ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

まる10年

2019-12-22 22:01:10 | 徒然の記
 ブログを始めたのが、平成21 ( 2009 ) 年の12月31日でしたから、今月でまる10年になります。10年一昔という言葉もありますので、長く続いたのだろうと思いますが、実感はありません。
 
 今76才ですから、次の10年後、私は86才です。郷里の母は、今年98才ですが、まだ元気です。時々息子の私を忘れたりしますが、話をしていると、ちゃんと思い出します。
 
 「ボケてしもうたのに、口だけは達者で、」「相変わらず、よけいなことを言うとるよ。」「早よ死ねばいいと思うのに、まだ生きとる。」
 
 電話で話すと、必ず言います。
 
 「この間、死んでやりましょうと思うて、ご飯を食べんことにしたら、」「時間が経つと、腹が減ってしもうて、」「我慢できんようになったんよ。」
 
 「餓死するのは難しいと分かったんで、今度は、息をせんことに決めた。」「そしたら今度は、苦しうて、苦しうて、」「窒息死も、難しいて分かった。」「本当に、人間はなかなか死ねんもんやねえ。」
 
 話を聞いて、電話口で大笑いしまいました。冗談でなく、母が本気なので、なおさら吹き出してしまいました。死にたくないと、世に未練を残す人は、たいてい長生きしません。母のように執着しない人間は、返って長寿になるような気がいたします。
 
 「薬なんか、いらん。」「人間は、死ぬときは死ぬ。」
ずっとそうして今日まで来ました。
 
 「病院なんか、行かん。」「病院に行ったら、なんやかんや言われて、」「本人も知らん病気を見つけられて、」「返って、病気にさせられてしまう。」
 
 製薬会社と病院と医者には迷惑な老人ですが、厚生労働省や財務省には、きっと喜ばれる人間です。いい加減な思考スタイルが、なんとなく母に似ている私は、もしかすると長生きするのかもしれません。そうなると、あと20年はブログが書ける計算になり、10年なんて、大したことはないということになります。それが言いたくて、母の話をいたしました。
 
 あと20年もブログを続けるとなれば、この際、息子たちに言っておかねばなりません。
「こんな、重苦しいことばかり書いて、親父はいったい、幸せだったのだろうか。」
 
 私がこの世から消えた後で、ブログを読んだ息子たちに、そんなことを思われたら心外ですし、同情されるのは困ります。憲法改正、愛国心、反日・左翼、東京裁判史観と、テーマは確かに重苦しいばかりで、ブログには、笑いや陽気さがありません。こんなことを毎日考えているのですから、陰鬱な日々を送る、陰気な姿を想像されても文句は言えません。
 
 しかし、息子たちに言います。父は毎日、充実した、幸せな気持ちで暮らしています。ならばブログには、偽りが書いてあるのか、捏造なのかと、反論されるのも迷惑です。なぜ私が、切羽詰まったテーマでブログを綴っても、幸せな気持ちでいられるのか。実に簡単なことなのです。
 
 気障に聞こえるので、言いたくなかったのですが、12月は一年の区切りの月ですから、きちんと話をせねばなりません。その秘密は、「愛と感謝」の気持ちがあるからだと、自信を持って言います。愛と感謝なんて、いつからクリスチャンになったのかと、息子に疑問を抱かれかねませんが、愛と感謝は、もともと日本の文化と、歴史の産物です。
 
 愛や感謝という言葉は、おそらく明治以前には無く、西洋文化を受け入れたときの、翻訳語だろうと思います。昔から日本にあった、思いやり、慈しみ、情愛、献身、滅私という観念が、「愛」という言葉に集約され、謝意、謝辞、お礼、謝恩、恩義、有り難さという思いが、「感謝」という言葉にまとめられたと、私はそのように考えています。
 
 沢山の言葉を使わず、一語で済む便利さから、「愛」と「感謝」が世に広まっただけの話で、元々の気持ちは日本の文化としてあったものです。キリスト教など異国の宗教の、専用語ではありません。という話を踏まえた上で、「愛」と「感謝」の叙述に戻ります。
 
 私の中にあるのは、揺るぎない「日本への愛と感謝」です。同時に、揺るぎない「家族への愛と感謝」、揺るぎない「世間への愛と感謝」と続きます。口を極めて、反日・左翼の人々を批判しても、私はそれらの人々を敵視したり、憎悪したりしていません。政治家や学者や官僚や経済人を、激しく責めても、揺るぎない「日本への愛と感謝」の上に立って、述べています。
 
 残虐な殺人を是としない文化があるから、日本人は誰も、敵対する相手を簡単に殺しません。他国の騒乱や内紛には、酷い殺戮がつきものですが、日本にはありません。日本人だけでなく、外国人も、日本に住んでいれば、政治的対立で殺人をしません。 ( ただし、犯罪者の話は別です。犯罪者は、どこの国にもいて、邪悪な想念に取り憑かれ、身勝手な理由で人を殺します。)
 
 政治や宗教や思想の争いで、反対する者を殺す文化が、日本にはないのです。この風土は、世界に誇る日本の宝だと、私は大いに自慢します。宗教家でもないのに、対立する人々に、愛と感謝を忘れないのは、「日本への愛と感謝」、「家族への愛と感謝」、「世間への愛と感謝」の念が、この文化から生まれるためです。重く、苦しいテーマを、毎日綴っても、悲壮感や絶望に繋がりません。
 
 こうしている只今の時でさえ、感謝があります。冷たい雨が降り、外はしんしんと冷えていますが、部屋は暖かく、穏やかな時間が流れています。飢えも恐怖もなく、襲いかかる不幸もなく、変わらない日常があります。「日本への愛と感謝」、「家族への愛と感謝」、「世間への愛と感謝」・・・わざわざ言わなくとも、自然と湧いてきます。
 
 これが、ブログ開始から「まる10年」の気持ちです。息子たちに伝えたい、父の思いです。
コメント (6)
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