ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

日本の危機 - 解決への助走 -25 - (3) ( 野中氏と毎日記者与良氏の意見 )

2019-12-01 22:00:41 | 徒然の記
 前回紹介した、第二次世界大戦後のアメリカの「日本観」を、もう一度、引用します。
  
  ・  世界一の強大国であるアメリカに、戦争を挑んできた国は日本しかいない。
  ・ 東洋の後進国とあなどっていたが、とんでもない危険な国だった。
 
  ・     日本がアメリカに挑めないように、未来永劫、徹底的に管理しなければならない。
  ・  日本人は米国の直接統治に抵抗するはずだから、日本人の手で管理する方法を取る。
 
 アメリカの間接統治が、今も続いていることを示す証拠が、拉致被問題に関与した野中氏の発言と、毎日新聞の記事にあります。この二つを紹介します。
 
 《  1. 野中氏の発言   平成10年4月6日、自民党本部での講演 》
 「拉致疑惑があるから、食糧は送るなとの意見は強いが、」「(北朝鮮とは)従軍慰安婦や、植民地、強制連行があった。」「近くて近い国にしたい。」「日本はコメが余っているのに、隣人を助けることができないのは恥ずかしい。」「壁を破ってでも、食糧援助をすべきだと思って、環境整備をしている」(産経・同年4月7日)」
 
 朝日新聞の「慰安婦報道」の誤報が判明し、同社が吉田清治の関連記事を削除したのは、平成26年の8月でした。この売国新聞の大ウソを、国民の多くが信じていたのですから、野中氏だけを責める気はありません。私が言いたいのは、野中氏が慰安婦問題だけでなく、植民地支配や強制連行など戦前の日本を否定する言葉を、当然のこととして使っているところです。
 
 自民党内にいるハト派と呼ばれている議員たちは、中国や韓国・北朝鮮に必要以上の加害責任を感じています。要するに、これが、「東京裁判史観」で、アメリカによる間接思想統治の実例です。
 
 《  2. 政治部記者与良正男氏 の意見    平成11年12月14日、毎日新聞記事 「私はこう考える」 》
  「風穴どころか扉が開いちまったと、金丸氏が訪朝後、自慢げに語った姿を思い出す。」「北朝鮮は、朝鮮半島統一をスローガンとし、北朝鮮、韓国が、」「それぞれ日本と国交樹立することは、「半島分断の固定化につながる、と拒んでいた。」
 
 「それが、訪朝団に、政策を変えたと宣言し、」「国交正常化交渉を始めたい、と言い出したのだから、」「驚いたのは金丸氏だけではなかった。」「随行していた川島裕・外務省アジア局審議官(現事務次官)も、興奮していたと記憶する。」
 
 村山訪朝団が出発した当時の、毎日新聞の記事です。金丸訪朝の内情も説明されていて、興味深い内容です。息子たちと、「ねこ庭」を訪問される方々に注目してもらいたいのは、次の3点です。
 
    1.  政治部記者与良正男氏の主張が、東京裁判史観そのままであること。
    2.  東京裁判史観で外務省を支配している、米国の力を理解すること。
    3.  朝鮮総連を媒介とし、自民党の実力者たちが北朝鮮とつながっていること。
 
 忘れている当時の話を、与良氏の記事で思い出すことができます。参考になるので、そのまま転記します。
 
 「当初は、北朝鮮にスパイ容疑で抑留されていた、」「第18富士山丸の船員が釈放されれば、大成功と言われていたのだから。」 ( 金丸氏らが驚くのも、無理はない。)
 
 「しかし、その後私が得た証言によれば、」「実は北朝鮮側は、金丸氏が訪朝すれば、こうした提案をすると、」「ごく一部の関係者に事前に伝えていたという。」「金丸氏は、当時の日本の最高実力者。」「ソ連という後ろ盾を失いつつある中、求めていたのは、日本からの「補償」であろう。」
 
 「人情家・金丸氏を、〈船員釈放カード〉で揺さぶったと、言えなくもなかった。」「続いて『一郎、お前に来てほしい』 と言っている、と金丸氏が要請し、」「翌月、訪朝したのが時の自民党幹事長、小沢一郎・現自由党党首だ。」
 
 「そして、翌91年初め、招こうとしたのが、」「大蔵省に大きな影響力を持つ、竹下登元首相だった。」「結局、竹下氏は行かなかった。」「だが北朝鮮は、それだけ日本国内の政治事情を熟知しており、」「したたかだということだ。」「北朝鮮側からすれば、国 ( 現体制 ) を守るためには、それは、当然のことでもあろう。」
 
 与良記者が説明を省略しているのは、金丸氏が、どこから北朝鮮側の情報を得ていたのか、と言う点です。北朝鮮と最も緊密だったのは、社会党 ( 現社民党 )でした。社会党を通じ、朝鮮総連の情報が伝わっていたと、推察します。
 
 社会党委員長だった土井たか子氏は、「北朝鮮寄りの」立場で一貫し、「拉致疑惑など存在しない」と公言していました。拉致された有本恵子さんの両親が氏に相談を持ちかけても、相手にせず、こっそり託された恵子さんの手紙を北朝鮮側に見せたという話もありました。
 
 ですから最初の頃は、田辺副委員長を通じ総連幹部から情報を得ていたが、自民党の議員が北朝鮮と行き来するようになると、社会党以上に親密な関係になったのだと思います。金日成に直接歓待され、沢山のお土産 ( 金品 ) をもらい、ハニートラップにかかった議員もいたのではないでしょうか。
 
 今では誰もが知っていますが、北朝鮮が外国の実力者に対する、歓迎手順です。下へもおかぬ歓待を受け、自分だけの特別待遇だと、ほとんどの実力者が騙されました。
 
 朝銀問題で、北朝鮮への不正送金が発覚し、朝鮮総連の不法行為が暴露されても、政府が彼らを守った理由が、このあたりから発生しているのでないかと、推測できます。拉致の手引きをした、朝鮮総連の関係者が分かっていても、逮捕されず、事情聴取もされない理由は、ここにしかないはずです。
 
 勝手な推測はこのくらいにとどめ、与良記者の記事の最後の部分を紹介します。
 
 「私も、拉致(らち)疑惑の被害者や家族のことを考えると、」「胸が締めつけられる。」「だが、一方で、日本社会全体として、」「過去の植民地支配に対する反省が、薄らいでいるばかりでなく、」「朝鮮の人々に対する差別意識が、どこかに残っていないか。」「韓国に対して行ったものと同様の、植民地支配に対する謝罪と補償は、」「避けては通れないのだ。」
 
 「拉致」でなく、あくまでも「拉致疑惑」と言います。朝日新聞の記事かと、驚かれる訪問者もおられるかもしれませんが、レッキとした平成11 年の毎日新聞の記事です。「過去の植民地支配に対する反省」「植民地支配に対する謝罪と補償は、避けては通れない。」・・・本人が意識して書いているのか、無意識なのか知りませんが、これが「東京裁判史観」に染まった、情報操作記事の実例です。

 「米朝協議が一進一退であるように、今後の政府間交渉も、すんなりとは進まないだろう。」「だが、拉致疑惑やミサイル発射も、武力解決を選択しないとすれば、」「忍耐強く、そして、こちらもしたたかに、」「外交交渉を続けていくほかない。」「まず、率直にモノを言い合うことが肝要であり、」「だから、その場を作ること、国交正常化が必要なのだ、」「と言えばカマトト過ぎるだろうか。」

 「忍耐強く、そして、こちらもしたたかに、」「外交交渉を続けていくほかない。」・・20年も前から、NHKや朝日新聞だけでなく、日本の腐れマスコミは、こうした決まり文句で国民を丸め込んでいたのです。
 
 「と言えばカマトト過ぎるだろうか。」・・・これがまともな新聞社が、まともな記事の中で使う言葉でしょうか。朝日新聞には、品性を失った記者が沢山いますが、毎日も同じだったと言うことが、これで分かりました。
 
 外務省を支配する、アメリカ政府については、次回といたします。
コメント
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