ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

白井聡氏の寄稿文 - 2 ( 8年も成長を忘れた反日学者 )

2021-06-17 18:11:30 | 徒然の記

 ( 8年も成長を忘れた反日学者 )とサブタイトルにしましたが、過去の8年間、氏は何をしていたのでしょう。今回冒頭に、まず述べなくてならないのは、京都精華大学で氏の授業を受ける学生たちへの同情です。思想信条の自由が保障されている日本とはいえ、偏見と卑屈さと間違いだらけの講義を聞かされるのですから、気の毒な学生たちです。

 あと10行で、氏の寄稿文が終わります。今回の記事のメインとなる主張が、最後を飾っています。

 「国内外の多様な困難に直面している今、問題を引き受けようとする態度こそが必要。」「主権者であろうとすることは、誠実に生きるということです。」

 私には氏が何を言っているのか、さっぱり分かりませんが、驚くべき意見を述べています。

 「自ら責任を引き受けようとし、衝突を恐れずに、」「勇気ある行動を取った人を、引き合いに出す。」「一人は翁長雄志前沖縄県知事であり、もう一人は、」「天皇退位への強い思いを滲ませた『お言葉』を、2016年に表明した現在の上皇様だ。」

 どのような論理の糸をつなげば、こんな組み合わせが出てくるのか、思考回路が不明ですし、説明もしていません。

 翁長氏は、那覇市議、沖縄県議、那覇市長時代は自民党に所属していましたが、平成26年に自民党を離れ、沖縄からの基地撤去を主張する共産党と結びつきました。この時の志位委員長と翁長氏の言葉が、ネットに情報として残っています。

〈 共産党委員長・志位和夫氏のエール 〉

 「このたたかいの先頭に立つ翁長さんが知事になれば、日米両政府に巨大な衝撃を与え、新しい歴史の扉を開きます。」「翁長さんを知事に押し上げ、沖縄の新しい歴史をつくろう」

〈 翁長雄志氏の返礼 〉

 「志位委員長から激励をいただき、本当にこれまでの政治活動が間違っていなかったと感じています。」「一緒に行動して本当に違和感がない。」「なぜもっと前から、一緒にならなかったのかと思います。」

 要するに氏のスローガンは、米軍基地反対の一点張りでした。「普天間基地の閉鎖・撤去」、「オスプレイ配備撤回」、「あらゆる手法を駆使した、辺野古新基地反対運動。」というもので、政府に反対し、沖縄の反日活動を煽り、日本国中の左翼過激派を集め、さらには韓国からも集め、平和活動という名の騒動を生み出しただけの県政でした。

 不毛な沖縄県政でも、米軍に逆らったという外観だけで、白井氏には「責任ある、勇気に満ちた行動」と映ったのでしょうか。反日・左翼同士なので、氏が翁長氏を賞賛するのは自由です。しかしなぜ、上皇陛下が出てくるのでしょう。憲法を無視し、内閣にも知らせず、NHKを使い、陛下が『お言葉』を発された時から、社会の混乱が始まっています。

 これが、「女性宮家」「女性天皇」の議論が湧き出したきっかけでした。それはまさに、2600年以上続く皇室を崩壊させるための、陛下の反乱でもあったと、私自身は今でもそう考えています。陛下の『お言葉』のどこが、これほどまで氏を有頂天にさせるのか、思い当たることは一つしかありません。

 「天皇制廃止」を党是とする共産党に、反日・左翼たちは引き寄せられます。「皇室崩壊」につながる陛下の『お言葉』を、氏は評価している・・・としか考えられません。昭和天皇は生涯「私」を傍に置かれ、国民や国のためという「公」を第一とされました。無理にされたのでなく、「立憲君主」とはそうするものという信念で、「私事」を語られませんでした。

 しかし上皇陛下の『お言葉』は、最初から最後まで「私事」でした。「体力が続かなくなったから、天皇を退位する。」「残された家族が大変だから、自分の葬儀は簡素にする。」・・等々、国民不在のまま、ご自分のことだけでした。現在眞子さまは、国民の心配や苦悩をお考えにならず、ご自分の恋の成就を願っておられます。刑事事件にもなろうかという、不審な母子との婚姻を進めておられます。

 国民と共に歩み、敬愛の中心にあった皇室が、自己中心的なお考えでも済ませられるようになるとは、昭和時代には考えられないことでした。そういう「崩壊」、「破壊」と言う意味で、氏は陛下の『お言葉』を評価しているとしか、考えられません。

 昭和52年生まれの氏は、私の息子たちより若い学者です。戦前と戦後を生きた両親や、他の大人たちを見て育った私にとって、戦後は、氏のような言葉で定義してしまえるほど、簡単な時間と空間ではありませんでした。

 国民全体が、それこそ汗と涙の日々を重ね、寝る時間を惜しんで働き、やっと手にした「繁栄」と、「平和」でした。アメリカに臣従したから、自然現象みたいに繁栄したのでは決してなく、近隣諸国に支払った賠償金は、血のにじむような国民の税でした。

 自分を育ててくれた両親への思いからだけでなく、当時の大人たちへの敬意や感謝があるから、見過ごせない意見となります。英語が喋れないのは、日本人に言うべき意見がないからだと、ひどいことも言っています。英語が喋れない日本人は、全員自分の考えが無いということになり、私は英語が話せないから、自分の意見がないというのでしょうか。バカバカしくて読む気にも、ならない愚論です。

 加害者としての責任を感じればこそ、中国、韓国に対し、無償援助やODAといった名目で、どれだけの金額を支払ったというのか。あるいは、尖閣、南京、靖国の問題について、中国が執拗に攻撃してきても、どれほど耐えてきたのか。韓国の言う慰安婦にしても、徴用工にしても、捏造の言いがかりと知りながら、政府は謝罪し、反論さえしていません。必要以上の加害者意識のため、多くの国民は我慢しました。氏はどこを見て、日本人が、ずっと被害者意識だけで生きてきたと、決めつけるのでしょう。

 「 日本人である以上、祖国がこのまま朽ち果てていくのは堪え難い。我々は本当の意味での、「敗戦後」を始めなければならない。」

 その氏が、恥ずかしげもなくこんなことを喋っています。嘘と横車を押しつけ、相手を威嚇することしか知らない中国政府と、韓国政府の人間に似ています。先日は「両論併記」の共同通信社を褒めましたが、本日は「反日左翼の腐れマスコミ」と遠慮なく言います。

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白井聡氏の寄稿文 ( 成長を忘れた反日学者の例 )

2021-06-17 12:57:30 | 徒然の記

 6月11日金曜日の新聞で、8年ぶりに白井聡氏の寄稿文を読みました。昭和56年生まれの氏は、今年44才です。当たり前の話ですが、8年前に氏の寄稿文を読んだ時は、36才だったことになります。当時まだ朝日新聞の読者だった私が、どんな思いをしていたのか、ブログを探しましたので転記します。

 「今月一杯で、朝日新聞店との契約がやっと終わる。」「7月限りで、この忌々しい、反日の新聞とオサラバできる。」「だから、腹立たしい記念のために、朝日の記事をブログに載せる。」「あと10日の辛抱だ。長かった、実に長かった。」

 記念のためのブログにしたのが、氏の記事でした。氏の意見は「永続敗戦論」と呼ばれているらしく、新進気鋭の学者の論理だと、朝日新聞が褒めていました。今回共同通信社はさほど持ち上げていませんが、6段組の大きな扱いで、氏の写真まで掲載していますから、それなりの評価をしていることが分かります。

 昨日はやっと国会で、憲法改正のための「国民投票法」と、国土を守る「土地利用規制法」が成立しました。戦後76年目にして、やっと日本を取り戻そうとする動きが軌道に乗り始めました。そんな時に、久しぶりとはいえ、反日左翼学者のたわごとを目にし、興醒めしてしまいました。

 8年経っても、少しも成長しない学者の愚かさを、息子たちと、「ねこ庭」を訪問される方々に伝えずにおれなくなりました。8年前と現在の意見を、論評無しで並べますので、自分の目で確かめてください。

 〈 8年前の「朝日新聞」掲載記事 〉

 ・  日本が、敗戦をなかったことにしていることが、今もなお、日本の政治や、社会のありようを規定している。( この状態を、氏は「永続敗戦」という新造語で表そうとしている )

 ・   昨今の領土問題は、日本社会に、異常な興奮を呼び起こしている。中国や朝鮮に対する挑発的なポーズは、対米従属的な状態にあることによって生じている 、"主権の欲求不満" 状態を、埋め合わせるための代償行為だ。

 ・  戦後とは、容認し支えてくれるアメリカに対しては臣従し、侵略した近隣諸国との友好関係は、カネで買うことによって、平和と繁栄を、享受してきた時代だ。

 ・  A級戦犯を祭った靖国神社に参拝したり、侵略戦争の定義がどうこうと、理屈をこねたりすることによって、日本人は、自らの信念を慰め、敗戦を観念的に否定してきた。

 ・  必敗の戦争に突っ込んだことについての、戦争指導者たちの国民に対する責任は、ウヤムヤにされたままだ。対内的な戦争責任が、あいまい化されたからこそ、対外的な処理も、おかしなことになった。

 ・  日本人が英語が下手なのは、言うべき事柄がないからだ。つまり、自分の意見がないからだ。

 ・ 戦後の日本人は、ずっと被害者意識で生きて来た。加害者としての責任感を、持っていない。恥の中に生き続けることを、拒否すべきた。それが、自分の言葉を持つということでもある。

 〈 現在の「共同通信社」配信記事 

 ・   日本人である以上、祖国がこのまま朽ち果てていくのは堪え難い。我々は本当の意味での、「敗戦後」を始めなければならない。

 ・   否認は、現実を認めることによる不安を回避するための、防衛機制だ。

 ・  それは敗戦を、終戦と言い換えたことに象徴されている。丸山眞男に代表される戦後思想は、この態度を乗り越えるために奮闘した。 

    ・   しかし東京電力福島第一原発事故後に広がったのは、原発推進への執着という、破滅の否認だった。

    ・  無反省、無責任、思考停止、この否認の国民的態度が、安倍政権を歴代最長化させた。

 ・   3・11 後の日本の惨状を否認したいという、国民の期待に対し、日本の敗戦を認めたくない安倍前首相は、ピッタリだった。

     ・   否認の態度は、権力維持が目的となった菅政権でさらにひどくなった。

 大抵の人は、謙虚に学べば、時を重ねるほどに賢くなりますが、氏は何年経ってもバカなままです。氏の思考の根底にあるのは、「日本だけが悪かった」「日本だけが間違った戦争をした」という、「東京裁判史観」です。別名「敗戦思考」とも言います。

 「 日本人である以上、祖国がこのまま朽ち果てていくのは堪え難い。」・・・典型的反日・左翼である氏が、よくもこんなことが言えたものです。ここで終わると中途半端なので、もう少し続けます。気短な方は健康に良くないので、次回の訪問はおやめ下さい。

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