ねこ庭の独り言

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戦争と沖縄 - 2 ( 700年間の独立王朝 )

2018-07-10 16:14:03 | 徒然の記

 日本なのにまるで異国のように扱われてきた沖縄について、どう説明すれば、息子たちに伝えられるか。

 著者は戦場となった沖縄の悲惨さを伝えようと、目次の一番目に「ひめゆり学徒兵」を、持ってきています。しかし私はあえて氏の思いに逆らい、「沖縄の歴史」を最初に語ります。

 沖縄が間違いなく日本であり、沖縄人が日本人であると分かれば、戦争の話から始められなくなりました。

 以前は他国の戦争のように、沖縄戦の本を読んでいました。戦禍に倒れる人々の話も歴史の事実として、知識として刻みました。しかし今は、米軍の火炎放射器で焼き殺される人々が、自分の妻や子、自分の親や親類縁者だったらと、身につまされてしまいます。

 だから私は順番を入れ替え、「沖縄の歴史」から始めます。

 「沖縄は日本の最南端にあって、太平洋と東シナ海に挟まれた帯状になった、小さな島々から、成り立っています。」

 氏が地図上の位置を説明していますが、前回説明しましたから、ここは飛ばします。

 「昔日本は、ヨーロッパの国々との交流はなく、ほとんどアジアの国々としか交流をしていませんでしたので、」「沖縄が、日本とアジアの国々との中間にあるということは、日本にとって重要な意義を持っていました。」

 「沖縄はこの地の利を活かして貿易などで利益を上げ、アジアの国々の文化や産物は、沖縄を経て日本に伝わりました。」「この地の利の良さが、小さいながらも沖縄が王朝を築いていく上で、とても有利な面を持っていたのですが、長い沖縄の歴史が示すように、沖縄に大変な不幸をもたらしました。」

 「それは薩摩藩が、貿易基地として利用するため、沖縄を侵略したことから、始まりました。」「日本本土よりも、中国と密接なつながりを持っていた沖縄は、日本本土には異民族として印象付けられ、」「沖縄では、薩摩藩が沖縄を侵略した日本民族、というような感情を生みました。」

 「沖縄は、日本本土とは海をへだてているうえ、7、8世紀頃から独自の文化を築き、薩摩藩に統治された270年を除いても、700年にもわたる長い間にその文化や慣習は、日本民族と異なるものになりました。」「沖縄人にも、まるで別の民族ででもあるような錯覚を起こさせました。」

 「こうして長期間、沖縄の人々でさえ、自分たちがどこの民族であるか、分からないような状態になりました。」「しかし今日では、考古学、民俗学、言語学など、いろいろな点から研究され、沖縄の人々は紛れもなく、日本民族だと言われています。」

 なるほど、そういうことだったのかと、私は初めて納得しました。しかし疑問は、残ります。ならば氏はなぜ、「侵略」という言葉を使うのでしょう。同じ日本人同士なら、侵略という言葉は使わないはずです。

 「侵略とは、ある国が他国の主権、領土、政治的独立を侵すため、武力を行使することである。」と、辞書に書いてあります。群雄割拠していた戦国時代の日本では、他国を「攻め落とした。」「滅ぼした。」とは言いましたが、「侵略した。」とは言いませんでした。

  侵略という言葉は、他民族の国との戦争の場合に使うと、先入観かもしれませんが私はそう考えています。きっと氏は、観念的には沖縄が日本だと理解していても、気持ちの上では、敵対する他国と、そういう矛盾した思いを抱えているのかもしれません。

 客観的な意見であったり、ひねくれた主張であったりするのは、このせいだろうと、理解しました。沖縄タイムズと並んで現在の琉球新報は、反日の急先鋒ですが、氏はその琉球新報の前身である、うるま新報の社長と会長を務めた人物です。なぜ過激な反日となってしまったのか、その答えも、本の中で見つけられる気が致しました。

 新聞というより、反日の宣伝文としか思えない、沖縄の新聞を初めて知った時、私は衝撃を受けました。「こんなひどい新聞を、沖縄の人々は読まされているのか。」と、同情もしました。

 しかし、朝日新聞やNHK、共同通信社を調べ、捏造と偏見の記事を知りますと、「本土も沖縄も同じでないか。」と、思うようになりました。沖縄の人々だけが、マスコミに騙されているのでなく、本土に住む私たちも、騙されていたのです。むしろこれからは、同病あい憐れむでいかなくてなりません。

  「今沖縄は、第二次世界大戦のとき戦場となった島として、全国に知られ、また、アメリカ軍の基地の島として知られていますが、1000年も前から、中国をはじめ東南アジアの国々と、盛んに交流をし、独自の文化を築きあげた、小さな王国だったことは、あまり知られていません。」

 氏は説明しますが、私は違う思いを持っています。日本人の多くは、沖縄が昔から、独立の王朝を築いていたことは知っていました。知らないのは、同じ日本人だという事実です。同じと知らないから、私たちは長い間、沖縄人が身近に考えられなかったのです。

 今更ここで強調しても、氏は故人となられていますし、意味のない話です。大事なのはこれを契機に、本気で沖縄について、考え直すことでしょう。疎遠にしてきた兄弟姉妹の心を解きほぐし、家族の仲間に迎え入れるのは、本土に住む私たちの責任です。

 沖縄の人口140万人に対し、日本の総人口は一億二千万人です。数の比率から言いましても、努力するのは私たちに決まっています。

「長い間、無関心でいたことを、許してください。」「これからは、苦楽を共にする家族として再出発しましょう。」

 直ぐにではないとしましても、私たちが態度を改め、100年もすれば、元どおりになるはずです。反日左翼の過激派たちに振り回される日常からも、解放する手伝いをすべきです。もう一度、我那覇隆裕氏の言葉を、思い出してみましょう。

 「左翼のプロパガンダに騙されて、日本人の分断に手を貸してはいけません。」

 話が横道にそれましたが、この横道は大事な小道です。次回から、沖縄の歴史へ戻ります。

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2 コメント

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沖縄のこと (onecat01)
2018-07-10 22:32:26
ベッラさん。

 さすが、行動の人ですね。私も少し、見習わなくてなりません。中村氏の著作は、メモをし、いつか読むことといたします。

 私のブログを楽しみにして頂けるとは、恥ずかしい限りです。独断と、反日・左翼への偏見が混じりますので、差し引いて、お読みください。

 我那覇さんは、自分の言葉で、明るく喋るところに、魅力を感じます。「世直し、自分直し」と、スローガンを掲げ、地道な活動をする姿に、敬意を表しています。

 単に「世直し」と言わず、「自分直し」と付け加えたところに、彼女たちの活動の非凡さを見ます。「世の中を変えるには、まず自分が変わらなくてなりません。」・・私は我那覇さんの言葉に、大きく賛同いたします。

 参考になるコメントを、ありがとうございます。
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4月にはじめて沖縄に行きました。 (ベッラ)
2018-07-10 21:26:31
長崎純心大学准教授の石井望先生は三宅先生のご縁で
数年前から「尖閣の歴史」の講演を福岡・長崎・東京で
聴いてきましたが、思い切って4月に沖縄に行き、
石井先生はもちろんのこと、恵隆之介氏のお話も伺いました。那覇の武道館は反日新聞が入り口でビラ配りしており、「やっぱり・・・」と思いました。
石井先生に仲村氏や恵氏、をご紹介頂き、ご挨拶して
すぐに帰りましたが、「尖閣の歴史」は何度も講演を
聴いたのである程度わかるのですが、「沖縄」はいろんな本を読んでみました。

仲村覚氏の「いつから沖縄は日本なのか」(ハート出版)は沖縄が日本であることを歴史を踏まえてしっかりお書きと思いました。

その他、推理小説の作家である西村京太郎氏の文庫、司馬遼太郎氏の本も読みました。

勉強不足でいまだに読んでいます。
貴ブログの続きを楽しみにしています。
私は今のところ「読んでいる」というレヴェルなので、
それもあまり進んでいません。

今月末に我那覇真子さんの講演を聴きにいきます。
我那覇さん、とても好感が持てます。
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