ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

拉致問題・ 考えずにおれない事態の発生

2024-03-20 23:31:04 | 徒然の記

 「 考えずにおれない事態の発生」と書くと大袈裟に響きますが、拉致問題の厳しい経緯を踏まえますと、相応しいタイトルに思えます。

 まだ続ける予定だった「能登地震とウクライナ支援の比較」のブログを、9回で切り上げた原因は、3月13日に観た動画でした。ANNnews CHが、1月10日のサンデーステーションで公開した22分の短い動画で、タイトルが目を引きました。

  「  蓮池薫さん初証言 拉致被害者の生活と横田めぐみさんら「8人死亡」の嘘  」

私の驚きを説明する前に、氏の言葉をメモしましたので先に紹介します。

  ・北朝鮮に従順とみなされた5人だけが日本へ帰され、北の思い通りにならず、不都合なことを喋るかもしれない8人が、死亡とされた可能性があると観ています。

  ・日本に帰って、その人が北へ戻って来なかったら困る、色々喋られたら困る。

  ・とすると、帰す人間は限られてきたんじゃないかと思う。

  ・正直自分は、結婚してから、子供ができてからは、下手なことを言わなかったです。

  ・日本へ帰してくれと言っても無駄たと分かっていましたし、そういうこともあって、言う通りになる人間と北は考えた。

  ・特に私には子供もいて、人質に利用できるからと思う。

  ・そうするとめぐみさんの場合は、当時すでに病院へ行っていた段階で、ご主人とも別れていた状態ですし・・・

  ・13才の時に拉致され、辛い思いをされて、帰りたいと言う思いは、我々より何倍も強いと言うことを北朝鮮自体が知っている。

  ・めぐみさんが日本の政府関係者に会って、帰りたくないと言ってくれるかと言うと、それは違う。だから、帰せない。

  ・だからめぐみさんは、生きていると考えられると言うことですよ。

  ・北の言っている、「めぐみさんが命を絶った」とは考えられない。だって、日本に帰らなきゃと言う強い意志を持ってらっしゃる。そう言う方が、簡単に諦めるなんて、嘘ですよ。

 ここで氏は記者の用意したパソコンの衛星写真を見て、自分たちが住んでいた招待所の家々を1号棟、2号棟、3号棟とポインターで示しながら、地村さん夫妻やめぐみさん、田口八重子さんたちと家族ぐるみの付き合いをしていたと説明します。動画の最後に北との交渉方法について、自分の意見を述べました。

  ・交渉には、期限を示すことが重要です。

  ・二人の親御さんが生きておられる間の解決・・・。それができなかったら、日本は北朝鮮が思うような外交はしませんよ。

  ・時間は日本にも無いけど、貴方たちにも無いよ。今実現しなかったら、貴方たちが求めるもの、経済援助は、半永久的に得られないかもしれないよ。

  ・経済的に困っている北朝鮮に、期限を示すこと、これは北朝鮮に非常に効果があると思います。

 サンデーステーションのアナウンサーの説明によりますと、蓮池氏がテレビのインタビューに応じるのは今回が初めてで、自分の考えを述べるのも初めてだそうです。帰国して20年の節目に、やっと口を開いた蓮池氏の姿を見て、「ねこ庭」は「 考えずにおれない事態の発生」と受け止めました。

 氏の話を素直に聞けない自分がいて、真っ先に浮かぶ疑問が幾つかありました。ANNnews CHはテレビ朝日系列の動画会社で、反日左翼の朝日新聞の仲間です。

 ・動画配信会社は沢山あるのに、なぜ氏はANNnews CHを最初のインタビュー先に選んだのか。

 ・こんなに具体的なことを、氏は政府関係者や家族会の人たちに話をしてこなかったのだろうか。

 ・20年経って意見を言うのでなく、もっと早く話をしていたら、政府の交渉の役に立っていたのではないか。

 なぜなぜと言う疑問と同時に、氏が日本へ戻って来た時の記者会見の状況が浮かんできました。NHKのネットニュースの録画を見た感想だと思いますが、「ねこ庭」の過去記事から見つけましたので紹介します。

  ・地村保志氏夫妻・蓮池薫氏夫妻・曽我ひとみさんの5人が、日本政府のチャーター機で24年ぶりに帰国した時の様子です。羽田空港では待ちわびた家族の方々が出迎え、再会を喜びあっていました。

  ・今でも忘れられないのは、記者たちにマイクを向けられた時の地村保志さんの言葉です。

   「詳しいことは、あっちに聞いてください。あっちの方が、上ですから。」

  ・質問攻めに戸惑った地村氏が言い、目くばせした先にいたのが蓮池薫氏でした。上下関係の厳しい国から帰国すると、ちゃんと監視役がついているのだと深い意味もなく感じました。

  ・蓮池氏は他の帰国者と異なり、胸につけた金日成バッジを家族に言われても外さなかったと言います。バッジは薫氏の誇りでもあったようで、兄の透氏が、「洗脳されて帰ってきた」と呟いていた記事をどこかで読んだ記憶があります。

 それ以後氏の姿はマスコミから消え、弟を気遣う兄として印象に残っていた透氏が、別人のようになった姿を見たのは14年後の平成28年でした。「外国特派員記者クラブ」に招かれ、氏が会見をしている動画でした。

 氏の辛辣な政府批判を、弟の薫を代弁している意見として聞きました。平成28年と言えば、第三次安倍内閣の時です。

  ・政府が、対話を続けながら制裁を強化するなんて矛盾している。言っていることとやっていることが、ばらばら。
 
 北朝鮮が残る拉致被害者の消息について、病死、事故死と日本政府に伝え、物証を見せて欲しいと要求すると、火葬後の骨を埋葬した墓が水害で流れたから無いと言い、さらに追求すると「探したら見つかった」と、遺骨を持ち出してきました。DNA鑑定をすると別人の骨だったという杜撰さで、断固とした対応をと家族会が政府に要求していた時の話です。
 
 強く迫ると北が機嫌を損ね、黙っているとすぐに露見する嘘をいうので、政府は制裁と対話という難しい対応をしていました。透氏が批判していたのは、このことです。
 
 ・帰国した拉致家族にしても、政府の生活支援はほとんどありません。こんな話を北にいる拉致被害者が聞いたら、帰る気になりませんよ。
 
 薫氏の気持を代弁していると考えたのは、この発言でした。リーダー的立場にいた薫氏は北朝鮮で優遇されていたのかもしれず、弟の不満を兄が代わりに述べていると感じました。
 
 ・安倍さんは拉致問題を踏み台にして、首相の座を手にしたんだと思っています。
 
 透氏のこの発言には驚かされました。氏は、安倍氏が拉致を利用して首相の椅子を得ていると、そんな本を出版したばかりでした。むしろ彼の方が拉致家族と安倍氏を踏み台に、売名と金稼ぎに精を出しているのではと考えました。このような意見が生まれる原因を考えると、薫氏による安倍氏批判しか思いつきませんでした。

 長らく拉致問題を担当してきた山谷えり子議員が、「蓮池透氏は、北の工作員ではないか。」と疑問を呈していましたが、こういうことを平気で口にするから、透氏は家族会のメンバーから外されてしまいました。

 しかし私は山谷氏とは違う意見で、今も変わらず同じ考えをしています。

  ・北の工作員ならもう少し賢い。彼は北に洗脳された、お花畑の日本人の一人に過ぎない。

 透氏を洗脳した北とは弟の薫氏ではないかという、当時の印象が今も残っています。次回は蓮池薫氏とANNnews CHについて、手元にある情報を息子たちと「ねこ庭」を訪問される方々に紹介します。薫氏については結論を急がず、一緒に検討して頂ければ有り難いと思います。

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拉致問題・「救う会」の公報より

2024-03-20 13:09:03 | 徒然の記

 〈 北朝鮮は日本以外の近隣諸国から、何人の人間を拉致しているのか。 〉

 今回は「救う会 全国協議会」の広報より、北朝鮮が日本以外の国からどのくらいの人間を拉致しているかを紹介します。

 「救う会」のデータを見ますと、他の国からの拉致は韓国を除くと少数で、国を対象に狙った拉致とは思えません。あくまでも北朝鮮の主たるターゲットが日本だったことが、表示が「〇〇人 ( じん ) 」となっているところから推察できます。

 〈 世界に広がる北朝鮮による拉致被害(救う会作成)〉

   ・韓 国 人   ・・・82,959人  ( 朝鮮戦争中の民間人拉致数  )

                               ・・・  489人   ( 朝鮮戦争休戦後の拉致数  )

   ・レバノン人    ・・・  4人   ( 1979年までに救出。うち1人は米兵の妻  )

   ・タイ人                   ・・・  1人   ( 米兵の妻  )

   ・ルーマニア人         ・・・  1人   ( 米兵の妻  )

   ・マカオ系中国人        ・・・  2人   

   ・マレーシア人            ・・・  4人   

   ・シンガポール人         ・・・  1人   ( 上記マレーシア人女性と同時期に拉致 )

   ・フランス人                 ・・・  3人  

   ・イタリア人                 ・・・  3人   

   ・オランダ人                 ・・・  2人  

   ・ヨルダン人                 ・・・  1人  

 警察庁広報の説明通り、「よど号」犯人の元妻が金日成から、「革命のためには、日本で指導的役割を果たす党を創建せよ。」との教示を受けていたのなら、韓国以外の国の拉致総数が22人である事実と、約900人という日本の人数が付合します。
 
 韓国は同胞の国なので、金日成の頭では社会主義化は当然のこととして予定されていたはずで、日本を超える人数も納得できる数字です。
 
  紹介した末川博、小田実、寺尾五郎、土井たか子各氏の言葉の通り、当時の北朝鮮は社会主義国家の建設を進めている若い国でした。日の出の勢いだった金日成の目には、韓国は言うに及ばず日本での革命も、遠からず達成出る見込みだったのではないでしょうか。  

 日本人拉致は、昭和45 ( 1970 ) 年頃から10年間に多発し、前に説明しましたが、この間の内閣は次のとおりでした。

  佐藤内閣、 田中内閣、 三木内閣、 福田内閣、 大平内閣、 鈴木内閣

 歴代内閣は拉致問題の発生をほとんど知らないか、知っても過小評価して過ごしていたことになります。状況が変わったのは、昭和62 ( 1987 ) 年に発生した大韓航空機爆破事件でした。実行犯の金賢姫 ( きむ・ひょんひ ) の証言から、日本人拉致被害者の実名が語られ、マスコミが大きく報道するようになりました。

 〈 金賢姫の証言 〉

   ・「蜂谷真由美」という名の偽造パスポートを持って、日本人に扮していた

   ・北朝鮮で「李恩恵」(リ・ウネ)という日本人女性から日本語を習った

   ・警察は「李恩恵」という日本人女性を、田口八重子さん(当時22)と断定

 ウィキペディアでは、昭和50 ( 1977 ) 年に拉致された横田めぐみさんの実名報道がなされ、国会でも取り上げられたと説明していますが、この新聞記事は残念ながらいくら探しても見つかりません。

 日本政府からの問い合わせが増え、都度北朝鮮は否定し続け、金日成の計画が狂ったのは、おそらくこの頃からでないかと「ねこ庭」では推測します。拉致した日本人を革命の精鋭として教育し、日本各地へ送り込む計画が頓挫して、平成6 ( 1994 ) 年に金日成は失意のまま亡くなったのではないかと思われます。

 この後の動きとして私たちが知っている大ニュースは、平成14 ( 2002 ) 年9月小泉首相が北朝鮮で日朝首脳会談に臨んだ事件です。

  ・金正日(キム・ジョンイル)総書記が拉致を認めた

  ・翌10月には蓮池薫さん ( 64 )、地村保志さん(66)ら5人が、昭和53 ( 1978 ) 年の拉致から24年ぶりに帰国した

  ・2年後の平成16 ( 2004 ) 年に、5人の家族が帰国・来日した

 拉致問題シリーズの第一回目に、次のように述べました。

 「考えずにおれない事態の発生につきましては、後でゆっくりと説明する予定です。」

 急遽「拉致問題」を取り上げることとなったのは、考えずにおれない事態が発生したからなので、本来の主題はここにあります。これに言及していないのは、勿体ぶっているのでなく、事前の事実整理と確認が重要であるため、敢えて遠回りをしました。

 惑いつつ、躊躇いつつ、常に「ねこ庭」のブログを書いていますので、正しい情報を紹介するには、事前の整理と確認作業が不可欠になります。訪問される方々を焦らせるためでなく、自分の整理能力の未熟さがさせている状況をご理解ください。

 次回は、「考えずにおれない事態の発生につきまして」説明いたします。

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