『最後の殿様』の書評を中断し、しばらくブログを休んでいました。パソコンから離れていたのでなく、終日「過去のブログ」と向き合っていました。
1. 3年前のブログ 『敗戦日本の内側』 12回シリーズ
2. 2年前のブログ 『岡田啓介回顧録』 5回シリーズ
なぜなのか、私の古いブログを読まれている方があり、自分で読み返してみました。夢中になると後先を考えず、のめり込んでしまうが私の癖です。だから私のブログは、大抵何回か連続し、シリーズものになっています。息子たちや、「ねこ庭」を訪問される方々のためと、高揚した気分で取り組んだテーマが、連続物になっています。
芥川賞だったか、直木賞だったか忘れましたが、「泣きながら書きました」と、受賞した作家が述べていました。この人はそうなのでしょうが、私の場合、感激し、涙に暮れながら書いたブログは、大体失敗しています。自分の気持ちだけが昂り、余計な修飾語が並び、とても読めない独りよがりな文章になっています。
小説に限らず、論文でも、作文でも、「泣きながら」書いたものに、碌なものは無いと、私自身は思い込んでいます。その思い込み通り、今回読み直した上記「過去のブログ」も、恥ずかしくなる部分があちこちにありました。
私自身は、ブログとして投稿すると読み返すことはなく、ほとんど忘れています。今回のように、古いブログが読まれているのを知った時は、自分でも驚き、読み返します。独りよがりの感激や、恥ずかしいまでに昂った言葉遣いなど、気がついたら修正します。
今回ブログを中断していたのは、この作業をしていたためです。プロの作家でありませんから、芸術性を高めたいと頑張っているのでなく、こういう文章では、息子たちが読んでくれないという心配のためです。いつからこうなったのか、正確に覚えていませんが、ブログは愛する息子たちへの遺言です。
これからの世界がどうなるのか知りませんが、反日左翼の学者や政治家たちがいうように、どんな人間も平等で、差別もない、区別もない、不思議な「共生社会」が来るのかもしれません。国境もない、人種もない、宗教も、思想もなく、人類が仲良く住む世界・・本当にこんなに社会が来るのか、理想なのか。疑問だらけですが、こんな風潮が流行っています。
私は親として、父として、息子たちを愛していますから、こんな世間の風潮を憂えています。息子たちだけにでも、親の気持ちを知ってもらいたいと、そんな風に思っています。話を進めますと、何ということはありません。いつも通りの、自己中心的な偏見になりますが、隠す気持ちはありません。
要するに、そんな気持ちで、ここ数日、「過去のブログ」を読み返し、修正作業をしていました。長いシリーズのブログには、自己満足が多く、息子たちに敬遠されると、そういう発見がありました。時間があり、気持ちに余裕があれば、これからも時々、「過去のブログ」を読み返そうと思っています。
最後に、お礼を言わなくてならないのは、私の「過去のブログ」を読んでくださっている方々です。10年前の書き出しのブログまで読まれている、信じられない「もの好きな方」もいます。私なら決してしない、本物の野次馬なのかもしれません。しかしこの方々のおかげで、無精な私が、自分の「過去ブログ」に向き合っております。
いくら感謝しても、足りません。