日本の官僚と政治家は、いかにアメリカに従属しているのか。氏の著書は簡単に言いますと、最初から最後まで、このテーマを追求していると言えます。
知っていることもありますが、知らない話や気づかない事実を教えられるので、その点は有意義でした。まずは敗戦直後の、日本史の復習からです。
「昭和天皇が、日比谷の第一生命ビルにマッカーサー将軍を訪ねた時から、日本の外交を司る人々は、日本が最終的には、必ずアメリカの方針に従うようにしてきたと言ってよい。」
「対ソ関係であれ、対中関係であれ、他の国々との関係であれ、日本が少しでも独自外交の兆しを見せたら、アメリカが不快に感じるような重要な問題については、間違いなくそうだった。」
35ページの叙述です。外務省には異論があるのかもしれませんが、私もこれが戦後の日本外交の出発点だと考えています。マッカーサー元帥と共に日本の舵取りをした吉田首相は、外務省の出身でした。当時の連合国には、天皇制廃止や天皇の戦争責任を問うソ連など敵意を隠さない国々がいましたから、寛大な元帥を頼るしか難局を乗り切る方法がありませんでした。
吉田氏や外務省の官僚たちが、アメリカ第一主義となった背景には「皇室護持」の大義がありました。そこが分からないウォルフレン氏は、遠慮のない批判をします。
「同盟というものは国の大きさや、軍事的、経済的に、大きな差がある国の間で、結ばれることもある。」「しかし同盟を結ぶにあたっては、お互いが対等な国としてその決定をする。」
「では、アメリカと日本はどうだろうか。」「そのような、対等な関係にあるとは言い難い。」「日本は最初からずっと多くの点で、いわばアメリカの弟分だった。もちろん時には日本の官僚が、アメリカの立場を支持するのを渋り、ワシントンを苛立たせたことはある。」
「だがそのような時でも、東京はただ返事を先延ばししたり沈黙を続けたり、息を潜めていたりするだけで、アメリカの外交プログラムや、外交構想を邪魔だてしたことは一度もないのである。」
「一部の左翼思想家はかっての日本を、アメリカの植民地と呼んでいたが、この呼び方は適切とは言えない。」「日本の服従は、100%そうではなかったからだ。」「日本の実業界や金融界のエリートが、アメリカが理想とする経済システムと根本的に異なるシステムを、どれほど見事に守ってきたかを見ると驚嘆するばかりだ。」
「植民地の経済は、常に宗主国の利益に叶うように、運営される。」「しかし日米関係で、経済はそうではない。」「日本の産業の発展は、時としてアメリカの経済的利益に対する、大きな脅威とみなされてきたのである。」
氏の意見は、カーター、レーガン、ブッシュ(父)、クリントンと、歴代大統領との間で繰り広げられた、貿易戦争のことを指しています。マスコミの報道では、日本が一方的に攻められているように思えましたが、実際はそうでなかったことが分かります。企業家と経済官僚は、なかなかアメリカの意のままにならなかったのです。
日米貿易摩擦の最中である平成元年に、ソニーの会長盛田昭夫氏と、石原慎太郎氏が共同執筆した、『NOと言える日本』がありました。元気の良い本だと思いましたが、氏の説明を読みますと歴史的な書と言えそうです。だからこそヴォーゲル氏が日本に滞在してまで研究して、『ジャパン・アズ・ナンバーワン』を著し、日本経済の弱体化に貢献したのかと納得します。
外交問題では米国に服従していても、経済活動では日本の自主性を通していたとは初めて知る事実です。そうなりますと、中国や韓国に熱を入れる経済界に対し、違った見方をする必要があるのかもしれません。話がそれますので元に戻しますが、こういう理由によって、氏は日本がアメリカの植民地ではないと説明します。
「日本はアメリカの同盟国でもなく、植民地でもない。そしてもちろん、単なる友人でもなく、それ以上の関係だ。」「ではこの奇妙な関係を、なんと呼べば良いのだろう。」「この関係の性格が捉えにくいのは、それを表す言葉がないためだ。このような関係は、歴史にかって存在したことがない。」
氏にここまで言わせるほど、日米関係が特殊だと教えられ私の方が驚きます。
「日本は、自国の外交に関するほとんどの事項で、アメリカに従うしかない、貧しい小国というわけではない。」「むしろ恐るべき産業大国となり、かっては無敵だったアメリカの産業に対する、大きな脅威となっているのである。」「従って属国とする見方は、日本には当てはまらない。」
息子たちに言います。オランダの記者が語る日本は、私たち自身が気づかない日本です。このような見方もあるのだと、心に刻んで欲しいと思います。
「国内の仕組みについても、国民の考え方についても、日本は、ヨーロッパ諸国が受けたきたほど、アメリカの影響を受けてはいない。」「日本の大衆文化は、ヨーロッパ諸国のそれよりも遥かに強く、独自の特徴を残しているのである。」
「日本がアメリカの傘の下に、ぬくぬくと隠れていると最もハッキリ見做せる分野は、何と言っても外交である。」
ここで私は、とても重要な発見をしたことに気づきました。
「外務省の官僚たちが、アメリカ第一主義となった背景には、皇室護持の大義があった」という事実です。
外務省に日本人はいるのか、害務省ではないかと、私は口を極めて批判してきましたが、その秘密がここにあったのかと思いを新たにします。確かに外務省は、このような弁明を公にすることはできません。もしも現在のアメリカ第一主義が、昭和天皇のお立場との譲歩であったとしたら、74年間見直されない不自然さはあるとしても、外務省に感謝しなくてならないのかもしれません。
先を続けたいと思いますが、スペースがなくなりましたので、本日はこれまでといたします。