政治学部ではこういう考えが普通なのか、京極氏は興味深い説明をしてくれます。法学部にいた私が、聞いたことのない意見です。
「憲法体制を実現した国家は、自由な個人を原単位とする、いわゆる近代国家であった。」「成文憲法が人権として保障する、職業選択の自由を、社会編成の原理として採用していた。」
まだ続きますが文章が硬いので、私の言葉で言い換えますと、憲法体制のもとで「職業選択の自由」がうたわれ、全ての職業の世襲が廃止された結果として、政治の世界に下記の三つの新しい職業が生まれた、という説明です。
1. 職業政治家
2. いわゆる官僚
3. 広くメディア、ないしジャーナリズムと呼ばれる集団
1. 2. 3. の説明はどう読んでも学術的でなく、皮肉混じりの文章なので、私は氏を、反日の学者かと思いました。それでも木村草太氏や、鳥山孟郎氏、あるいは朝日ジャーナルのおかしな憲法解釈論に比べますと、まともな意見です。
学術的でない叙述が、解説に書かれていた「世間の大人」や「かたぎの生活者」向けの、政治学なのでしょうか。反日左翼か、単なる通俗か、あるいは立派な学説なのかと、最後まで迷いながら著作を読みました。
読み終わった今でも、氏の立ち位置が分からないままです。無理に判断せず、疑問は疑問のまま、息子たちと訪問される方々に伝えれば良いのかと、そういう結論に達しました。
ということで、前記 1. 2. 3.に関する、氏の説明を紹介します。
〈 1. 職業政治家 〉
「憲法体制に伴って登場した、新設の部門であり、いわゆる職業政治家である。」「選挙に当選して、中央、地方の議員、いわゆる議会政治家となり、政党による政権構想に参加する。彼らは政界の住人であり、政争の専門家である。」
これまで政治家に関し、このような説明を聞いたことがありません。信念を持ち、国家のために働くとか、国民の幸せを願い力を尽くすとか、立派な言葉で語られるのが学校の教えでした。だが「政界の住民」というのは事実ですし、「政争の専門家」と言われればその通りです。「猿は木から落ちても猿だが、政治家は選挙に落ちればただの人。」という言葉がありますが、政治家は政界に住んでいるから政治家であり、政界を出て仕舞えばただの人です。
〈 2. いわゆる官僚 〉
「国家機関ないし政府、諸官庁で、国民統治の政策企画から、現場実務までを担当する者である。」「この部門は国民国家の登場するはるか以前、古代から存続してきた部門である。」「憲法体制の当初は、政権構想に勝利した政党による、縁故採用が多かった。政党が選挙に敗北すると、任期も終了した。」
「現代においては、公開試験によって任命される専門職が大部分となり、政党間、あるいは派閥間の抗争から、中立を守る代償として身分保障を与えられるようになった。」
昔はアメリカのように、政権が変われば官僚も一新していたのだと、始めて知りました。それが現在のように変わったのは、法律も歴史も知らない無知な政治家が増え、黙っているととんでもない政治をするから、実務の専門家である官僚が重用されたのが原因かも知れません。
現在の官僚は中立を守るどころか、自分たちの省益のため、逆に政治家を動かしています。彼らの手厚い「身分保障」が、中立を守る代償だったのだとすれば見直す必要があります。
〈 3. 広くメディア、ないしジャーナリズムと呼ばれる集団 〉
「ジャーナリスト、記者、解説者、評論家などを含む。」「憲法体制のもとで、有権者が、政治過程の第一起動力となるに伴い、登場した新設の部門である。」「有権者の政治参加、政党支持、投票に関し、評価や指令、あるいは報道、解説、評論を提供する。」「その採用は、企業 ( 会社 ) の場合は、その企業の公開試験で決まり、その他は有権者の間の人気や、支持などによる。」
一連の説明が明治時代の日本のことなのか、それとも36年前の日本の状況なのか、判然としませんが、現在のこととして読んでも、そのまま通用する気もします。封建時代の昔なら、政治は宮廷と貴族、あるいは将軍と幕閣の武士が行っていたのですから、庶民に選ばれる政治家はいませんでした。
ましてメディアやジャーナリストなどは、存在していません。官僚は古代から存在しましたが、貴族や武士たちの中から世襲に近い形で受け継がれていましたから、憲法体制下の官僚は、別の成り立ちをしています。
つまりこの三つは、なるほど新設の部門です。なにかよく分からないと、息子たちに言われそうですが、氏の著書はこの三部門を中心として展開されますので、忘れないようにしてください。
反日左翼の悪書ではありませんが、奇妙な本です。惑いつつ、ためらいつつ、明日も氏の著書を辿ります。私は退屈しませんが、退屈された方は遠慮なくスルーしてください。