ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

溜まっている千葉日報新聞 - 10 ( 保阪氏の経歴と、氏の話 )

2025-01-17 19:33:20 | 徒然の記

 腰を据えて、保坂氏と共同通信社の記事を検討すると決めましたので、同社の記事を全部紹介します。

 ・終戦の日を保坂少年は、北海道南部の八雲町で迎えた。

 ・当時5才、翌年4月に新たに生まれ変わった八雲小学校に入学した。

 ・自らを、「戦後民主主義の第一期生」と語る。

 ・戦時の灯火管制がなくなり、街が明るくなった。それが保坂さんの戦後の始まりだった。

 次の9行を転記して分かりましたが、紙面は「ねこ庭」が予想していた氏の寄稿でなく、共同通信社によるインタビュー記事でした。

 ・小学校の校庭に、天皇の御真影と教育勅語を収めた奉安殿があったんですね。戦時中は神聖な場所です。

 ・それをある日、校長がツルハシを振るって壊していた。子供心に、何でこんなことをするのかと思いましたね。

 「ねこ庭」の管理人である私が生まれたのが昭和18年12月9日で、昭和14年12月14日生まれの氏は、5才年上になります。

 当たり前の話ですが、氏が小学校一年生だったのは昭和20年で、私が一年生だったのは昭和25年です。小学校の正門脇の築山にあったのは、奉安殿だったのか、奉安殿跡だったのか、自分の記憶を辿ります。

 連合国軍 ( GHQ ) による統治が、昭和20年9月から昭和27年4月まで約6年半ありました。

 サンフランシスコ平和条約の発効が昭和27年4月で、日本の独立はこの時、つまり私が一年生に入学した2年後です。

 GHQが全国の学校にある「奉安殿」をそのままにしておくはずがありませんので、私の記憶にある「奉安殿」は「跡地」だったことになります。

 私も「戦後民主主義の第一期生」の範疇に入るのかどうか知りませんが、氏の話は自分の記憶と重なります。

 ・午後3時20分になると、みんな学校近くの踏切まで走りました。

 ・進駐軍の米兵を乗せた列車が通る時に、ガムやチョコレートを投げてよこすからですね。

 ・僕は父親に「拾うな」ときつく言われていたので、美味しそうに食べている友達が羨ましかった。

 私の思い出は列車でなく、街を走る米兵のジープでした。追いかけて来る子供たちを見つけるとジープを止め、ガムやキャンデーを手渡しでくれました。差し出される子供の手の数が多かったので、与える菓子がなくなると彼らは手を振って走り去りました。自分もガムやキャンデーをもらったのか、どんな味がしたのか、何も覚えていません。

 ・授業を突然自習にして、窓際で外を見ながら涙を流している先生とかいましたね。

 ・戦争で家族を亡くしたんです。そう言う時代でしたね。

 慌ただしい戦後でしたから、5年も経つと世相が変わったのでしょうか。私の記憶には、子供の前で涙を見せるような先生はいませんでした。

 次の記事は氏の話でなく、共同通信社の説明です。

 ・京都の大学を卒業後、会社勤務を経て、1970 ( 昭和45 ) 年代から戦争の聞き書きを始める。

 ・「兵士は何のために死んだのか」を知りたかったと言う。取材相手は、川べりなど人気のないところへ連れ出して聞く。

 ・すると兵士たちは、時に家族にも話していない、胸の内をとつとつと明かした。

 次の記事は、インタビューに答えた氏の話です。

 ・早稲田の英文科を出てインドネシアで従軍した人ですが、不意打ちで休息中のオーストラリア兵らを全滅させたんですね。

 ・死んだ中に、手紙を書いている途中の兵士がいた。

 ・読んだら、「お父さん、お母さん、あと1週間で除隊です。帰ったらあのレストランで、食事をしましょう。」とある。

 ・彼は手紙を捨てることができなくて、靴下の中に入れて引き揚げてきたのです。そして「保坂さん、預かってくれないか。」と言う

 ・断りました。

 ・彼は死んだ後でお棺に手紙を入れてもらって、家族に内緒のまま一緒に灰になりました。

  次の記事も、インタビューに答えた氏の話です。

 ・中国戦線で上官に、「始末しろ」と言われ、5才の子供を撃ち殺した兵士。共産党員をより分けて、皆殺しにした兵士。

 ・そうした秘密を聞き出すことは、「取材者も、そのつらさを一緒に背負い込むことになるのだ。」と言う。

 ・話を聞いて地下鉄で帰る際、自分の体と意識が遊離しそうになったことがある。消耗します。聞き書きというのは、本当に応分の構えがないとやれないんですよ。

 保坂氏と共同通信社が紹介している兵士の告白は、作り話でなく事実だと思います。戦争時の異常で深刻な出来事ばかりですが、「ねこ庭」はどの話にも心を動かされませんでした。

 文筆を仕事にしている氏と共同通信社ですから、文章がまずい訳がありません。書いている当事者に何か足りないものがあるのか、胸に響くものがありません。主観の問題なのか、「ねこ庭」の先入観がそうさせるのか。

 次回は過去記事の中から、「ねこ庭」が読後に涙を拭った兵士の手紙を一通紹介します。単なる主観の問題か、「ねこ庭」の先入観が邪魔をしているのか、息子たちと「ねこ庭」を訪問される方々に比較して読んで頂けたらと思います。

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溜まっている千葉日報新聞 - 9 ( 保阪正康氏の意見 )

2025-01-17 10:20:49 | 徒然の記

     令和6年12月16日 「特攻で戦死の兄忘れられず」 上原登志江さん

  令和7年  1月  1日 「新しい平和論を」 ノンフィクション作家・保阪正康さん

  令和7年  1月  1日 「新春経済アンケート」 千葉県経済界トップ29名へのアンケート

  令和7年  1月  1日 「県選出国会議員に聞く」 衆議院議員23名へのアンケート  

  令和7年  1月  1日 「県選出国会議員に聞く」 参議院議員11名へのアンケート 

  令和7年  1月  3日 「大連立  選択肢ある」「首相や公明党が言及」 

  令和7年  1月  3日 「トランプ旋風再び」「どうなる世界」 

 ・8件の記事をどこまで紹介できるのか、やってみなければ分かりません。息子たちと「ねこ庭」を訪問される方々に、無用と判明次第切り上げようと思います。

 シリーズを書き始めた1月13日に上記のように書いて、1番目の記事の検討だけで8回を費やしました。反日リベラルの石破内閣が今も続き、立憲民主党の野田氏が「自民党を政権から引き摺り下ろす」と息巻いています。

 自由民主党内の保守議員は何をしているのか、マスコミがさっぱり動きを伝えません。過激なトランプ氏の大統領就任が迫っているというのに、「少数与党である自民党は、野党の意見をよく聞かねばなりません」と、ねばねばの石破氏が相変わらず寝言を言っています。

 この国難の時に、「大連立  選択肢ある」「首相や公明党が言及」などという愚かしい記事の検討作業を続ける気持がなくなりました。 

 ここで止めてもいいのですが、ノンフィクション作家保阪正康氏については、客観的な検討作業をしてみたい気持があります。保守のような意見を言うかと思えば、反日左翼の主張をするので、昔から好感を覚えられない人物の一人で、名前を聞くだけで不愉快になっていました。

 「恨みと憎しみ」のない事実の整理をした、賀屋興宣氏に出会う前の話です。

 「戦前戦後の日本史の大河」をみた自分が、どれだけ冷静に氏の意見を読めるようになったのか。感情的批判の自分を卒業できたか、それが知りたくなりました。

 1月1日、千葉日報新聞の12面全部を氏の意見が占めています。共同通信社の配信記事ですが、よほど同社に気に入られているらしく、氏の写真が紙面の約半分を飾っています。

 大きな活字の見出しが、氏の意見をPRしています。

 「戦後80年の年頭に」「ノンフィクション作家  保阪正康さん」

 「新しい 平和論を 」「日本の特異性を考え抜く」

 「人間を粗末にした国が、なぜ今ある姿になっているのか」

 「ねこ庭」が検討作業の物差しに使うのは、敗戦後の日本を属国にした「アメリカの三段階の関与 ( 日本弱体化計画 ) 」をどこまで認識しているのか。

 この一点です。

 残りの記事の検討を止めましたので、腰を据えて作業にかかれます。先ず紹介するのは、大きな写真の下に書かれている氏の経歴です。

 〈 ほさか・まさやす 〉

  ・1939 ( 昭和14 ) 年札幌市生まれ 同志社大卒 広告会社を経て出版社に勤務

  ・72 ( 昭和47 ) 年にノンフィクション『死なう団事件』で作家デビュー

  ・昭和を生きた政治家、官僚、兵士らへの聞き書きや、終戦時に米国や旧ソ連に押収された資料を調査し、昭和史の実証的な研究を進めた。

  ・著作は『東條英機と天皇の時代』、『昭和陸軍の研究』、『ナショナリズムの研究』( 2017年度 和辻哲郎文化賞 ) など多数

  ・「昭和史を語り継ぐ会」を主宰  一連の昭和史研究で04 ( 平成16 ) 年に菊池寛賞を受賞

 氏の写真の背景には、青空と海と砂浜が映っていて、説明文があります。

  ・北海道八雲町を訪れた保阪正康さん

  ・自宅から3キロほどの距離を歩き、父親とよく海水浴に来ていたという

 縦長の写真を飾るように、先に紹介した記事の見出しが額縁みたいに書かれています。

  「人間を粗末にした国が、なぜ今ある姿になっているのか」

 検討作業を進めるまでもなく、この言葉だけで氏への嫌悪感が走ります。日本の過去を真面目に調べた人間なら、このような言葉を使いません。「人間を粗末にした国」と言う言葉で日本の過去を語るのは、「東京裁判史観」を持っている馬鹿者の意見だからです。

 しかし早まるなと、「ねこ庭」の中にいる冷静な心が戒めます。記事を読まないうちから批判するのでは、成長した自分がいないことになるので困ります。

 記事の書き出しの6行を、転記しながら読んでいきます。

 ・1945年の敗戦から80年となる年が明けた。

 ・世界各地で戦争や紛争が続く中で、私たちは遠ざかる大戦の記憶をどうつなぎとめ、そのリアルを伝承すべきなのか。

 ・4000人以上の戦争体験者から聞き書きをして、現代史を実証的に描いてきたノンフィクション作家の保阪正康さんが、自らの戦後の原点となった北海道八雲町や皇居前を歩き、思索を巡らせた。

 なるほどこれが、共同通信社の今年の記事配信方針だったと言うことです。6行で同社の今年の情報操作計画が見えてくるのでは、検討作業への意気込みが削がれます。これでは本日の計画もフイになりそうで、困ります。

 息子たちと「ねこ庭」を訪問された方々は気づかれたと思いますが、保坂氏の記事と上原登志江さんの記事が同じ共同通信社のもので、しかも大きな扱いで全国配信されていること。

 保坂氏が聞き書きした4000人以上の戦争体験者の中に、上原登志江さんが含まれていると知りますと、保坂氏の意見を検討する前に、共同通信社の情報操作の意図の方が見えます。

 そうなると今回のテーマは、「保阪正康氏の意見」であると同時に、「共同通信社の意図」になります。学徒の作業を邪魔されましたが、せっかく記事の6行を紹介したばかりなので、次回もこのまま作業を続けることにします。

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