ねこ庭の独り言

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『兵役を拒否した日本人』 ( 「エホバの証人」 )

2018-01-30 22:54:31 | 徒然の記

 稲垣真美氏著『兵役を拒否した日本人』( 昭和 47年刊 岩波新書 ) を、読了。

 著者は昭和元年に京都で生まれ、今年92才です。

 昭和28年に東大文学部を卒業し、作家、評論家、日本酒研究家として知られています。情報がなくて断定できませんが、どうやら私の嫌いな左翼思想の持ち主らしいのですが、全国の地酒の発掘に努め、全国日本酒コンテスト審査委員も務めている、不思議な人物です。

 廃棄図書の一冊ですが、私の無知を啓蒙してくれる貴重な書となりました。

 本を一冊読む度に未知の世界が広がり、この世の果てしない大きさと深さが魅了いたします。いくら知識を追い求めても、この神秘が狭まることはありません。目前に広がる情景を語るとすれば、星雲の重なる青い宇宙に、無数に漂う芥子粒にも満たない埃があります。まさに私は、その極小の埃の一粒でしかありません。

 ヒトラーは『わが闘争』の中で、自分の知的好奇心の旺盛さを誇っていました。割れた大きなステンドグラスの、飛び散った欠片を、自分が得た知識が探し当て、やがて一枚の絵が完成し、世界認識を確立したと自慢していました。

 しかし世界の神秘は、とてもそのような平面であるはずがなく、割れたステンドグラスを修復するような単純作業でないと、今の私には分かります。

 いつものように本題とは何の関係もない話ですが、要するに独裁者というのは、物事を単純化し、自慢し、周りの人間を煙に巻き、すぐにもバレる嘘を平気でつく人間を言うことでしょうか。

 著者は独裁者ではありませんが、話を単純化し、読者を惑わせていますから、注意しながら読みました。氏は戦前の日本を弾劾し、軍国主義を責め、平和憲法の大事さを語っていますが、私はほとんど反対の気持ちにさせられました。

 反日野党が政府に反対するため、感情的になり、居丈高になり、こじつけの難癖をつけるという本は、素直に読んで行くと著者と違う世界が見えたと、そういう話です。

 本多勝一の本を読んだ時のように怒りや憎しみを覚えることがなく、「知らないことを教えて頂き感謝します。」と、お礼を述べて終わりました。

 呆気ないほど素直な心の動き、それだけにややこしくなる読後の思いを、どうしたらうまく伝えられるか、子供たちのために・・と、今はそれだけを考えています。強いて言えば、この本に書かれたに中身も「日本の闇」のひとかけらです。

 話をどんと飛ばしますが、「エホバの証人」という宗教があります。ネットで調べますと、色々な情報が得られます。

  ・「 エホバの証人 」は、チャールズ・テイル・ラッセルと、ジョセフ・F・ラザフォードによって設立された、キリスト教系の新興宗教である。

  ・「 ものみの塔聖書冊子協会 」の法人が、各国にあり、ほぼ全世界で活動し、「神の王国 」 という、国境なき世界政府の確立を目指している。

  ・キリスト教主流派が重要視する基本信条を否定しているため、主流派から異端とされている。

  ・一般的には熱心な伝道活動を行うこと、輸血を拒否すること、戦争に参加しない事などで知られている。

  ・新興と言っても、前身の組織までカウントすると1870年代、日本で言えば明治維新、西南戦争くらいの時代である。したがって、中々の歴史をもつ宗教団体である。

  無神論者に近い私ですが、強いて自分の宗教を語れば八百万の神が存在する「神道」ということになります。
 
 だからと言って即座に天皇陛下への信仰や、忠誠心に直結せず、土俗の自然信仰とでも言うのか、万物に宿る神様を大事するということです。
 
 ここあたりになりますと、自分の中ににあるのは、精緻な理論や高邁な原理でなく、それこそ理屈を超えた感情論と言うべきか、そんなものになります。
 
 「世界中に、国々の神様があるように、日本には日本の神様がある。」
 
 「日本の神様は、自分だけが本物だとか、第一番とか言いません。」
 
 「他国の神様を拒絶したり、戦争をしかけたり、」「人間の不幸の原因を作りません。」
 
 「神々のあるがままを否定しない、寛容な日本です。」
 
 他の人の宗教に干渉する気はありませんが、私は以前から、他国の宗教を信じる日本人の気持ち理解できないままです。
 
 二千年以上も、権兵衛とか甚九郎とか、およねとかいう名前で暮らしてきたのに、どうして突然にアベルとかイサクとか。ヤコブなどという馴染みのない名前が出てくるのか。
 
 稲作の国の日本にはパンを口にしたり、血をすすったり、そんな習慣がないのにどうして引かされるのでしょう。
 
 いい加減なところのある自分には、一神教の頑固さと頑迷さが、やっかいでなりません。その頑固さが、新たな人間の不幸の種につながっていると、思ったりします。現実問題として世界には沢山の宗教があり、無数の人々がそれぞれ真面目に信仰しています。
 
 心の中の話だと割り切ってしまえば、誰が何を信じても、それこそ「信教の自由」です。
 
 表題になっている「兵役を拒否した日本人」というのは、「エホバ」を信じた実在の人物の話です。彼の名前は村本一生氏で、著者は本を書くにあたり、世捨て人のように暮らしていた村本氏の許を訪ねています。
 
  ・兵役拒否を成し遂げた村本一生は、明石順三という人間との出会いについて、次のように語っている。
 
  ・青年の日の、何物にも代えがたく、忘れがたいこととして、出会いがある。
 
  ・その人との出会いがなければ、兵役拒否を実践するところまでには、至らなかったかもしれない。

  ・その意味で、灯台社の戦時下の状況について述べる前に、灯台社の主催者であった、明石順三を紹介することから始めたいと思う。

  ・戦争の初期、満州事変を通して、日本の大陸侵攻政策が形を取り始めた頃、キリスト者の抵抗があったかといえば、それは、ほとんどなかったと言わねばならない。

  ・それどころか、カトリックやプロテスタントなどの体制諸会派は、戦争の国策に協力することによって、組織を温存することに、汲々としていた。

  ・仏教などの諸宗派も、おしなべて国策に迎合した事情は同じで、組織として非戦を唱えた者はなかった。

  ・こうした中で、聖書の真理に忠実であろうとした灯台社の人々は、国策に背いたかどで、不敬・治安維持法違反などの罪を問われて、ことごとく獄に投ぜられ、何人もの殉教者を出した。

  ・順三の妻を含む、二人の女性は、不幸にして獄死し、一人の朝鮮人青年は拷問のため発狂するなど、数々の受難の歴史を刻んだ。

 つまり明石順三氏は、現在の「エホバの証人」の教えを、日本に伝えた先駆者です。彼を中心に、信者たちは強大な国家権力に抵抗し、命の犠牲を捧げました。

 ところが明石順三氏は、現在の日本の「エホバの証人」で抹殺され、信者ですらその名前を知りません。

 私の親しくする人物がエホバの信者なので、今朝電話をいたしました。

 「明石順三という人の名前を、知っていますか。」

 「えっ、誰ですか。」

 「明石順三さんは、日本にエホバの教えを伝えた、最初の人です。」「聖書の教えを守って、家族はみんな監獄に送られ奥さんは獄死しました。」

 「そんな話は、初めて聞きます。」

 「日本で布教した人の名前は、なんと教わっていますか。」

 「ラザフォードさんです。」

 「そうですか。明石さんの名前は、知らないのですね。」

 「もう一度教えてください。明石さんて、どういう字を書くのですか。」

 明石氏の名前を漢字で伝えましたが、真面目な信者にも、氏の名前が知らされていない事実に、驚きを覚えました。

 新興宗教とは言え、世界中に展開する「エホバの証人」です。教団にとって、日本がどうでも良い国であるとは思えませんのに、聖書に殉じた明石氏の名前が消し去られているということ。つまり、これも「日本の闇」の一つです。

 スペースの都合で、ここまでしか紹介できませんが、明日からこの闇について語ろうと思います。

 そうすると「日本の闇」が、「世界の闇」につながっていることも、分かってきます。「お花畑」に住む日本人たちが、日本を責めている馬鹿さ加減や、反日左翼の愚かさなども、明らかにされるのかもしれません。

  酔っ払いは嫌いだと、読者の方に言われましたが、今夜はしらふです。続きは明日にしますが、明日は呑める日です。再び関東が雪になるといやな予報が出ていますが、たとえ呑んでも、雪になっても、明日は続きを紹介すると決めています。

 これから風呂に入り、床の中で次の本を読みます。現在室内の温度は24度、石油ストーブが暑いくらいです。厳寒のモンゴルを考えますと、どうして世界ではこんなにも違った条件で人間が暮らしているのか。しかも、当たり前のように。

 神秘な世界、神秘な地球ではありませんか。

 せっかく神様から、あるいはご先祖様から、いただいた命です。天寿を全うするまで、死んではいけません。自分が生きているということが、そのまま歴史につながっているのですから、生きて、生きて、生き抜きましょう。

 これは息子たちにも伝えたい、父としての祈りの言葉でもあります。お笑い下さい。

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