ねこ庭の独り言

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日本の政治 - 9 ( 有意義な悪書 )

2019-12-12 07:26:44 | 徒然の記
 京極氏の書評を開始した第一回目に、次のように述べました。
 
 「じわじわと日本を蝕む病原菌みたいな、氏の意見をまとめた本ですから、間違いなく悪書です。」「これは、有意義な悪書です。」
 
 第5回目の書評では、次のように言いました。
 
「読み終わった今でも、氏の立ち位置が分からないままです。」「無理に判断せず、疑問は疑問のまま、息子たちと訪問される方々に伝えれば良いのかと、そういう結論に達しました。」
 
 8回目の書評を終えた今は、氏の立ち位置が分かりました。
 
 氏は、東京裁判史観に毒された反日教授であり、左翼親派の「うつけ者」でした。今頃になって分かるというのですから、私も氏に劣らない「うつけ者」です。間違いに至った理由を述べようと思います。
 
 〈  理 由  〉
 
   1.  403ページの大著の中で、「敗戦」と「日本国憲法」についての叙述が3ページしかない。
   2.  しかもそれは著作の最初に書かれているから、何気なく読んでしまう。
   3.  左翼の定型用語を使わず、奇抜な意見を並べるため読者はごまかされる。
 
 訪問される方が納得されないとしても、これで気持ちの区切りをつけました。ということで、これから「日本国憲法」に関する意見を紹介し、終わりにすると決めました。
 
 「占領下の日本政府は、憲法改正に乗り気でなかった。」「幣原首相が託した松本国務相にしても、大日本帝国憲法に部分的修正を加える趣旨であった。」「これに対し、総司令部は憲法改正の総司令部案、いわゆるマッカーサー案を、吉田外相と松本国務相に手交した。」
 
 「日本国憲法成立の経過は、
 
   1. 大日本帝国憲法の改正手続きに従い、法的継続性を保ち、
   2. 日本国民の自由意志が、第22回総選挙によって確認され、
   3. 極東委員会の定めた原則を満たすものであった。」
 
 「しかしその反面で、
  
   1.  日本は当時連合国の占領下にあり、法律上の主権状態になかったこ
   2.  改正案の発案と、改正案の作成が、強力な占領統治により進行したこと
   3.  大日本帝国憲法の手続きに従いながら、天皇主権を移動させ、国民主権とした、日本国憲法を定めたこと、」
 
 「これらの点は主権回復後、憲法論議の争点となった。」「事実の経過を付け加えておけば、サンフランシスコ平和条約の発効とともに、日本は主権を回復したが、現在までのところ国民は、日本国憲法を廃棄しなかった。」
 
 「またその後今日まで、国会議員、内閣総理大臣をはじめとする、国家機関ないし、政府、諸官庁は、その任職と権限の根拠として、日本国憲法に依拠している。」
 
 「うつけ者」の捏造、ここに極まれりです。サンフランシスコ平和条約の発効とともに、日本は主権を回復したのに、国民がこれを廃棄しなかった・・・
 
 焦土となった国のなかで、国民はそれどころではなかったと知りながら、こんな意見を述べたと思います。政府も国家機関も、日本国憲法に従っていると、どこまでも形式論で他人事の叙述です。
 
 独立したからと言って、即座に憲法廃棄をアメリカに向かい、誰が宣言できたのか。陛下のお立場と引き換えにとマッカーサーが脅した憲法に、異を唱える政治家はいなかったと思います。しかも氏は、憲法改正にの実情を読者に隠しています。南原氏の系列にある教授が、次の話を知らないはずがありません。
 
 「宮沢俊義氏は、当初 日本国憲法の制定は、日本国民が自発的自主的に行ったものではない。」「大日本帝国憲法は、部分的改正で十分ポツダム宣言に対応可能だという見解を持ち、押しつけ憲法論の立場に立っていた。」
 
 「氏の変節の理由について駒澤大学名誉教授の西修氏が、東京帝大教授で憲法の権威であった宮沢には、GHQから相当の圧力があったであろうという説を紹介している。」
 
 「宮沢氏の学説は、変節を繰り返した。」「当初は、大日本帝国憲法の講義の際、憲法第一条から第三条まで、これは伝説です。講義の対象になりません、省きます、として、進歩的立場を示していた。」
 
 「美濃部達吉の天皇機関説が批判されると、岩波書店から出した『憲法略説』で、主張を一変した。」「皇孫降臨の神勅以来、天照大御神の新孫この国に君臨し給ひ、長へにわが国土および人民を、統治し給ふべきことの原理が確立した。」「現人神としてこれを統治し給ふとする、民族的信念の法律的表現であるとその主張は、神権主義に変化した。」
 
 「敗戦後、松本烝治憲法大臣のもとで、美濃部教授とともに助手として、帝国憲法改正作業に従事していた時は、外務省に対して、憲法草案について新憲法は必要なしと、アドバイスしていた。」
 
 「占領軍が、松本大臣を嫌っていることを知ると氏は彼らを裏切った。」「ここで占領軍に取り入れば、自分は、権威になれると判断した。なぜならGHQは、権力を振りかざすことはできても、細かな国際法や、憲法学の議論ができなかったからだ。」
 
 「占領国による、被占領国の憲法改正が、国際法違反であるということをGHQも、認識していた。」「本来は無効である、日本国憲法の正当化理論を宮沢氏はひねり出した。」
 
 「その詭弁が、〈 8月革命説〉だ。つまり昭和20年8月15日に、日本では革命が起きていた。  」「日本は天皇主権の君主国から、まったく別の国民主権の共和国になった。すなわち、昭和天皇が共和国の初代天皇になる。」
 
 こうした昭和革命説は世間に流れず、国民は一度も聞いたことがないはずです。宮沢氏がこの説を主張したとすれば、詐欺師かペテン師になりますが、ネット上には、同様の情報が確認できます。
 
 宮沢氏の目的は、GHQを安心させれば良かったのですし、氏の周りは南原繁氏以下反日左翼学者ばかりですから、氏の詭弁を黙認したとしても不思議はありません。彼らは全員、GHQの改正草案の成立を熱望していました。
 
 京極氏はこうした事実を知りながら、著書で何も語らなかったことは、現在のマスコミが「報道の自由」と言いつつ、「報道しない自由」を駆使し国民を欺いているのと、同じ手法です。
 
 もう一度、愛する息子たちに言います。
 
 「じわじわと日本を蝕む病原菌みたいな、氏の意見をまとめた本ですから、間違いなく悪書です。」「これは、有意義な悪書です。」
コメント
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