ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

溜まっている千葉日報新聞 - 13 ( 「蛸壺史観」と「まやかし」 )

2025-01-18 21:08:19 | 徒然の記

 「まやかし」の見出しがついた記事を、紹介・検討します。

 ・これは何なんだろって、ずっと考えているわけです。

 ・僕らは恵まれているのかもしれない。一方で世界が動いているのに、全然別の時空にいたということかもしれない。

 ・この答えが、実は日本とは何かの解になると思うのです。

 ここまでが氏の意見で、次は共同通信社の解説です。

 ・保坂さんはこれを日本の特異性だという。そこで生きて来た人間は、戦争論なり平和論なりを世界に発信しなければならない責任があるとも。

 日本の特異性といえば、主としてかっての社会党と共産党が主張していた「一国平和主義」でないかと思います。
 
  ・大東亜戦争を起こしたのは日本陸軍の侵略主義である。
 
  ・軍人が武力で周辺国を侵略しなかったら、あの戦争は起きなかった。
 
  ・日本が過去の過ちを反省し、武力を持つことをやめ、周辺国を刺激しなかったら二度と戦争が起きない。
 
  ・日本は平和国家として、何もしないのが一番良い。アメリカと軍事同盟を結べば、アメリカの戦争に巻き込まれるのでそれもしない方が良い。
 
 世界の普通の国のように自分の国を守る軍を持たないと公言し、アメリカに守ってもらいながら反米デモをするというのが戦後の日本でした。
 
 「平和憲法」という建前と、国を守るための自衛隊の増強というその後の矛盾した政策に、政治家もマスコミも学者も口を閉ざし、国の象徴である「国旗」と「国歌」を軍国主義のシンボルと目の仇にして、否定しました。
 
 「愛国心」という言葉が「右翼」・「極右」を意味する言葉になり、「日の丸」や「君が代」という言葉と共に世間から消えていきました。同時に世界中の国民が誰でも持っている「自分の国への誇り」を、失ってしまいました。
 
 いわばこの状況が日本の特異性ですが、氏はその意味では語っていません。「蛸壺史観」に浸かっていても、世論を察知するアンテナは持っているらしく、自分の意見を軌道修正しています。
 
 ・実は平和憲法という言葉を疑っています。
 
 ・戦後日本は平和憲法と共に始まったわけですが、そこで立ち止まっている。これでいいのか。
 
 ・米国と軍事を一体化することに疑問を挟まず、平和憲法に頼ることに大きな誤りがないか。
 
 ・憲法9条というのは、先にある目標ですよ。平和憲法に「していく」プロセスが大事なのです。
 
 ・ロシアのウクライナ侵攻など21世紀の戦争を見ていると、これまでの平和論が通用しなくなっていると感じる。
 
 ・核兵器の「恐怖の均衡」に基づく平和論、というのがありましたね。お互いに絶滅は嫌だから、核兵器は使わないという。
 
 ・でもロシアのプーチン大統領が核の脅しを言い出して、まやかしがあらわになりました。
 
 ・こういう危機的状況で、日本が現代史の中で守って来た立場というのは、新たな平和論に道を開くのではないかと思うのですよ。
 
 ・天の配剤というのかね。僕は同時代史にどっぷり浸かっていたから、歴史の立場に立つのが難しい。
 
 ・でも誰か若い人に、新しい論を立ててもらいたいです。
 
 以上が、共同通信社の1月1日の記事の全文です。自分の犯した過去の過ちを正直に言わず、平和を求める国民が現行憲法の空想論に危機感を抱き、「憲法改正論」が現実的になっているのを見て、巧妙な軌道修正 (  変節 ) をしているのではないでしょうか。
 
 氏の意見の検討はゆっくりと次回にするとして、今回「ねこ庭」が氏に送る言葉は「卑怯者」・・・の一言です。もしかすると共同通信社も「ねこ庭」と同じ印象を得て、本音で記事の見出しをつけたのかもしれません。
 
 「まやかし」・・・
 
 だとすれば、小林よしのり氏の評価 ( 蛸壺史観 ) に並ぶ「流行語大賞」でしょうか。
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溜まっている千葉日報新聞 - 12 ( 「蛸壺史観」 )

2025-01-18 15:07:14 | 徒然の記

 今回は、共同通信社の記事に戻りました。同社によるインタビュー形式で書かれています。

 ・2025 ( 令和7 ) 年は、「昭和100年」にも当たる。

 ・自分が書いてきたのは「同時代史」であり、これからは「歴史」の解釈に移行する時期だと語る。

 戻ってきた記事の最初の6行です。これが年頭に語った氏の言葉だとすれば、氏は自分のやってきた間違いが今も分かっていないことになります。

 「帰国した兵士の手紙」を読み、「ねこ庭」は氏が「同時代史」を客観的に書いていないことを知りました。「反戦平和」の思考に立ち、日本の過去を否定する側からの歴史を終始書いています。妻や子や家族を守るため国に命を捧げた兵士の言葉は、一つも取り上げていません。

 氏の姿勢は「恨みと憎しみのない」客観的事実の整理をせず、反日リベラルの立場から解釈した意見を述べることです。そんな氏が、

 これからは「歴史」の解釈に移行する時期だ・・というのでは、これ以上どのような解釈をするのかと空恐ろしくなります。

 ・僕は、こんな事実があるという話を掘り起こしてきました。それは同時代の感情にまみれている。

 ・歴史的解釈というのは、そうした情を削りながら考えることなんです。

 「ねこ庭」から眺めますと、氏がまみれている「同時代の感情」は「東京裁判史観」に他なりません。氏が削り取らなくてならないのは、日本をダメな国とする「東京裁判史観」ですが、気づいている気配がありません。

 ・20世紀において、特攻とか玉砕とか最後の一兵まで戦うという国は、日本以外になかったですね。どの国も兵の消耗率を考えて、無理なら撤退した。

 すっかり著名人となった氏の意見が、共同通信社の提供する1ページを使って掲載されています。今年もこれを読む国民が騙されるのかと「ねこ庭」は考えます。

 「温故知新の読書」で教えられた、毛沢東の言葉があります。 

 ・中国軍には、日本にあるような近代的武器はない。しかし中国には11億の人民の武器がある。

 ・日本との戦いにはゲリラ戦が最も有効で、敵が怯んで動けなくなるまで人民軍を投入する。日本軍はたかが2 、30万人の部隊だ。11億の人民の武器が押し寄せて包囲したら、時間と共に補給路を断たれた日本軍は孤立し、我々が勝利を手にする。

 砲弾が尽きるまで敵を倒しても、地からでも湧いてくるようにゲリラ兵が襲って来たと言います。ゲリラ戦の激しさは、同時に中国軍の人間消耗戦の信じられない激しさでした。

 兵を武器と考え、たとえ1 億人失っても中国にはまだ10億人の人間がいると豪語した毛沢東について、氏は知らないのか、それともわざと語らないのか。

 中国共産党軍のゲリラ戦を知っている人間には「どの国も兵の消耗率を考えて、無理なら撤退した。」という氏の説明が作り話だと分かります。

 それなのに今年も「こんな国は、日本以外になかった」と、氏が日本の悪口を言っています。記事にする共同通信社も、どうかしているのでないかと考えさせられます。

 ・玉砕とか同時代の中では「愚かだな」というけど、歴史的解釈ではどうなるのか。

 ・人間をこれだけ粗末にした国が、なぜ今ある姿になっているのかを考え抜くべきなのです。

 なるほど共同通信社は、氏のこの言葉を記事の見出しに使っていたのです。人間を消耗する武器と考え、ゲリラ戦で大量消耗させた中国共産党の国が、氏には人間を粗末にした国と映っていないようです。

 話が横道へ逸れますが、息子たちと「ねこ庭」を訪問される方々に、小林よしのり氏が保坂氏を評価した言葉を見つけましたので紹介します。 ( ウィキペディアの情報だったと思います。)

  ・戦争の原因を自国の中でのみ探り、外国の視点がまったく抜け落ちているため、狭い蛸壺に入ってしまったような歴史観になっている

  ・小林は、保阪の歴史観を「蛸壺史観」と評している

 「日本だけが間違った戦争をした」「日本だけが悪い国だった」という「東京裁判史観」の蛸壺から、首だけ出して氏は世界を眺めています。

 「女性宮家」と「女系天皇」に賛成するなど、小林氏も保守か左翼かよく分からない人物ですが、この評価は「言い得て妙」の感があります。

 ・取材で米国やロシア、中国などを回るたびに、必ず自分と同年代の人間を探し出して話を聞いた。

 ・その中で気づいたことがある。

 ・「あなたは軍隊経験があるか。」と聞くと、たいてい「ある。」と答えます。

 ・そこで「自分は鉄砲を持ったことがない。」と話すと、みんなびっくりするわけ。同時に「その方がいいよ。」と、うらやましがる。

 取材で米国、ロシア、中国を回っても、「蛸壺」から出て話を聞かない限り、ツボに邪魔され相手の話が体全体に響かないのではないかと、そんな気がしてきました。「ねこ庭」が審査員だったら、「蛸壺史観」を今年の「流行語大賞」にします。

 次の記事は節を変えて、共同通信社が「まやかし」という見出しをつけています。この記事は「まやかし」ですと、読者に注意喚起しているのか、よく分かりませんが、ちょうど良い具合にスペースがなくなりました。

 「まやかし」の記事の検討は、次回になります。

コメント (2)
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溜まっている千葉日報新聞 - 11 ( 帰国した戦友からの手紙 )

2025-01-18 09:01:10 | 徒然の記

 今回紹介する手紙は、亡くなった戦友の細君へ、死なずに帰国した兵士が出した手紙です。

 自分だけが生還した後ろめたさに、戦友の家族に訃報をすぐに伝えられず、一年余も迷った挙句、「それでは松下君の英霊に申し訳なく」と、やっと出した手紙です。

  〈 亡くなった戦友  松下 八寿雄氏 

    京都府船井郡出身、自作農、45才、軍属

    昭和19年7月 ニューギニア・サルミにて戦死

    妻と子供五人

  〈 帰国した戦友   世津 定弘氏 

     滋賀県滋賀郡出身 自作農

〈  昭和20年7月5日出し、松下氏の妻・きさのさん宛の手紙 〉

   ・拝啓、初夏の候、貴家ご一同様には、ますますご清祥の御事と存じます。

   ・小生この度、復員を致しまして、ご家族の皆々様に、このお便りを差し上げます心の苦しさをお察し下さいませ。

   ・ご主人様、松下君には、出征以来無二の親友として交わり、お互いに助け合い励ましあって、幾戦線を超えました。
 
     ・昭和19年4月戦況の悪化により、ホーランジャよりサルミへの転進を開始。
 
   ・死の転進行軍二ヶ月余、無事サルミに到着し、同地にありて作業中、7月1日の大爆撃にて松下君は不幸爆死されました。
 
    ・小生、丁度その日は別の作業にて夕方帰隊、松下君の悲報に、墓前にて思わず男泣きに泣きました。
 
   ・朝の元気な顔が、夕には魂と変わりませしこの姿に、ただただ胸迫り、運命とは言いながら、幾年月苦楽を助け合った二人でしたが、松下君の御魂を抱いて一年余今自分は故国に帰り来て、ご遺族の皆様にご報告する小生の胸は、張り裂けんばかりです。
 
  ・いっそのこと、公報にてご承知されるまで、お知らせ致すまいとも思いましたけれど、それでは松下君の英霊に申し訳なく、今ここに拙き筆を運びます次第。
 
  ・ご家族様には、さぞさぞ御驚き、御悲しみ、いかんとも御慰めの言葉も、これなく。皆々様も、ご自愛専一にて、新日本建設にご奮闘なされてこそ、地下の松下君も、成仏されることと信じます。
 
  ・いずれ一度は、御墓参りに参上致したく思いますれども、先ずは取り敢えず、書面をもって、ご通知、お悔やみを申し上げます。     敬白
 
 
 この手紙は8年前の平成30年、「ねこ庭」の過去記事から転記しています。保坂氏と共同通信社の記事のように、多くの説明はありませんが、今でも読むと目頭が熱くなります。
 
 4000人もの兵士に話を聞いたのなら、保坂氏は他国の人間を殺した兵士の話だけを集めるのでなく、殺された側の兵士の言葉も紹介できなかったのだろうかとそんな思いがします。
 
 日本を「人間を粗末にした国」と語りたくて、日本を批判する例に偏っている氏の姿勢が、読者の心に響かない記事にさせているのではないでしょうか。多くの説明をしなくても、兵士の言葉をそのまま伝えた方が読む人に迫ったのかもしれません。「帰国した戦友の手紙」は、ご本人の言葉だけで戦争の悲惨さと苦しみを伝えている気がします。
 
 今回は戦友からの手紙を紹介するにとどめ、これ以上のコメントを差し控えます。次回は、残りの記事の紹介と検討作業に戻ります。
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