ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

日本の知識人へ - 7 ( 氏の母国オランダが、インドネシアでしたこと )

2019-12-28 18:00:13 | 徒然の記
 今日は12月28日土曜日です。あと三日で、令和元年が終わります。通りへ出ますと、爽やかに晴れた美しい空です。晴れた空とは裏腹な気持ちで、昨日の続きを書こうと思います。オランダの植民地についてです。
 
 オランダは、17世紀から18世紀にかけて植民地大国として飛躍し、「オランダ海上帝国」と呼ばれた時代がありました。七つの海を支配する大英帝国が台頭する前は、オランダが世界に威を払っていました。
 
 オランダより先に海洋に乗り出し、世界各地を荒し回ったのは、スペインとポルドガルでしたが、彼らを打ち負かしたのですから、オランダも大した国でした。オランダが全部の植民地を失うのは1970年代ですから、およそ400年間他国を侵略していたことになります。
 
 高々35年間の日本の朝鮮統治や、日中戦争の8年間を、ウォルフレン氏が批判できる立場にいるのでしょうか。時代が違うので殊更に騒ぎ立てる気はありませんが、私にすれば氏の日本批判の多くは、笑止千万です。
 
 息子たちに、私が調べたオランダの歴史を紹介します。
 
 「度重なる英蘭戦争で、北アメリカの植民地を奪われ、さらに南アフリカの植民地も、超大国に成長したイギリス帝国に敗れて失うなど、列強としてのオランダの国際的地位は凋落していった。」
 
 「この時期は、長崎出島での日本との独占貿易権が、東アジアでの、唯一の牙城だったが、続くナポレオン戦争での敗戦により、海外覇権はほぼ消滅する。」
 
 「第二次世界大戦でオランダ本国も、1940年にナチス・ドイツの侵攻により、占領された。」「またオランダ領東インドは、大日本帝国の侵攻を受けて占領された。 」「第二次世界大戦の終結後、オランダが植民地支配を復活させようと、軍隊を派遣したため、インドネシア独立戦争が勃発したが、戦闘の激化に抗し切れず植民地を手放すことになった。」
 
 オランダ領東インドが、現在のインドネシアのことですから、もしかすると氏は日本に負けた悔しさも手伝い、盛んに反日の著書を出しているのでしょうか。
 
 『オランダの340年に及ぶ過酷な植民地支配』という資料を見つけましたので、参考として紹介します。長いのですが、これでも一部分です。
 
 〈 1 - 強制栽培制度 〉
 「オランダは、耕地面積の5分の1で、コーヒー、茶などオランダ向けの生産物を強制的に栽培させたため、多くの村が崩壊し、食料自給体制が解体、餓死者が続出し、平均寿命は35才にまで低下した。」
 
 「オランダが植民地から得た利益は、国家予算の3分の1を占めた。」「ジャワ・マドゥラ地方の、人口の半分に当たる400万人が強制栽培に従事させられ、稲作の減少による米価の高騰を招いた。」
 
 「1850年には、強制栽培に凶作が重なって飢饉が起こり、ドゥマックの村は人口が33万6000人から12万に、ゴロボガン村では、人口8万9500人が9000人に減少した。」
 
 〈 2 - 混血児政策 〉
 「当時のオランダは、ヨーロッパの中でも小国で、人口が少なかった。」「宗主国として人口の少ないオランダが、数倍の民族を支配する為、大がかりにインドネシア人との混血児を作り、彼らを間接統治の官吏とした。」「行政官は混血児と華僑に任せ、インドネシア人の政治参加、行政参加はほとんど禁止した。」
 
 「オランダ女性と、インドネシア男性の混血児は生まれていない。」「オランダ男性の『性奴隷』として、インドネシアの女性が扱われたのである。」「植民地政策として合法で罪にならない強姦を繰り返し、うまれた混血児を、民族の分断と統治に利用してきたのである。」「国家ぐるみの犯罪行為が、340年間繰り返されたのである。」
 
 〈 3 - 中国人による間接統治 〉
 「中国明代の末期と清代初期の混乱期に、多くの中国人がインドネシアに移住している。」「中国人に対するオランダの政策は、政経分離であった。」「オランダは中国人の経済進出を認めたが、政治には一切関わらせず、中国人とインドネシア人は隔離して管理されていた。」
 
 「中国人には、中国人を統治させる分割統治を行い、中国人の住む地域も限定した。」「経済的に有利で巧妙な中国人は、商業活動によりインドネシア人の上位に階層を形成することになる。」
 
 「オランダ政府は、インドネシア人に税金を重たく課し、オランダ政府から許可された中国人がそれを厳しく取り立てた。」「払えないインドネシア人に対し、中国人は高利貸となり、高い金利でインドネシア人を苦しめ続けた。」「インドネシア人の不満を、間接統治に利用した中国人へと向かうように仕向けた。」
 
〈 4- オランダ・英国・ポルトガルによる分割統治 〉
 「1824年に締結された、イギリス=オランダ協定により、インド・マレー半島はイギリスが、」「スマトラ島・ジャワ島などの諸島はオランダが、それぞれ植民地とすることで、合意した。」「分割によってシンガポールは、イギリス領として承認された。」「民族や言語に関係なく、列強の軍事力で植民地の境界が、決められてきた。」
 
 「19世紀末には、マレー半島・ジャワ島・スマトラ島、バリ島・ボルネオ島・セレベス島などを、オランダ・イギリス・ポルトガルが、分割統治していた。」
 
 〈 5 - 愚民政策 〉
 「知識階級が生まれ、独立心・反抗心が芽生えることを防ぐのが、文盲・愚民政策の目的であった。」「オランダは、インドネシア人の教育を、基本的に禁止していた。」「20世紀になり世界の批判を受け、初等教育(3年間)だけは実施したが、学校に通えたのは僅か数%だった。」「上級学校へ進学する者には、オランダ語を強制し、大学卒業のインドネシア人は、年に10人程度であった。」
 
 「オランダ人は神のような存在で、絶対服従することが当然であるように、洗脳教育を繰り返していた。」
 
 〈 6 - 部族間の交流妨害 〉 
 「インドネシアは島が多く、それに比例し部族も多い。部族にはそれぞれ言葉があり、部族の数だけ言語が存在している。」「オランダ人は、部族同士の交流を禁止する為、部族の言語しか使わせないようにし、部族同士の交流が出来ないようにしていた。」「反乱に結びつくので共通言語を禁止し、近隣の部族同士が互いに諍う様に仕向けていた。」
 
 〈 7 - インドネシア人の集会・団体行動の禁止 〉
 「住民の集会は一切禁止し、独立運動家はすべてニューギニアなどの島に流刑、または死刑にした。」「住民に、武力反乱を起こさせないように、青年の体育、団体訓練を禁止し、数人の行列行進も禁止した。3人以上のインドネシア人が、路上で立ち話をすることも許さなかった。」
 
 半分以上割愛しましたがウォルフレン氏は、自国の植民地支配と日本の朝鮮統治を、一度比べてみたらどうなのでしょう。こういう偏見の知識人と意を通じ、「永続敗戦論」を唱える白井氏は、恥ずかしい人間です。
 
 息子たちに言います。
「日本が絶対に正しいとは言いませんが、日本だけが間違っていた、悪いことをしたなど、」「世界の歴史を知れば惑わされなくなります。」ましてウォルフレン氏などに・・
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日本の知識人へ - 6 ( ウォルフレン氏と 臼井氏と朝日新聞の共通項 )

2019-12-28 08:01:22 | 徒然の記
 白井聡氏の「永続敗戦」論を紹介します。
 
  ・ 昨今の領土問題で、わが国の主権に対する侵害という観念が、社会に異常な興奮を呼び起こしている。
 
  ・ 中国や朝鮮に対する挑発的なポーズは、対米従属的な状態によって生じている 〈主権の欲求不満〉 状態を、埋め合わせるための代償行為である。
 
  ・ 戦後とは、自らを容認し支えてくれるアメリカに対しては臣従し、侵略した近隣諸国との友好関係はカネで買うことによって、平和と繁栄を享受してきた時代である。
 
  ・  A級戦犯を祭った靖国神社に参拝したり、侵略戦争の定義がどうこうと、理屈をこねたりすることにより、日本人は自らの信念を慰め、敗戦を観念的に否定してきた。
 
  ・ 必敗の戦争に突っ込んだことについての、戦争指導者たちの国民に対する責任はウヤムヤにされたままである。
 
  ・ 対内的な戦争責任があいまい化されたから、対外的な処理もおかしなことになったのである。
 
  ・  戦後の日本人はずっと被害者意識で生きて来た。加害者としての責任感を持っていない。
 
  ・  日本人が英語が下手なのは、言うべき事柄がないからだ。つまり、自分の意見がないからだ。
 
 
 6年前の朝日新聞の記事からの抜粋です。白井氏が述べているのは、尖閣諸島への領海侵犯と竹島の不法占拠に対する政府抗議への批判です。
 
 さすがに反日朝日新聞が掲載する学者の記事となると、悪いのは日本と言う話になります。領土問題に関する日本の対応が、対米従属の欲求不満の代償行為とは、どこから出てくる思考なのでしょう。なんと不思議な次元の理屈かと、あの時も思いましたが今も変わりません。
 
 日本人が英語が下手なのは、自分の意見がないからと言う意見に至っては、新進気鋭の学者の言葉かと、空いた口が塞がりません。この程度の知能しかない氏に、「対米従属の欲求不満」と言われても、中身を問う気になれません。

 戦後を生きた両親や大人たちを見て育った私には、あの日々は、そんな簡単な言葉で片づけられるような、時間と空間ではありませんでした。
 
 国民全体が汗と涙の日々を重ね、寝る時間を惜しんで働き、やっと手にした「繁栄」であり、「平和」でした。アメリカに服従したため、自然現象のように繁栄したのではありません。近隣諸国に支払った賠償金は、血のにじむような国民の税金です。自分の両親だけでなく、当時の大人たちに対する冒涜ですから、「カネで買うことによって、平和と繁栄を享受した・・」などと、罰当たりなことを言わせる気持ちになりません。

 調べてみますと白井氏は、息子たちよりずっと若い学者で、父君は早稲田大学の元総長だそうです。レーニン研究などで学位を取ったと言う経歴からして、私の嫌悪する左翼系の学者です。
 
 遠回りをして、ウォルフレン氏に戻ります。
 
 「大東亜戦争は、全て日本が悪かった。」「日本は、責任を取らない加害者だ。」と、彼らの意見がここで一致しています。つまり「東京裁判史観」です。
 
 これまで何度も「ねこ庭」で取り上げてきましたが、東京裁判というのは、アメリカが戦勝国として行った「復讐裁判」です。果たして裁判と言うに相応しかったのかと、疑問を呈する資料も現れている現在です。
 
 愛国心のない朝日新聞と白井氏とウォルフレン氏が声を合わせ、日本の侵略と植民地支配を糾弾しています。日本の韓国統治期間は35年間で、日中戦争は8年間でした。氏の母国オランダは、下記の通り植民地を持っていましたが、どのような統治をしていたのか。次回はこれについて報告します。
 
 《 オランダの植民地 》
 
  オランダ領東インド   台湾        セイロン島(スリランカ)
  西アフリカ       ケープ植民地
  北アメリカ       オランダ領ギアナ  オランダ領アンティル
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