ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

日本の危機 - 解決への助走 - 25 - (5) ( 外務省と害務省 ? )

2019-12-02 22:20:41 | 徒然の記
 平成11年12月の村山訪朝団の時は、小渕首相で、幹事長代理の野中氏は、党の実力者でした。一方、米国の北朝鮮外交の動きは、以下のとおりです。

  1. 平成6年6月
   カーター 元大統領訪朝。金日成と会談
  2. 平成6年10月
   カーター 元大統領、金日成と「米朝核枠組の合意」
  3. 平成10年11月
   ペリー国務長官訪朝 核査察問題協議
  4. 平成11年 5月
   ペリー国務長官 「秘密各基地への米国専門家チームによる調査」終了の旨、クリントン大統領に報告

 「北朝鮮と敵対するよりも、ミサイル発射や核開発を何とか抑止し、」「共存する方向に進みつつある。」・・・与良氏の記事の通り、平成6年以降の動きを見ますと、アメリカが北朝鮮に接近しています。
 
 これを見た外務省は、村山訪朝団時から、全面的支援に変わります。以前とどのように変化したのか、先に引用した情報を再度紹介します。
 
 《   拉致事件を放置した政治家・外務省・言論人   》   投稿日:平成14年7月
 
 「結論を先に言えば、外務省には、国交交渉再開だけが目標であって、」「拉致問題の解決など、眼中になかったことは明らかである。」
 
 「拉致被害者の家族で、最も早く外務省に陳情に行ったのは、」「ヨーロッパから拉致された、有本恵子さんの両親だった。」「昭和63年秋、外務省を訪ねたところ、対応したアジア局北東アジア課の事務官は、」「日朝交渉の邪魔になるから、騒がないでほしい、と話したという。」(佐藤勝巳『日本外交はなぜ朝鮮半島に弱いのか』参照)
 
 「当時はまだ、拉致問題への関心が、ほとんどなかった時期ではある。」「しかし、横田めぐみさんの拉致事件が、明るみに出た平成9年2月以降も、」「外務省のこの姿勢は変わらなかった。」
 
 「この年の5月、政府は横田さんのケースも含め、」「7件10人が、北朝鮮に拉致されたと認定したが、」「その4ヶ月後の平成9年10月、阿南惟茂アジア局長(当時・現中国大使)は、」「新聞記者との懇談で、こう話している。」
 
 文章体になっていますが、問答形式に変えます。
 
 朝日新聞記者
  「北朝鮮の拉致疑惑は、証拠もないのに、あんなに盛り上がってしまったんですね」
 阿南局長
  「拉致疑惑には、亡命者の証言以外に、証拠がないわけなんですから、」「慎重に考えないと、いけないんですね。」「韓国の裁判で、証言があるといったって、」「韓国に捕まった工作員だから、彼らは何を言うかわからない」
 
 朝日新聞記者
  「警察白書に、7件10人という書き方もされているが。」
 
 阿南局長
  「この間、議員に『拉致疑惑』と言うと、『疑惑』とは何ごとか、と怒られました。」「『疑惑』をとって、『拉致事件』と言えと怒られました。」
 
 ここから問答形式をやめ、元の文章に戻ります。
 
 「阿南氏は、日本の警察の発表すら信じず、」「拉致事件そのものが疑わしいと、言っているのである。」「北朝鮮外交の実務責任者がこれでは、北朝鮮に拉致問題をただすことなど、」「不可能である。」「この阿南氏の後任が、槇田邦彦・現シンガポール大使である。」「槇田局長は、平成10年12月の自民党外交部会で、こう述べている。」
 
 「たった十人のことで、日朝正常化交渉がとまっていいのか。」「拉致にこだわり、国交正常化がうまくいかないのは、国益に反する」
 
 この情報をネットに投稿した人物は、誰だったのでしょう。政府内の関係者でなければ知り得ないことを、たくさん書いています。
 
 「まさに、拉致問題は、棚上げすべきだというのである。」「その後、拉致被害者救出運動が盛り上がってくると、」「槇田氏は、拉致は棚上げではないと言い始める。」
 
 「しかし、それは、拉致被害者を救出しようというのでもなく、」「拉致問題の前進が、北との国交交渉に不可欠だと、考えたわけでもなかった。」「平成12年8月、拉致被害者家族の陳情に対して、」「槇田氏は、拉致を棚上げした国交正常化は、」「世論が許さないでしょう、と言っている。」
 
 「つまり、拉致被害者の家族が立ち上がらず、」「世論も盛り上がらなければ、外務省は、何もしなかったということなのである。」
 
 この人物の情報は、今流行りの「内部告発」のはしりなのでしょうか。ネット社会特有の現象で、二つの種類に分けられます。
 
     ・勇気を奮って告発する「憂国の士」
     ・世間を騒がせたいと嘘を発信する「バカ者」
 
 私の思いと重なる意見ですから、この人物は「憂国の氏」だと思います。
 
 「この槇田氏の後任が、今度の小泉訪朝を演出し、」「また首脳会談の際、北朝鮮からの安否情報の一部を、」「共同宣言調印直前まで、小泉首相や安倍官房副長官に伏せていた、」「と批判されている、田中均・アジア大洋州局長である。」
 
 「田中局長については、今のところ、阿南・槇田両氏のような、」「露骨な発言は表面化していないが、田中氏が水面下で、」「拉致問題解明の中止を、働きかけていたことはほぼ間違いない。」「産経新聞は、今年3月23日、次のように報じている。」
 
 嘘を発信する「バカ者」でない証拠に、根拠となる情報源を明らかにしています。
 
 「北朝鮮による、日本人拉致容疑事件をめぐって、」「政府首脳が、外務省の田中均アジア大洋州局長の働きかけに同調し、」「事実解明のために設置された、副大臣プロジェクトの開催中止を、」「外務省側に通告していたことが、22日明らかになった。」
 
 「こうした、北朝鮮外交の実務責任者の発言、行動を並べてみると、」「彼らには一貫して、拉致事件が、」「日本の主権問題であるとの認識も、日本国民の生命の安全に対する責任感も、まったくないことは明らかである。」
 
 この意見に半分賛成し、あとの半分は少し違う考えです。私も外務省を、「害務省」と、酷評していますが、日本がまだアメリカの属国状態にあることを思えば、外務省ばかりを責めるのも酷な気がします。
 
 スペースがオーバーしましたので、これにつきましては、次回で述べます。
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日本の危機 - 解決への助走 - 25 - (4) ( 米国による間接統治の実例 )

2019-12-02 15:04:45 | 徒然の記
 前回の続きで、毎日新聞の与良記者の記事を参考に、話を進めます。
参考にしているのが、朝日新聞やNHKの報道でないところに、時代の風潮を教えられます。
 
 今でこそネットが普及し、マスコミや政治家の嘘や捏造が、即座に分かりますが、与良氏が記事を書いていた20年前、国民は新聞やテレビの報道を信じるありませんでした。猫も杓子も「東京裁判史観」で記事を書き、韓国・北朝鮮に詫びなければならないと、一本調子で主張していたことを教えてくれる、貴重な歴史的記事です。
 
   1.  政治部記者与良正男氏の主張が、東京裁判史観そのままであること。
   2.  依然として外務省を支配している、米国の力を理解すること。
   3.  朝鮮総連を媒介とし、自民党の実力者たちが北朝鮮とつながっていること。
 
 前回3点を強調し、1.と3.については、実例を示しました。今回は残っている 2.につき、与良氏の記事をもとに進めます。
 
 「一方、外務省は、そのころ、国交正常化に慎重だった。」「当時は米国が、北朝鮮に大きな関心を示していなかった事情も、あったように思う。」「ここに、中国との関係正常化を、米国に先を越された、」「と悔しい思いをしていた、金丸氏ら ( 歴史に名を残す名誉欲もあったろうが )と、相違があった。」
 
 息子たちが記事をもっと理解できるように、別途調べた事実を付け加えます。
 
 ・金丸氏が訪朝した時の首相は海部氏で、周りに担がれているだけの、無能な総理だった。
 
 ・担いでいたのは、金丸信、竹下登、小沢一郎の三氏で、マスコミが略称で「コンチクショウ」と呼んでいた。
 
 ・彼らが自民党の最高実力者で、金丸氏が政府を気にせず、思うままに訪朝できた背景には、こんな事情があった。
 
 米国の大統領は、(父)ブッシュ氏で、湾岸戦争のため、北朝鮮どころではありませんでした。金丸訪朝団の時、外務省が慎重だったのは、アメリカの意向が掴めないためです。金丸氏の、米国に先を越された悔しい思いとは、昭和47年のニクソンショックのことを指しています。ニクソン 大統領は、同盟国日本に一言も告げず中国を訪問し、国交回復の道を開いたので、日本国内では、「頭越し外交」「無視された友情」という報道が飛び交いました。
 
 金丸氏は金日成から、国交回復の話が持ちかけられた時、米国に先んじて、歴史に名を残す政治家になろうと、野心を燃やしました。以下はネット情報ですが、参考のため転記します。
 
  〈 金丸訪朝団メンバー 〉 
   元副総理  金丸信、  社会党副委員長  田辺誠
 
  〈 共同宣言起草者 〉  
   金丸訪朝団事務総長  石井一   同事務局長  武村正義
   社会党訪朝団副団長  久保亘
  
  〈 金丸・金日成の密約 〉
   ・ 戦後賠償 数十億ドル
   ・ 戦後45年間朝鮮人民が受けた損失への謝罪
 
 内容を聞きつけた外務省は、いくら自民党の実力者であっても、アメリカの意向を知らぬまま同意することはできませんでした。彼らが慎重だった理由が、ここにあります。
 
 与良氏の記事を続けます。
 
 「結果、北朝鮮側は、」「米国と協議すれば日本はついて来る、と踏んで、」「対米協議重視に切り替えた、と私はにらんでいる。」「北朝鮮の核開発疑惑と、朝鮮半島危機。」「カーター元米大統領の訪朝による、危機回避。」「そしてテポドン発射と、米朝協議、金大中(キムデジュン)・韓国大統領の太陽政策。」
 
 「アメリカは北朝鮮と敵対するより、ミサイル発射や核開発を何とか抑止し、」「共存する方向に進みつつあると、その後の国際情勢の変化は、周知の通りだ。」
 
 「今回、外務省は、村山訪朝団を全面支援した。」「米韓に後れを取りたくない、あるいは日米韓の足並みが乱れては、」「逆に北朝鮮を利する、という理由からだったように思える。」
 
 新聞社の記者は、必要な時には書かずダンマリを決め込んでいますが、風向きが変わると裏話を披露します。
 
 「その意味で、ほとんどパイプがない外務省に代わり、」「村山氏や、"金丸訪朝団" 以来、関係を保ってきた、」「野中広務自民党幹事長代理らが、政府間交渉の道筋をつけることは、批判されるものではない。」
 
 金丸訪朝は「二元外交」になると、外務省が批判しましたので、与良記者が弁護し、村山訪朝についても評価する意見です。

 「なぜ国交正常化交渉が、北東アジア、」「ひいては、日本の安全保障にとって重要か、」「それが、国益につながるのか否か。」「これまで、政党外交の陰に隠れてきた外務省も、」「まず、国民に、分かりやすく説明する時期である。」
 
 次回は、米国の支配下にある外務省の姿を、北朝鮮との関係で見ていきます。しかしこれは外務省批判でなく、敗戦以来続いている、米国による間接統治として、国民が知るべき日本の姿だと思います。他人事ではありません。  
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