ねこ庭の独り言

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『最後の殿様』 -7 ( 尾張徳川家・青松葉事件 )

2021-06-22 22:41:52 | 徒然の記

 先の大戦の大東亜戦争ばかりでなく、幕末から明治にかけても、多くの人命が失われ、国難に殉じています。尾張藩の「青松葉事件 ( あおまつばじけん ) 」も、その中の一つでした。

 義親侯が語らなければ、おそらく誰にも知られることなく、記録にも残らず終わった事件です。ネットで調べますと、概略が分かりました。

 「青松葉事件は、慶応4年1月20日から25日にかけて、尾張藩14代藩主徳川慶勝が、」「藩内において、佐幕派とされた家臣を粛清した事件である。」「 それまで京都で、大政奉還後の政治的処理を行っていた慶勝が、」「" 姦徒誅戮 " の勅命を受け、帰国した直後に処罰が実行された。」

 簡単に述べますと、それだけの話ですが、侯にとっては、忘れてはならない尾張藩の歴史です。名前は出てきませんが、岩倉具視を、生涯許せない人物として心に刻んでいる経緯が窺えます。

 朝廷は、尾張藩が藩主以下勤皇派で固められていると知り、信頼を寄せていましたが、徳川御三家の筆頭ですから、藩内には徳川宗家に忠を尽くす家臣も、少数ながらいました。渡辺新左衛門、榊原勘解由、石川内蔵允ら14名の家臣が、いわゆる佐幕派でした。

 鳥羽・伏見の戦いで幕府側が負けたにも関わらず、彼らは敗北を認めず宗家を救援しようと、藩士たちに働きかけました。16代藩主義宣は事態を憂慮し、藩士を城中に集め説得しています。

 「父慶勝は今京にいて、朝廷と宗家の間を取り計らい、日夜尽力している。」「この際軽挙妄動すると、宗家を思いながら、逆に宗家を不利に陥れるから、」「慎重にし、大義を誤らないようしてもらいたい。」

 こうした動きが朝廷に伝わり、前回のブログで紹介した勅命が出されました。内容は次の通りでした。

 ・尾張藩の佐幕派を一掃し、全藩士を勤皇で固めること。

 ・中仙道、東海道沿いの各藩に、勤皇誘引の使節を出すこと。

 ・慶喜の幕軍が西上すれば、中仙道は木曽谷で、東海道は名古屋城で阻止せよ。

 慶勝はこの命を実行するとともに、重臣を引き連れ、名古屋へ戻ります。名古屋へ入る前途中で一泊し、佐幕派の一掃について重臣と討議します。

 「重臣に人物がいなかったのか、処分するほどではないのに、」「渡辺新左衛門以下14名に、罪科を作り上げ、」「名古屋へ戻ると同時に、切腹を命じたのである。」

 「慶勝にとって14名の処分は、股肱の臣であるため、」「血を吐く思いの処置であった。」「朝廷はこれで、義勝の決意が不変のものであると知り、安心した。」「中仙道、東海道の各藩も朝廷に恭順した。」

 「慶喜は江戸へ戻ったが、江戸城を明け渡し、もとより朝廷に叛く意思はない。」「やがて朝廷も、杞憂から出た行き過ぎを知り、犠牲者の罪禍を取り消した。」「尾張藩も、14名の罪科を取り消し、」「名誉を回復し、給与を支給した。」「この14名の霊は、今日も僕の家で祭っている。」

 これで全容が分かりましたが、ここに私は、武士道の真髄を見る気がいたします。

 「事件の要因は朝廷にあるが、慶勝は藩内の紛争事として、極秘に収拾した。」「その年の日記を全部消滅させるなど、人知れぬ苦労をしたようである。」

 分からない人には、期待しませんが、分かる人には通じる気がいたします。つまり私は、慶勝公と同じ苦労を、宮内庁にいる人士に期待しているということです。そしてまた私は、侯の次の言葉にうなづきます。学校の教科書では教えない。「殿様から見た明治維新」です。

 「明治維新は、薩摩、長州の力量だけでは成功しなかったのではないか。」「維新成功の裏には、春嶽、慶勝、斉昭のトリオによる努力が大きい。」「この事実を無視して、歴史家は維新の功績を、」「単純に、薩摩、長州のものとしている。」「もちろん新政府の建設には、薩長の下級武士に負うところが多い。」

 明治維新の元勲たちを、侯は下級武士と言って憚りません。殿様には殿様の、ご先祖を想う矜持があるのだと思います。

 「明治維新は、日本の平和革命であった。」「打倒されるはずの徳川家は、静岡で、70万石の大名として残った。」「松平春嶽は、新政府の大蔵卿 ( 大蔵大臣 ) 、大学別当 ( 文部大臣 ) 、侍読 ( 天皇の講師  ) に就いたが、」「間もなく、一切の公職から去った。」

 「僕はこの春嶽が、58歳の時、春嶽を父に、」「小石川町の屋敷で、生まれたのである。」「この家はもと、安藤対馬守の上屋敷であった。」

 しみじみと、心に残る叙述です。もし私が当事者として、青松葉事件を語ったとしたら、悲憤慷慨、怨みつらみを書き綴ったに違いありません。敵味方を峻別し、対立感情を煽る、つまらない内容になったと思います。

 こうしたご先祖さまが、日本には沢山おられたということを、忘れてはなりません。私たちの中には、ご先祖さまのDNAが今も生きています。諦めず、辛抱強く、己を律しつつ頑張りましょう。

 この言葉を、他の人々に言わず、自分に言い聞かせております。

コメント (2)
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