ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

青山繁晴氏の活動 - 2 ( 令和の幕開けと共に )

2021-06-29 17:33:21 | 徒然の記

 令和元年に生まれた「護る会」の正式名称は、一度聞いても覚えられない、「日本の尊厳と国益を護る会」という長い名前です。こんな要領の悪い党名で、果たして生き残る政党になれるのかと、心配になります。

 しかし、新天皇が即位された令和元年は、忘れることのできない慶事の年でした。元号の発表を、当時官房長官だった現菅総理が行いました。それまでは、中国の古典の文字が引用されていた元号が、初めて日本の古典から作られました。日本に現存する最古の和歌集である、「万葉集」の一節からでした。

 「ときに、初春しよしゆんれいげつにして、淑よくかぜやはらぎ、

    梅は鏡前きやうぜんひらき、らん珮後はいごかうかをらす。」

  は善、よいと読み、はなごやかの意味だそうです。新聞の記事を読み、一生懸命に覚えたのに、今はすっかり忘れていますが、あの時の新鮮な興奮は忘れていません。
 
 「人々が美しく心を寄せ合う中で、文化が生まれ育つという意味が込められている」と、安倍総理が説明していました。「美しい日本を取り戻す」と言って国民の期待を集めたのに、氏は約束を反故にし、「移民法」や「カジノ法」、「アイヌ新法」など、「美しい日本をダメにする」政策を進めました。
 
 それなのこの時も、私ばかりか、多くの国民が氏の言葉に誘われるまま、「令和」の元号に心を躍らせました。5月1日に、徳仁 ( なるひと  ) 皇太子殿下が、126代天皇に即位され、4日には即位を祝う一般参賀に、14万人の国民が集まりました。
 
 そんな祝賀ムードの中で、6月12日に青山繁晴氏は、鬼木誠、高木啓、長尾敬、山田宏氏らと共に「護る会」を結成しました。発起人5人の経歴を、ネットから転記します。
 
 2.  発起人5人の経歴
 
  ・1  青山繁晴氏 ( 参議院議員  )
   昭和27年神戸市に生まれ、68才。元共同通信社社員、元三菱総合研究所社員。その後仲間数人と独立し、有限会社独立総合研究所を設立、代表取締役社長。安全保障・危機管理、外交、政治を専門分野とする。無派閥。
 
  ・2  鬼木誠氏  ( 衆議院議員 )
   昭和47年福岡に生まれ、48才。元福岡県県議会議員。安倍氏を支持する若手議員らを中心に発足した「文化芸術懇話会」に参加。第3次安倍内閣で、環境大臣政務官。現在石原派所属。
 
  ・3  高木啓氏  ( 衆議院議員 )
   昭和40年東京に生まれ、56才。元都議会議員、元都議会自民党幹事長。元民主党、その後無所属となり、現在細田派所属。
 
  ・4   長尾敬氏  ( 衆議院議員 )
   昭和37年東京に生まれ、58才。元明治生命保険社員。元民主党、その後無所属となり、現在細田派所属。第4次安倍内閣で、内閣府政務官。
 
  ・5   山田宏氏  (参議院議員 )
   昭和33年東京に生まれ、63才。元都議会議員、衆議院議員、東京都杉並区長、総務省顧問、大阪府市特別顧問、防衛大臣政務官兼内閣府大臣政務官、日本創新党党首、次世代の党幹事長を歴任。
新自由クラブ→自民党→日本新党→新進党→日本創新党→日本維新の会→次世代の党→自民党 ( 細田派 )
 
  スペースがなくなりましたので、詳しい話は次回といたします。
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青山繁晴氏の活動

2021-06-29 00:05:39 | 徒然の記

  最近は青山繁晴氏の動画、【ぼくらの国会】を見ています。公設秘書の三浦麻未氏が進行役をつとめ、隣に座った氏が、折々の活動報告をするというもので、30分程度にまとめられ、ほとんど毎日発信されています。普段は知ることのできない、議員と役人のやりとりなどが参考になります。

 倒れそうだとか、寝不足だとか、ぼやきが多いので、最初は重要視していませんでしたが、「国民投票法」、「土地利用規制法」、「皇位継承問題」などが語られるようになると、心が惹かされました。野党はもちろんですが、総理にも大臣にも失望しつつある私は、藁にも縋る気持ちで、愛国の士を探す日々です。

 最近の動画での氏は、別人のように見えます。もしかすると氏は、左に傾きつつある自民党を、正しい位置に戻すのではないかと、そんな期待が生まれています。議員になる前から知っていますが、氏は国を愛する国民の一人で、反日左翼の対極に位置します。議員になっても「公言実行」を続け、しかも単独行動をせず、党内の有志を募り、少しずつ輪を大きくしています。

 反日左翼や、中途半端なリベラルという左傾の議員が多い政界では、氏の集めた有志は「右翼」と呼ばれたりしますが、実態は保守本流です。最初は5人で作った会派が、今は66人になっています。

 会派に参加しても、名前を公表しない議員が衆議院に4名、参議院に2名います。議員は「選挙で落ちればただの人」ですから、政界の風を読み、懸命な離合集散を繰り返します。私たちは傍観者ですから、「風見鶏」と言って笑いますが、議員個人は真剣勝負なのだと思います。

 それでも2、3年したら、影も形も無くなった政党や会派を、私たちは沢山知っています。「護る会」がそうならないことを、願うばかりです。

 「ねこ庭」を訪問される方々は、ご存知だと思いますが、私の息子たちはおそらく青山氏を知りません。氏が作った「護る会」について、ネットで調べた情報を紹介したいと思います。

 1.  令和3年6月現在、自民党内での議員数

  衆議院の自民党議員数  277名 護る会の議員数 37名

  参議院の自民党議員数  110名 護る会の議員数 29名

                   合   計    387名                          66名   比率17%

  参考のため、自民党内の7つの会派と所属議員数を調べましたので、比較してください。

  細田派   ( 清和政策研究会 )        96名

  麻生派   (  志向会  )                      55名

  竹下派   ( 平成研究会 )          52名

        二階派   (  志帥会  )                     47名

        岸田派   (  宏池会  )                     47名

        石破派   (  水月会  )                     17名

        石原派   (  近未来政治研究会  )     10名

 66名と言えば、かなり大きな勢力になりますが、「護る会」の議員は、党内の他派閥の所属議員で構成する、「派閥横断組織」なので、単純な比較はできません。会派の発足は、令和元年6月ですから、まだ3年を経過していません。政界を吹き荒れる政争の中で、果たして生き残れる会派となれるかは、まだ未知数です。

 私の目に映る「護る会」は、輝いて美しいけれど、触ると砕けるガラス細工のような不安感もあります。不動の会派となるには、議員諸氏の確かな活動と国民の支持が必要で、まだまだこれからの組織です。

 次回もまた、息子たちのため、「護る会」の情報を続けますので、ご存知の方はスルーしてください。

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