過とともに深まり、歩み寄る気配がありません。

 息子たちに言います。国の歴史を大切にする国民と、国を憎むしかできない反日・左翼・グローバリストが、今も激しく対立しているから、お前たちのために、ブログを書き始めました。敗戦の傷跡が、日本にとってどれほど大きなものであったか、そして現在も、大きなものであり続けているのか。気がついて欲しいと思います。

 ここで、山尾氏の話につながります。敗戦以後、日本の歴史学者は、大きく二つのグループに分かれました。保守の学者と、反日・左翼の学者です。反日・左翼学者は、『古事記』と『日本書紀』を否定し、中国や韓国の歴史書に重きを置きます。この学者たちは、日本の歴史を階級闘争の視点で語り、経済という思考からしか日本を語りません。

 戦前は保守の学者が学界を支配し、大手を振っていましたが、戦後は立場が逆転しました。GHQの後ろ盾もあり、瞬く間に学界の支配権を奪い取り、今は反日・左翼学者の天下となっています。

 私が中庸の学者と思う津田左右吉氏でさえ、『古事記』と『日本書紀』を疑問視し、否定に近い扱いをしています。つい先日私が発見した、保守の学者は田中英道氏です。私の常識を超える主張をしますが、納得出来る理論と根拠があり、心が惹かれています。

 山尾氏は、反日・左翼ではありませんが、津田左右吉氏と同じく、『記紀』を軽視し、中・韓の古文書を優先しています。田中氏と山尾氏と、どちらが正論なのか、今は分かりません。しかしこの本を読み終える頃には、庶民の常識が、判断させてくれるはずです。

 『古事記』と『日本書紀』の否定は、戦前が過激な皇国史観であったための、反動だと理解できます。極端なものには必ず反動が生じますから、戦後はまた極端な反動が生じ、『古事記』と『日本書紀』の否定となりました。73年が経過し、過激な・反日・左翼の歴史観に、今度は、庶民の中から反動が出てきたのが現在であると、そう考えています。

 二回目の書評ですが、まだ中身には触れていません。明日から、少しずつ勉強させてもらいながら、意見が述べられるようになりたいと考えています。

  山尾氏は今年84才で、立命館大学の名誉教授だそうです。著書出販時は助教授でしたから、この本も時の重みを感じさせます。
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