ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

『最後の殿様』 -4 ( 殿様から見た「幕末」 )

2021-06-18 19:16:26 | 徒然の記

 幕末から維新にかけ、侯が語る事実は、私が学校で習った歴史と少し異なっています。どちらが正しいかと言うことでなく、こう言う見方もあるのだと、知識として必要な気がします。

 いわば侯の話は、政権を持っていた徳川家の一員としての意見です。敬意を表さずにおれないのは、天下争乱の時代を当事者の一人として語っても、激情にかられることのない、冷静さです。今日、政府を攻撃する反日左翼勢力の、醜いまでの自己主張と比較すれば、一目瞭然です。まして、白井氏のような学者のつまらない意見に憤る私の小ささは、引き合いに出すまでもありません。

 「徳川一門には、徳川の姓を名乗る宗家と尾張、紀州、水戸の三家と、」「田安、一橋、清水の三卿とがある。」「ほかに、松平を名乗る一族もある。」

 話が少しそれますが、叙述を読んでいますと、家系を絶やさないための工夫が、御三家だけでなかったことが分かります。男系を守るための養子縁組が、盛んに行われていた事実も教えられます。

 「越前福井の藩主松平は、所領32万石で、尾張と共に中部日本の北辺、北陸の重鎮であった。」「この松平家15代藩主斉善(なりよし)に、後継がなかった。」「そこで江戸城内に住む、田安斉匡の8男で11歳の田安錦之氶を養子にした。」「これが16代藩主慶永で、世間には松平春嶽として知られている。」「春嶽の時代、尾張徳川は14代慶勝であり、水戸は9代斉昭である。」

 嘉永6年(1853)の6月、ペリーが4隻の軍艦を率いて浦賀に入港し、幕府に開国を迫ったのは、春嶽侯が25才の時でした。以来開国をめぐり、天下が大騒ぎになったのは、歴史で教わった通りです。開国論と攘夷論、勤王派と佐幕派に国が二つに分かれます。

 「将軍家定は病弱無能で、重大時局を乗り切れなかった。」「春嶽は朝廷の許可を受けて、開国論を主張し、」「慶勝、斉昭も加わって、一致していた。」「家定が没し、後継者問題が起こった。」「春嶽は斉昭の子の一橋慶喜を推し、朝廷の許可なしにハリスと日米修好条約を結んだ、」「大老井伊直弼を責めた。」

 直弼は紀州徳川家の家茂を推していたため、対立が激化し、春嶽、慶勝、斉昭の三人は、隠居謹慎となりました。春嶽の処分は最も重く、藩主の地位を奪われ、霊岸島の屋敷に幽閉され、家族、家来、友人との面会通信の全てが禁止されました。

 「春嶽の言動の背後には、家臣の橋本左内、中江雪江、由利公正、」「鈴木主税ら、進歩派の活躍があったのである。」「中でも橋本左内は長州の吉田松陰と並び、薩摩の西郷隆盛も、」「左内の人物、識見には、一目をおいたほどである。」「左内は勤王開国はもちろん、ロシアとの同盟締結をさえ主張していた。」

 人物の名前と、相互の関係を具体的に語られますと、幕末維新の歴史が、生き生きと私の中で蘇ります。幽閉直前の春嶽侯が心配したのは、家臣たちが責任を感じ、切腹するのではないかと言うことだったそうです。侯は密かに書面をしたため、「責任は全て主君たる自分にあり、汝らの罪にあらず。軽挙妄動せぬように。」と制しています。

 「井伊直弼の弾圧は、それだけでは済まなかった。」「4ヶ月後に橋本左内を逮捕し、翌6年には、」「吉田松陰ら100余名を処分する、安政の大獄となった。」「だが井伊は、この報復を受けた。」「2年後の万延元年3月、桃の節句に登城の途中、」「桜田門外で、水戸浪士らに斬殺されたのである。」

 これもまた有名な話ですが、私が驚いたのは、侯の次の説明でした。

 「井伊直弼は、偉大な政治家であった。」「親藩三家といえども、容赦無く処罰する。」「反対派を弾圧することに、いささかの仮借もない。」「その所信を貫く行動は、なみの政治家にできることではなかった。」

 しかし、褒めすぎてもいません。

 「だがそこに、一抹の不安がある。」「井伊の弾圧は、反面で明治維新を早めたと言える。」

 右顧左眄する今日の政治家、与党、野党を問わず、彼ら議員諸氏に聞かせたい言葉ではありませんか。意見が異なっていても、互いに国のため、命をかけ、戦っています。今はなき、武士道に生きる政治家たちの姿でしょうか。

 「井伊を失ったことは幕府には痛手だが、改革派には幸運であった。」「春嶽は謹慎を解かれ、幕府の政事総裁となった。」「将軍家茂が没し、一橋慶喜が最後の将軍となった。」「政局は、維新に向かって急展開する。」

 231ページの著作の、たった14ページの部分を紹介しています。侯が直接関与された、5・15事件、2・26事件、あるいは中国戦線への視察、敗戦、東京裁判へと続きます。この調子で行きますと、今年一杯かかるのかもしれませんが、殿様を真似て、「慌てず騒がず、マイペース」で行きたいと思います。

 国会の動き、国際情勢、「ねこ庭」の変化など日常のことも忘れずに、ブログを続けようと思います。

 うまい具合に電話がつながり、武漢コロナの予防接種の予約が、家内と二人で2回目の分も完了しました。私の第一回目は、6月21日16時からです。色々な人が様々な意見を言っていますが、政府が国民のためやっていることですから、私は有り難く接種をします。それが、国民の務めでしょう。嫌な人は、やらなければ良いだけの話です。

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