ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

新総理は、果たして保守党総裁なのか -2 ( 入管窓口業務の民営化 )

2020-10-21 20:39:00 | 徒然の記

 「朝日デジタル」の5月20の記事を、そのまま紹介します。

 「入管といえば、日本で働く外国人の入国審査をしたり、」「在留資格延長の可否などを、判断したりする『役所』である。」「その窓口の仕事をしているのが、公務員ではなく、民間企業の人たちなのだという。」

 「しかも、外国人専門の人材派遣会社。」「外国人受け入れの利害関係者が、役所の窓口の仕事をしているとは、」「外国人問題を取材してきた私にとって、思いもよらないことだった。」

 私が考えるのと同じことを、朝日の記者が書いています。朝日の記者と意見が一致するとは、信じられない出来事です。驚きのまま、転記を続けます。

 「次から次へと疑問が浮かんだ。」「なぜ役所の仕事を、公務員でなく民間企業の人たちがやっているのか。」「どうして人材派遣会社が、その役所の仕事を請け負うことになったのか。」「外国人受け入れの当事者である、人材派遣会社に、」「公的な仕事を任せて、大丈夫なのか。」

 「不正の有無を調べる取材と並行して、これらの疑問を解くための取材を始めた。」「相手は役所である。」「ふつうに取材していけば、それほど時間をかけずに、疑問は解けるだろうと思っていた。」「だがそれは甘い期待だったと、後になって思い知ることになる。」

 この記事は署名記事で、藤崎麻里記者が書いています。私に似て、根気よく調べる人です。

 「最初の疑問。」「窓口業務を、なぜ民間に任せることになったのか、経緯を調べた。」「ルーツは、小泉政権時代(2001~06年)にさかのぼる。」「小泉政権の代名詞といえば、 " 郵政民営化 " だが、」「民営化したのは、郵政だけではなかった。」

 「当時、小泉首相のブレーン的存在だった、経済学者の竹中平蔵氏(現パソナグループ会長)が、」「旗振り役となり、さまざまな行政サービスの、民営化を進めたのだ。」

 藤崎記者の説明によりますと、法務省の管轄下に入管庁があり、入管庁の下に、全国8カ所の地方入管がぶら下がっています。この地方入管が、在留資格の更新などの実務を担当しています。記者が疑問を抱いているのは、この地方入管業務の民営化です。

 地方入管の内の3箇所、東京、大阪、名古屋について、民営化の検討が、平成23年の野田内閣の時に始められています。この時は、業者選定の方法として、「市場化テスト」方式が採用されました。

 「市場化テスト方式」とは、やみくもに民営化するのでなく、役所と業者が対等の立場で参加し、官民を競わせながら、一定期間をおき、より効率的に仕事ができた業者に、業務を任せる方式だそうです。ここで再び、記者の記事に戻ります。

 「 " 入管民営化 " のプロセスを調べてみると、じつは波乱続きだった。」「東京入管の窓口業務を、最初に請け負った事業者は。」「2年目に経営破綻し、その後は国の直営、」「さらに、公益財団法人である入管協会と、担い手はめまぐるしく変わった。」

 「平成26年の、安倍内閣の時に受託した民間企業は、」「取扱件数が想定より多い、と撤退してしまった。」「国側は " 3年契約 " をもくろんでいたが、単年度ごとの契約にならざるを得なかった。」

 「こうしたゴタゴタにもかかわらず、民営化の是非を判定する、」「国の『官民競争入札等監理委員会』は、入管窓口業務の民営化を進め、」「平成31年度からは、法務省が、業者選びの入札や契約をするようになった。」

 「不正申請が疑われる人材派遣会社が、名古屋入管の、」「窓口業務の委託先を決める入札で、落札したのは、まさにこのタイミングだった。」

 「平成31年度からは、入札のやり方も変更されていた。」「入札価格だけでなく、企業の業務遂行能力などを、」「総合的に判断して決める、 " 総合評価方式 " から、」「最低価格を提示した企業が、そのまま落札する " 最低価格方式 " に、」「変わったのだ。」

 「価格だけで決まるしくみは、取材対象となった人材派遣会社のような、」「比較的規模の小さい業者にとって、チャンスといえる。」

 「そこで新たな疑問が浮かぶ。」「なぜこのタイミングで、入札方式を変えたのだろう?」」「名古屋入管に取材を申し込み、電話やメールで問い合わせてみたが、よくわからない。」

 ここで「朝日デジタル」の記事が中断し、コメントが現れます。

 「この記事は有料会員記事有料会員記事です。有料会員になると続きをお読みいただけます。」

 なんだこれは ? と、私の方にも疑問が浮かびます。せっかく朝日の記者と、意見を共有していたのに、新聞社の商売人根性に邪魔をされました。有料会員になる気はありませんが、掲載されている写真を見ますと、記事の見当がつきました。

 名古屋入管から、記者が手に入れた資料は、黒塗りだらけの「読めない資料」だったようです。事実を隠蔽した役人に対し、いつもの朝日新聞らしい、批判と攻撃の記事になっているのでしょう。

 スペースの都合で、一旦休止しますが、次回は、「なぜ、今の時点で、朝日デジタルが記事を公にしたのか。」について、私の想像と推察を述べます。安倍内閣から菅内閣に代わっても、「トロイの木馬」が、自民党政権を非難・攻撃する姿勢は同じです。

 菅総理と、直接関係のない話になっていますが、後で繋がります。興味のない方は、スルーしてください。

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新総理は、果たして保守党総裁なのか

2020-10-21 12:47:10 | 徒然の記

 ある方のブログを拝見していましたら、10月16日の、朝日デジタルの記事が紹介されていました。

 「竹中平蔵氏・三浦瑠麗氏ら委員に 政府の成長戦略会議」

 記事はここまでの引用でしたが、ネットで続きを探しましたので、次回はそれを紹介いたします。「政治は最高の道徳である」と、そんな言葉がありますが、米国の大統領選挙、習近平氏の凄まじい権力闘争を見ていますと、政治はそんなものでないと知らされます。
 
 私たち庶民には、想像のつかない戦いがあると思いますし、目的達成のためには、「妥協の繰り返し」もあると、そんな話も聞きます。だからと言って、安倍氏や菅氏のおかしな政策も理解すべきと、私は思いません。常識を外れた、おかしな話には妥協せず、意見を言います。息子や孫たちのことを思えば、余計な忖度をしない方が、生きた勉強になりますし、その方が大事です。 
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自民党は、本当に保守政党なのか - 5 ( 自民党大阪市議会とサンフランシスコ市 )

2020-10-19 17:16:55 | 徒然の記

 大阪市議会の、自民党議員について語るには、平成30年10月のサンフランシスコ市に設置された「慰安婦像」事件が、一番分かりやすいと思います。

 ネットで検索していましたら、大阪民主新報の平成30年10月14日号の記事を見つけました。初めて聞く名前なので、これもネットで検索しました。

 《 「大阪民主新報」とは 》

 1.  大阪民主新報社が発行する、大阪府の週刊地方新聞である

 2. 日本共産党大阪委員会と共闘する、大阪府の民主勢力との、共同機関紙である

 事件に関する説明は、私がするより、同社の記事の方が詳しいので、そのまま転記します。

 「吉村洋文大阪市長は、サンフランシスコ市に設置された、」「旧日本軍『慰安婦』像をめぐり、」「60年以上にわたって続いてきた、両市の姉妹都市関係を解消することを、」「2日、サンフランシスコ市のブリード市長に通知しました。」

 「『慰安婦』像は、中国系・韓国系米国人らの民間団体が、」「昨年9月、同市内の民有地に設置し、」「10月に市に寄贈され、サンフランシスコ市議会が、」「全会一致で、寄贈を受け入れる決議を可決しました。」

 「吉村市長は、像の碑文に『数十万人の女性が性奴隷にされた』と書かれていることなどについて、」「日本、大阪に対するバッシングと主張し、前市長が決議を承認したことを受けて、」「姉妹都市関係の解消の意向を、示していました。」

 「吉村市長は、前市長の急死で、解消の手続きを延期していましたが、」「今年7月、前市長の方針への見解を質す書簡を、現市長に送り、」「9月末までの回答を、求めていました。」

 「書簡では、「設置された碑文には、不確かで一方的な文言が含まれており、」「歴史の直視ではなく、単なる政治的な日本批判であり、」「サンフランシスコ市の、現地コミュニティーに分断を持ち込む貴市の決定に依り、」「長年にわたって築き上げてきた、友好関係の礎である両市の信頼関係は、」「根本から崩れた、と述べています。」

 中国系・韓国系米国人らの民間団体とは言いながら、彼らの活動資金は中国政府と韓国政府から出ています。同様の団体は、フランスにもカナダにもドイツにもあり、中国・韓国政府の言う、日本への情報戦の一環として「慰安婦像」が利用されていることも、私たちは既に知っています。

 吉村市長の意見は、事実その通りで、日本人である限り、看過できない行為です。このつまらない像のため、どれだけの日本人が怒り、胃の痛むような思いをしたことでしょう。共産党の機関紙は、どのような意見を述べるのか、興味が湧いてきました。

 「吉村市長の書簡を受け取った、ロンドン・ブリード市長は、」「4日、声明を発表しました。」「声明では、" 一人の市長が一方的に、我々2つの都市の人々の中に " 、」「 " 60年以上にもわたって存在してきた関係を、終わらせることはできない " とし、」「『慰安婦』像は、性奴隷制や、性売買の恐怖に耐えることを強いられてきた、」「すべての女性たちの、たたかいを象徴するもの。」「この碑によって、私たちは、忘れてはならない出来事や、」「教訓を思い起こすことができる、と述べています。」

 「すべての女性たちの・・・」と言う文言は、朝日新聞が慰安報道の誤報を謝罪し、弁明した時の言葉と同じです。息子たちと、「ねこ庭」を訪問される方々に言います。GHQが日本に残した「トロイの木馬 ( 朝日新聞 ) 」は、日本国内だけでなく、中国・韓国と協力し、アメリカでも日本攻撃の宣伝活動をしています。肝に銘じつつ、記事を転記します。

 「大阪市をよくする会は9日、抗議声明を発表しました。」「声明では、" 60年にわたって、両市の市民が、」「文化、経済など様々な分野で、交流を重ねてきた関係を、」「自らの『歴史認識』に基づいて、一方的に姉妹都市関係を解消するなど、」「言語道断だ "  とし、" 世界の流れを見るならば、吉村市長の態度は、」「まことに恥ずべき行為であり、国際感覚が全く欠如している " 、と指摘しています。」

 「『慰安婦』像をめぐっては、平成27年に橋下徹大阪市長(当時)が、」「サンフランシスコ市の『慰安婦』の碑、または像の設置を支持する決議案に対して、反発。」「以来、像と碑の設置や、公有地への移管を行わないよう、求めてきました。」

 過去に、橋下氏が同様な申し入れをしていたと、初めて知りました。こう言う事実を知りますと、日本維新の会は、他の反日・左翼野党と区別して考えずにおれなくなります

 「国会でも、安倍首相がサンフランシスコ市への寄贈について、」「わが国政府の立場と相容れない、極めて遺憾なこととし、」「サンフランシスコ市に対して、拒否権の行使まで求めていました。」

 前安倍総理も、強く抗議していたのだと、これもまた初めて知りました。橋下氏と同様、安倍前総理も、やはり見直さなくてなりません。悪法も成立させましたが、日本の総理として、やるべきこともしていました。やはり、全否定はいけません。

 「姉妹都市解消問題では、サンフランシスコ市と交流してきた、」「市民団体をはじめ、多くの大阪市民から、」「反対の声が寄せられました。」「解消撤回を求めるインターネット署名なども、取り組まれてきました。」「市議会では、共産、自民、公明が、反対を表明してきました。」

 ここで大阪民主新報の記事は、終わりです。別途、ネットで検索しますと、大阪市議会の自民党の議員たちは、吉村市長に対し、「サンフランシスコ市議会と、慎重に対話を重ねていくべきだ。」、と主張していました。

 自民党の議員たちは、政府が、売春婦像を建てた韓国と、慎重に対話した結果、何も解決しなかったと知りながら、少しも勉強をしていません。共産党と一緒になり、吉村市長に反対したというのですから、呆れてしまいます。これこそ、多くの国民を裏切る利敵行為です。

 いくら市長が、他党である「維新の党」とは言え、保守の魂を失い、反日の共産党と手を組み、サンフランシスコ市の反日行為に、目をつぶるというのですから、「恥を知れ」と言いたくなります。まさに、保守の名が泣く、大阪市の自民党議員たちです。

 加藤紘一、野中広務、古賀誠氏らが、安倍総理批判記事を、共産党機関紙「赤旗」に寄稿した行為と、似た流れを感じるのは、私だけでしょうか。散々悪口を言いましたが、こうした事実を知ると、安倍元総理への同情の念が湧いてきます。腹に据えかねることが多々ありますが、「ご苦労様でした。」と、やはり言いたくなります。

 次回は、沖縄市議会の自民党議員について、述べます。

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自民党は、本当に保守政党なのか - 4 ( トロイの木馬と結党精神 )

2020-10-19 00:56:49 | 徒然の記

 私が突然自民党批判を始めたので、野党に鞍替えしたのかと、訝る人がいるのかもしれません。しかし私は、現在も未来も、自民党支持者であり続けます。

 日本維新の会が、今ひとつ掴めませんが、それ以外の野党は、反日・左翼ですから、日本を良い国にする政党ではありません。社会主義思想はすでに破綻し、この思想で作られた国は、結局中国と北朝鮮です。ソ連が崩壊しても反省せず、相変わらず、一つの思想、一つの政党しか認めず、マルクシズム以外を信ずる者を弾圧し、収容所へ投獄します。

 北朝鮮は、マルクシズムを変形した、「チュチェ思想」です。労働者の独裁でなく、金一族の独裁を正当化し、国民を束ねています。この思想に逆らうものは、中国同様、思想教育の名のもとに、「強制収容所」送りです。

 日本共産党だけでなく、立憲民主党、国民民主党は、なぜいつまでも、この独裁と国民弾圧の思想が捨てられないのでしょう。自民党が金権腐敗の政治をしても、多数の国民が自民党支持を止めないのは、反日・左翼野党の恐ろしさを知っているからです。反日左翼の学者たちが、いくらテレビや新聞で野党贔屓の意見を述べても、支持率が3%未満にとどまるのは、国民に背を向けられている印です。

 だから私は、ネット社会で、さらに反日・左翼の矛盾と愚かさが伝われば、自然と「お花畑の住民が」減少し、「憲法改正」と「皇室護持」が実行されると、楽天的に考えていました。しかしそれが「甘い期待」であり、「幻想」でなかったかと、「日本学術会議」問題が、頭から冷水をかけてくれました。

 「害虫駆除 ( 日本学術会議 )」のブログを綴りながら、危機感が生じてきました。

 1. 果たして自民党の議員諸氏は、国民の期待を、本気で受け止めているのだろうか。何のために、安定多数を与えられているのか、分かっているのだろうか。

 その次に生じてきた危機感は、

 2. 議員諸氏は、GHQが残した「トロイの木馬」の恐ろしさに気づいているのだろうか。

 3. 「トロイの木馬」の相関関係に気づいていないとすれば、「憲法改正」と「皇室護持は、結局「絵に描いた餅」になる。

 4. 色々批判しても、現在の日本で頼りになる政党は、自民党しかない。日本丸の船長となり、国民を引っ張っていくリーダーは、自民党の中にしか期待できない。

 1. から4. の思考を経て、私は大いなる苦言を、自民党の議員諸氏へ呈すると決めました。菅総理に対しては、「北海道の土地問題」が放置されている限り、全幅の信頼は置きませんが、現段階での「日本学術会議」対応は、正しいと思っています。

 きっとまた、「菅信者」とか「ネトウヨの老人」などと、レッテルを貼られるのでしょうが、それも構いません。政治は、一つ一つの積み重ねですから、何もかもを一度に要求しません。ということで、私が自民党の議員諸氏に言いたいのは、「もっと本気で、総理のサポートをし、外野席を黙らせるため汗を流しなさい。」・・という一語に尽きます。

 釈迦に説法かもしれませんが、GHQが残した「トロイの木馬」と、その相関関係を、もう一度説明します。「トロイの木馬」は、4つです。

 1. 「日本国憲法」・・・東京裁判史観を具体化し、法文化したもの

 2. 「反日・左翼学者組織」・・東京裁判史観を理論づけると共に、東京裁判史観の学者を、永久的に育成する団体として役割を持たせる

 3. 「反日・左翼マスコミ」・・反日・左翼学者の意見を、国内の隅々にまで浸透させる、スピーカーの役割を持たせる。

 4. 「反日・左翼政治家」・・「日本国憲法」、「反日・左翼学者組織」、「反日・左翼マスコミ」を日本国内で守るため、米国内の反日勢力と協力する役目をさせる。

 ( 大阪と、沖縄市議会の自民党議員について説明する予定でしたが、「トロイの木馬」の確認を優先しました。)

  「日本学術会議」について調べる前まで、GHQが残した「反日・左翼政治家」とは、野党議員のこととばかり思っていました。けれども、政権担当能力もなく、国民の広い支持もない彼らに、GHQが重要な役目を期待する訳がありません。現在の中国政府も、同じことをしていますが、彼らが求める協力者のターゲットは、自民党内の実力者だったのです。

 「温故知新」の読書が教えてくれましたが、米国の中にいる反日勢力は、中国と親しく、共同して日本弱体化策を行っていました。「媚中派」というのは、もしかすると「媚米派」である可能性もあります。私は息子たちに、吉田元総理の言葉と、元国務長官ダレス氏の言葉を、再度紹介します。「トロイの木馬」の存在を示唆する、貴重な歴史的発言です。

 1. 元国務長官ジョン・フォスター・ダレスの言葉

  「名目的な独立はさせても、実質的な占領は続ける」

 2. 吉田元総理の言葉

  「第二次世界大戦後に、日本を訪れた占領軍は、」「歴史にその例を見ないものであった。」「すなわちアメリカ軍は、ただ単に勝者としてではなく、」「改革者として、日本を "  非軍事化  " するために、」「進駐してきたのであった。」

 「戦争の原因を、日本やドイツの軍国主義に見た彼らは、」「日本の軍国主義を生み出した、社会構造を変革し、」「日本を軍事的に無能力化することこそ、」「平和な世界を建設するために、最も基本的なことであると、」「考えていた。」

 私は次の言葉を、結党精神を忘れている自民党の議員諸氏に送ると同時に、自分自身でも噛み締めます。沖縄と大阪の両市議会の、自民党議員については、次回にします。

 「憲法を改正し、日本が自分の国を守る軍を再建する日が来るまで、国の独立は達成されない。」

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自民党は、本当に保守政党なのか - 3 ( 東京裁判史観克服 ? )

2020-10-18 17:33:17 | 徒然の記

 今私の頭に浮かぶのは、2年前の平成30年に読んだ、富田健治氏の著書です。昭和37年に古今書院が出版した本で、『敗戦日本の内側』というタイトルでした。

 著者の富田氏は、明治30年に生まれ、東大卒業後に内務官僚となり、警察畑を歩いた人物です。第二次、第三次近衛内閣で、内閣書記官長を務め、戦後は、自民党の衆議院議員として活動しています。

 氏は近衛内閣の書記官長でしたから、GHQによって「右翼・軍国主義者」として政界から追放されます。本の内容は、近衛内閣の発足から、消滅し、公が自決するまでの出来事が、詳細に述べられています。

 今回引用しようとしているのは、本の最後の部分です。GHQの「右翼・軍国者追放」により、日本が左翼主義者の天下になり、その有様を見ながら、氏が語る言葉です。私はこれが、保守政治家の変節の始まりではないか、と思います。

 「急に平和論者ぶって、総司令部に入り浸っていると伝えられる、人たちの名前を、」「よく聞いたものである。」「そうかと思えば、日本人の悪口を告げるため、」「司令部に日参している者もあるという始末で、」「無条件降伏したと同時に、恥さらしの日本となった時代でもあった。」
 
 個人名は書かれていませんが、当時の日本を知る貴重な叙述です。
 
 「私は、日本の政治家、軍人、言論人と言われる人たちにして、」「敗戦にあたり、周章狼狽するばかりでなく、」「わが日本を売り、わが同胞を裏切ることによって、」「生活の道を得んとする、卑劣な根性の者が、」「いかに多かったかを知り、慨嘆に耐えないものがあった。」
 
 氏が語る裏切り者の一部が、私がブログの中で述べている、「反日・左翼学者たち」です。彼らの大量発生は、ここから始まっています。
 
 「民主主義は、よろしかろう。」「しかしながら、人を陥れ、人を裏切り、」「これにより自らの利益を得るというのは、」「民主主義以前の、不道徳ではなかろうか。」
 
 著書全体は、抑制の効いた文章で書かれていますが、この部分では、怒りがそのまま言葉に出ています。
 
 「かかる輩が、戦後すでに14年を過ぎて、」「なおかつ各界に、口をぬぐって、」「しかものさばっているとすれば、」「そんな日本の社会が、立派な成長を、なし得ようはずがないのである。」「今後の日本の正しく行く道は、」「終戦直後の破廉恥の是正から、」「再出発すべきものではなかろうか。」
 
 つまり日本は、というより私たちは、「終戦直後の破廉恥の是正」を今もってしていないのです。「彼らが口を拭い、各界に君臨した結果」の一つが、「日本学術会議」問題ではないのでしょうか。
  
 氏の本を読んだ後で、私は「変節した学者たち」というタイトルで、ブログをまとめました。戦前は明らかに軍国主義者だったのに、敗戦後に平和主義者に変節し、GHQに媚を売った学者たちを、「学界に巣食う、獅子身中の虫」として列記しました。各氏の名前を、もう一度転記します。
 
 《 中野好夫  宇都宮徳馬  我妻栄  戒能通孝  家永三郎 
   宮沢俊義  横田喜三郎  末川博、
 
 ( 注  )変節せず、根っからの反日・左翼学者は、久野収、大内兵衛の2氏です。 》
 
 平成24年に、前代未聞の出来事がありました。安全保障法関連法案の国会審議に際し、安倍政権への反対意見を、ハト派と呼ばれる自民党の幹部が、共産党の機関紙「赤旗」に寄稿しました。加藤紘一、野中広務、古賀誠の3氏です。何を血迷ったのか、彼らが宿敵である共産党にすり寄ったのを見て、「自民党は、どうなっているのか」と、その時以来、消えない疑問となりました。
 
 3氏は共に、自民党内にいて中国を賛美し、韓国を弁護し、北朝鮮を大事にした、正真正銘の「獅子身中の虫」でした。3氏とも、自民党幹事長経験者で、彼らと共産党をつなぐ糸が、「東京裁判史観」です。
 
 自民党の幹事長といえば、議員の公認、選挙資金、選挙支援について、大きな力を持つポストです。「代議士は選挙に落ちれば、ただの人」ですから、生殺与奪の権を握る幹事長には逆らえません。こんな重要ポストに、加藤、野中、古賀、二階と、媚中派の議員がつくところに、自民党が自民党で無くなっている事実を、見ることができます。
 
 「東京裁判史観」を克服できない議員が実権を持つ自民党で、「憲法改正」や「皇室護持」が果たしてできるのか、失望に近い怒りを覚えます。3氏の党内系譜を敗戦時まで辿れば、富田氏が怒りをあらわにした、「かかる輩」に辿り着くのですが、そこまでする元気が本日はありません。

 次回は、大阪と沖縄の市議会の、自民党議員の迷走ぶりから観察できる、自民党本体の信念と矜持の無さをご報告します。

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自民党は、本当に保守政党なのか - 2 ( 満鉄調査部 )

2020-10-18 00:42:42 | 徒然の記
  「学術会議会員の任命権は、果たして総理にあるのか、ないのか。」と、相も変わらぬ共同通信社の記事を、千葉日報が毎日届けてくれます。
 
 こんな些末な議論で国民をたぶらかす、マスコミや政治家を、私は軽蔑します。やはり今は、「温故知新」と謙虚になり、ご先祖様の足跡を辿るのが一番です。私が思い出しているのは、4年前の平成28年に読んだ、草柳大蔵氏の著書で、 昭和54年に、朝日新聞社が出版した『実録・満鉄調査部』( 上・下 ) です。
 
 草柳氏の経歴を、本の中身と共に紹介したいのですが、4年前のブログと重複しますので、必要な部分だけを転記します。
 
 「なにしろこの満鉄調査部は、日本人が作り得る、空前絶後の知識集団であって、ちっとやそっと " 現在の光 " を当てても、その全貌を捉えることは困難だと思われたのです。」
 
 本を書くにあたっての、氏の言葉です。準備して書き終えるまで、10年かかったそうですから、「日本学術会議」の比ではない複雑さだと思われます。当時の日本が生み出した、最高のシンクタンクであるとも言われている、満鉄調査部の概要だけを、箇条書きにします。
 
 1. 明治40年、満鉄総裁後藤新平が「調査部」(満鉄調査部の前身)を創立
 2. 昭和13年、満鉄総裁松岡洋右が「大調査部」へ改組
 3. 全スタッフ数、2,125名
 4. 年間予算は800万円 ( 本書出版時の貨幣価値に換算すると、約38億円 )
 
 令和2年の現在なら、もっと多額になるのでしょうが、計算が苦手な私には、大変な額だと思うだけで、詳細はわかりません。少なくとも、「日本学術会議の10億円」とは、大きな違いです。
 
 さらに氏の説明を箇条書きにしますと、「日本学術会議」との規模の違いが明確になります。
 
 1. 調査部は満鉄本社の大連にあっただけでなく、奉天、ハルピン、天津、上海、南京、ニューヨークやパリにも事務所・出張所を出していた。
 2. 部員たちは三井、三菱の幹部クラスを高給で引き抜き、大学の優秀な学生を入れた。
 3. 部員たちには、高価な書物を好きなだけ買わせ、希望する土地へ出張させた。
 4. 得意とする研究を許し、たっぷり時間を与えた。
 
 調査部の母体である「満鉄」からして、私の理解を超える大きさと複雑さで、話が少しそれますが、「満鉄」関する、氏の説明を転記します。
 
 「まさに満鉄は、国家そのものであった。」「日露戦争後のポーツマス条約により、ロシアが建設した、東清鉄道の路線を引き継ぎ、」「撫順、煙台などの、炭鉱の経営権も持っていた。」「この満鉄の頭脳に相当するのが、調査部である。」
 
 満鉄の初代総裁は後藤新平で、彼の就任には、政府と軍部と明治の元勲が関与しています。児玉源太郎、山形有朋、原敬、西園寺公望等々、綺羅星のようなご先祖が登場し、まさに日本の歴史です。
 
 組織というものは、一般的には、同じ思想や意見で内部を固め、発展・拡大を目指すものですが、「満鉄調査部」は、混沌の集合体でした。最も驚かされたのが、次の叙述です。
 
 「中西功という、戦後の日本共産党のスターが、」「満鉄調査部で活躍したことに、奇異の感を抱かれるであろう。」「しかし中西ばかりでなく、満鉄調査部には、左翼からの転向組が、ズラリと机を並べていたのは事実である。」
 
 「現在でも耳新しい人名を挙げてみると、堀江邑一、石堂青倫、伊藤好道、山口正吾、藤原定、細川嘉六、伊藤律、尾崎秀実・・・・」「ご覧のように、戦後の社会党もしくは共産党に、何らかの形で参加した人ばかりである、と言っていい。」
 
 トップに立つ人間が、信念のある人物であれば、組織内にどのような者が混じっていても、問題はない・・・私の考えは、ここから生まれています。現在の「日本学術会議」と「東京大学社会科学研究所」は、トップに立つ人間が、GHQに膝を屈した学者ですから、歪な集団になって不思議はありません。
 
 今の考えで行くと、「満鉄調査部」は自民党の政策調査部会の中に、共産党や社会党の議員が、机を並べているようなものではないでしょうか。当時の日本人は豪気だったのか、楽天家だったのか。私の理解を超えます。
 
 わざわざ「満鉄調査部」の話を報告したのは、息子や「ねこ庭」を訪問される方々に、「日本学術会議」との比較で、現在の問題を考えて欲しいからです。私が伝えたいと思うのは、次の4点です。
 
 1. 国の安全保障のためには、国の機関として「学問研究」の組織が必要である。
 2. 「学問研究」の組織への投資を、惜しんではならない。
 3. 組織には干渉せず、自由な研究をさせるべきである。
 4. 組織が、国の期待する方向へ進まず、偏った研究に堕するのは、管轄する国の信念の欠如である。
 
 前回から、同じ意見を繰り返していますが、「獅子身中の虫 ( トロイの木馬)」に食い荒らされた組織は、一旦リセットし、新しい組織を創設すべきです。
 
 「満鉄調査部」について紹介したため、メインのテーマから外れました。次回は、こうした事実を踏まえ、「自民党は、本当に保守政党なのか」と、検討していきます。
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自民党は、本当に保守政党なのか

2020-10-17 16:50:37 | 徒然の記

 私は反日・左翼の野党を嫌悪しています。自分でも、偏見でないかと感じるほど、嫌っています。

 「日本学術会議」の問題をきっかけに、本日は「反日・左翼」について考えようと思います。左翼とは、言うまでもなく、社会主義者、マルクス主義主義者のことですが、日本ではなぜ、彼らが「反日」と結びついているのか。ここが今ひとつ、検討されていません。

 ネットで検索しますと、「反日」について、次のように説明されています。

 「反日とは、日本 ( 政府、天皇、企業、日本人、社会、文化、歴史など、) の一部、」「または、総体に対し、反対、反発感情、価値観を持って行われている、」「教育、デモ、活動、外交、それを行なっている人物、組織、国家に対して使われる言葉。」

 ここで言う、それを行なっている国家とは、隣国である韓国・北朝鮮、中国です。隣国同士が対立し、仲が悪いと言うのは、世界ではありふれた現象です。だから無関心で良いと言うのではありませんが、問題なのは、日本国内で、敵対する国に同調し、同じ熱心さで行動する人物や組織です。

 敵対国と意見を同じくし、協力する人間の存在も、世界にありふれた現象です。尊敬する人物や、愛する人間が敵対国にいる場合、同調してしまうことがあります。あるいは、個人的な利益を得て、敵対国に協力する人間など、色々なケースがあります。本来なら、目くじらを立てる必要もないのですが、日本の場合は、これが異常な姿で日常化しているところに、問題があります。

 1. 野党が反政府、反権力で収まらず、国の歴史や文化・伝統まで否定している。

 2. 一流と言われる学者や、その団体が、野党に対し、理論的根拠を与え、支援している。

 3. マスコミのほとんどが、反日・左翼の野党と学者を、支援し、同調する記事を発信し続けている。

 現在の日本には、国を愛する野党が不在で、国を愛する学者が少数派で、国を愛するらしいマスコミが産経1社だという、いびつな言論状況にあると言うことです。

こう言うときにこそ私たちは、日本と、国際社会と比較をしなければなりません。

 1. 果たして諸外国、特に先進国と言われる国々の野党は、自分の国を否定し攻撃しているのか、愛国心がないのか。

 2. 果たして諸外国、特に先進国と言われる国々の学者は、自分の国を否定し攻撃しているのか、愛国心がないのか。

 3. 果たして諸外国、特に先進国と言われる国々のマスコミは、自分の国を否定し攻撃しているのか、愛国心がないのか。

 調べてみれば分かりますが、彼らが批判・攻撃しているのは、時の政府であり、自分の国そのものを否定し、攻撃しているのではありません。ですからこの不思議な現象は、日本特有のものであると、私は考えています。

 今まで私は自分のブログで、ずっと反日・左翼の野党を批判、攻撃してきました。しかし振り返ってみますと、戦後75年が経過し、この長い年月で「反日・左翼政党」が、政権を取ったのは何年間だったでしょうか。GHQ統治下で、社会党委員長だった片山哲氏の内閣が、1年間政権につきました。

 あとは、私たちが知っているように、平成21年の鳩山内閣に始まる、3年半の民主党政権です。中途半端な細川内閣、村山内閣などが存在しますが、これは政争屋の小沢氏が中心になって作った、政治理念のない内閣でしたから、無視します。

 単純計算をしますと、75 - 4 = 71 で、自民党は戦後日本のほとんどを、政権党として力を揮っています。この間には、様々な出来事がありましたが、自民党はこの年月、何をしていたのでしょうか。

 前回のブログでも説明しましたが、反日・左翼学者とマスコミと、「日本国憲法」は、GHQが日本に残した「トロイの木馬」です。それを薄々知りながら、自民党が放置した結果が今日です。「日本学術会議」問題は、自民党の無為無策がもたらした、当然の結果だと、私は考えます。

 私のことを今もって、ネトウヨとか、安倍信者と呼びたがる人がいますが、そう言う人たちは、木を見て森を見ない人間なのだろうと思います。安倍総理は、米国の影響下にあると言われる、竹中平蔵氏を政権下に入れ、他方で媚中派の二階氏を重用し、「改正農地法」「移民法」「IR法」「アイヌ新法」等々、日本破壊の法律を成立させました。

 「美しい日本を取り戻す」どころか、日本を破壊する悪法です。どこかピントの外れた昭恵夫人をコントロールできず、この人を庇うため、官僚に大きな負担をかけました。これらはすべて、安倍元総理の負の側面です。

 しかし一方で、氏が安全保障法制を整え、一貫して「憲法改正」と「女系天皇反対」を唱え続けたことは、功績です。今回の「日本学術会議」問題では、安倍氏の名前がほとんど出てきませんが、氏が委員の任命に異議を唱え、反日・左翼学者の排除に努力していたことを、初めて知りました。

 日本を大切にし、保守を任ずる人間なら、安倍総理を全否定するのは、おかしいのではありませんか。「善か悪か」「右か左か」「保守か反日か」と、私自身そう言う単純思考を、しばしばしますが、二者択一の思考を続けるばかりでは、日本の問題が解決できないと、今は考えています。

 大切なところで、スペースがなくなりました。間を置かず、次回といたします。

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害虫駆除 - 10 ( 最終・日本学術会議 )

2020-10-15 17:41:06 | 徒然の記

 吉田茂氏著「日本を決定した百年」( 昭和42 年刊 日本経済新聞社) 。本日は、この本から、貴重な教えをもらいます。

 ブログにかかるに際し、次のことを前提にしています。

 1. 米国は日本統治をするにあたり、日本の社会、政治、経済、文化等について、事前に詳細な研究をしていた。

 2. 軍部、政界、財界、学界、法曹界、マスコミ界等について、どのような人物がトップにいるのか、その人物たちの経歴、家族、友人関係など、詳細なデータを持っていた。

 ルイス・ベネディクトによる『菊と刀』が、その一つの研究書であることは、よく知られています。 ( 日本が世界第二の経済大国となり、米国を脅かす存在になった時、日本崩壊のための研究書の一つが、社会学者エズラ・ヴォーゲル氏が書いた、『ジャパン・アズ・ナンバーワン』だとも、私は考えています。)

 この前提に立ち、故吉田総理の著作を引用いたします。96ページです。

 「第二次世界大戦後に、日本を訪れた占領軍は、」「歴史にその例を見ないものであった。」「すなわちアメリカ軍は、ただ単に勝者としてではなく、」「改革者として、日本を "  非軍事化  " するために、」「進駐してきたのであった。」

 これが、この章の書き出しです。敗戦国の総理として、占領軍と対峙した、私たちのご先祖の言葉です。

 「戦争の原因を、日本やドイツの軍国主義に見た彼らは、」「日本の軍国主義を生み出した、社会構造を変革し、」「日本を軍事的に無能力化することこそ、」「平和な世界を建設するために、最も基本的なことであると、」「考えていた。」

 私が注目し、息子たちと「ねこ庭」を訪問される方々にお伝えしたいのは、次の言葉です。

 「彼らはそのための計画を、日本に進駐する前から作っており、」「そして、日本に進駐して来るやいなや、」「その計画通りに、日本の非軍事化と民主化を推し進めていった。」

 8月末に進駐してきた彼らが、9月以来矢継ぎ早に行った改革を、列挙しています。

 1. 東條首相などの戦争犯罪人を逮捕

 2. 軍隊の完全な武装解除と、軍事機構の廃止

 3. 国家主義団体の解散

 4. 好ましからざる人物の公職追放、思想警察、政治警察の廃止

 5. 婦人参政権の付与

 6. 労働組合の結成

 「そして、教育改革、土地改革、財閥解体、新憲法制定なども、」「だいたい、一、二年のうちに行われたのである。」「それは文句なしに、" 無血革命  " と呼べるような、」「大変化であった。」

 「日本学術会議」と「東京大学社会主義研究会」について、GHQとの繋がりを推測しているのは、次の叙述です。南原繁氏の名前は出てきませんが、日本のトップ大学の総長への接触を、彼らがしないと考える方が不自然です。次の叙述を読みますと、南原氏が彼らに傾いたであろう背景が伝わってきます。

 「特に、このためにアメリカ本国で組織され、準備を進めて日本に来た人々は、」「日本を改革するという、情熱に燃えていた。」「彼らは典型的なアメリカ人として、精力に溢れ、」「楽天主義に満ちた人々であり、その本質的な善意のために、」「日本人の尊敬と、協力を得るのに成功した。」

 使命感に燃えた善意の人々が、しかも強大な力を持つ彼らが、軍部に批判的だった南原氏の前に現れた時、氏は心を開いたのではないでしょうか。彼らを尊敬し、協力した日本人の中に、私は南原氏を加えたいと思います。

 吉田元総理は、同時に彼らの別の面も、伝えてくれます。

 「しかしまた、彼らはいささか尊大であり、かつ過酷でもあった。」「彼らは、日本の経済復興の必要を、認めていなかった。」「彼らは、古い政治構造を破壊し、徹底的な社会改革を行うことが、」「日本人の生活に、どんな影響を与えるかについても、」「単純に、楽観的であった。」

 次に元総理の描写する人々が、「新憲法 ( GHQ草案 )」の、起草作業をした、民政局(GS)内にいたスタッフです。

 「彼らの中で、ニュー・ディーラーはその典型であり、」「計画や理念を重んじ、その実行に努力を集中して、」「それが日本の実情に合致して、良い結果を上げうるかどうかは、」「あまり意に介しないようであった。」

 「日本側の担当者が、計画の推進を円滑にするためと、進言忠告を試みることは、」「占領行政に対する抵抗と受け取られ、時には、妨害と解される時もあった。」「彼らは理想に走り、相手方の感情を軽視しがちである。」「善意ではあるが、相手の気持ちとか、歴史、伝統などというものを、」「とかく、無視してしまう。」

 話が少し飛びますが、昭和21年に、南原氏が学内に 「憲法研究委員会」を設立した当時の思い出話を、民法学者我妻栄氏が披露した、講演記録があります。

 「当委員会の討議の模様については、残念ながら記憶がない。だが、かすかに残っていることが二つある。」「ひとつは天皇制についてで、意外にも根深い対立があることを見出したことである。」

 「今一つは、" 憲法改正要綱 " が発表された時の、多くの委員の驚きと喜びである。」「ここまで改正が企てられようとは、実のところ、多くの委員は夢にも思っていなかった。」

 「それは、委員が漠然と予想していた成果を、大きく上回っていた。」「ここまでの改正ができるのなら、われわれは、これを支持することを根本の立場として、必要な修正を加えることに全力を傾けるべきだ。」

 「当時極秘にされていたその出所について、委員は大体のことを知っていた。」「しかも、これを " 押しつけられた不本意なもの " と考えた者は一人もいなかった。」

 以前読んだ時は、何気なく読み飛ばしていましたが、こうして様々なデータと重ねてみますと、深い意味が見えてきます。「極秘にされていた出所」は、GHQだと見当がつきます。東大の学者たちは、GHQ内のニュー・ディーラーたちに、嬉々として協力していたのです。以前のブログで紹介していますが、再度メンバーの学者名を披露します。

《 委 員 長 宮沢俊義(法学部)

 特別委員 高木八尺(法学部)  杉村章三郎      岡 義武  末弘厳太郎

      和辻哲郎(文学部)  舞出長五郎(経済学部)

 委  員 我妻 栄(法学部)  横田喜三郎      神川彦松  尾高朝雄

      田中二郎      刑部 荘       戸田貞三(文学部) 

      板沢武雄      大内兵衛(経済学部)  矢内原忠男

      大河内一男    丸山真男(法学部助教授) 金子武蔵(文学部助教授)  》

  左翼教授の名前が多く見られますが、メンバーの全員がそうであるのかについては、調べていません。この中で、特にGHQに協力した「変節学者」は、宮沢俊義、横田喜三郎の二氏だと、記憶しています。いずれにしましても、彼らは皆、日本にとっては「獅子身中の虫」であり、アメリカが置いた「トロイの木馬」の仲間だと、私は確信しています。

 長くなりましたが、今回で「日本学術会議」のブログを終了いたします。

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害虫駆除 - 9 ( 日本学術会議 ・東京大学社会科学研究所)

2020-10-14 14:42:02 | 徒然の記

 本日は、「東京大学社会科学研究所」と「日本学術会議」が、GHQとのつながりの中で作られた、反日・左翼学者の集まりであることを、証明したいと思います。

 長くなりましても、今回で最終にしたいと考えております。長すぎて退屈と思われる方々のため、結論を先に述べておきます。政府にたいする提案と、反日・左翼学者に対する提案と、二つに分かれます。

 《 1. 政府に対する提案  》

  ・ 学問は国の根幹であり、国民教育の大元となるものです。

  ・ どんな時代が来ても、国は惜しまず教育に投資し、自由な研究が出来る場所づくりに、努めなくてなりません。

  ・ 敗戦後の特殊事情の中で、今の学界の組織が作られ、「獅子身中の虫」により、過度な侵食がされましたので、リセットすべきです。

  ・ その後、本来の学問研究組織を、再構築します。保守系の学者で固めるのでなく、今回整理した反日・左翼学者も、参加させることが大切です。

  ・ 現在の組織が、虫に食い荒らされた原因は、GHQの中にいた、共産党員スタッフの影響下で作られたところにあります。

  ・ 政府が、過去の失敗を認識した上で再建する組織なら、反日・左翼の学者が参加しても、心配はありません。八百万の神の住む日本では、昔から異質の神様を受け入れ、共存してきました。

 《 2. 反日・左翼の学者に対する提案  》  

  ・ 政府の作った組織の中にいるから、政府の干渉を受けるのです。

  ・ 自由な学問や研究が続けたければ、組織から出てやれば良いのです。

  ・ 福沢諭吉が公言実行し、手本を示しています。

 少し長くなりましたが、以上の二つが私の結論です。次は、「東京大学社会科学研究所」と「日本学術会議」が、GHQとのつながりの中で作られた組織であることの証明です。

 この根拠を、私は二つの組織の、「設立目的」の言葉の中に見ています。説明をする前に、文言を、それぞれのホームページから、転記いたします。

 《 1. 東大社会科学研究所  所長 佐藤岩夫氏の挨拶文  》

  ・ 東京大学社会科学研究所(社研)は、第二次世界大戦の敗戦後に、東京大学を再生するための最初の改革として、当時の南原繁総長のイニシアティブよって、昭和21年8月に設置されました。

  ・ 昭和21年3 月起草の「社会科学研究所設置事由」によれば、戦時中の苦い経験の反省のうえにたって、「平和民主国家及び文化日本建設のための、真に科学的な調査研究を目指す機関」が構想され、日本における社会科学研究の面目を一新させることが、社会科学研究所を設置する目的とされました。

  ・ 以来、本研究所は、このミッションに従い、日本の社会科学研究の発展に貢献する活動を行い、2016年度には創立70周年を迎えました。

 《 2. 日本学術会議初代会長  亀山直人氏の挨拶 》( 昭和24年1月 創立総会)

 ・ 誠に科学は有力である。然しこの力を搾取と破滅に使ってはならぬ。平和と繁栄に役立てねばならぬ。

 ・ 日本の科学者は科学の力を信じ、その善用を企画して日本学術会議を作り、互いに選んだ会員をこの会に送った。

 ・ 選ばれ た210人は、科学こそ真に日本を再建し、世界人類の福祉に貢献すると固く信じ、 世界の学界と提携して、今日のこの日から活発に活動しようと思う

 牽強付会、我田引水と、受け取られる方もいると思いますが、赤字で示した言葉が、私の指摘する証拠です。大きく二つに分類します。

 1. 東京裁判史観に基づく、戦争認識

  ・ 戦時中の苦い経験の反省のうえにたって、・・「東京大学社会科学研究所」

   この力を搾取と破滅に使ってはならぬ。平和と繁栄に役立てねばならぬ。・・「日本学術会議」

 2. マルクス主義思想に立った、学問認識

  ・ 双方ともに、学問全般を、科学という言葉で語っている

 江戸時代には、学問の種類が3つありました。「国学」「儒学 (  漢学 ) 」「蘭学」です。その後欧米の学問が入りだすと、「蘭学」では用をなさなくなり、「洋学」「西洋学」という言葉が生まれました。「哲学」という言葉を考案したのは、明治時代の学者・西周 ( にしあまね  ) でした。

 何時からそうなっているのか知りませんが、学問の体系を表す言葉として、次のような分類がされています。

 1. 形式科学・・数学 統計学

 2. 自然科学・・物理学 宇宙科学 化学 生物学等

 3. 社会科学・・政治学 法学 経済学 経営学 社会学 教育学等

 4. 人文学 ・・哲学 宗教学 言語学 人類学 歴史学 地理学 文学等

 5. 応用科学・・工学 建築学 農学 医学 薬学 デザイン学等

 つまり「科学」という言葉は、学問全体を表す用語でなく、学問体系を分類する場合に、その一部として使われているものです。しかし現在では、「科学」「社会科学」という言葉が、反日・左翼学者に使われる場合は、「マルクス主義」「社会主義」の意味になっています。

 「東京大学社会科学研究所」と「日本学術会議」の設立目的の中の、赤字で示した「科学」という言葉を、「マルクス主義」、「社会主義」と読み替えてください。この挨拶文が、反日・左翼学者の集まりの宣言文であることが、理解できます。

 反政府、反権力の主張や論文は、いくら学者が発表しても、それは自由です。しかし、自分の国の歴史や文化を否定し、国そのものを否定する意見に偏るとすれば、その行き過ぎは要警戒です。マスコミの記事に、偏向記事が多いと、国民が変な方向へ煽動されるため、「両論併記」が求められるように、学者の団体にも、一方向に偏らない「自由な議論」が必要です。

 今回の騒動は、菅総理が手をつけたというより、前内閣から検討されていたもので、安倍政権を継承する菅内閣が、これを実行するについて、何の違和感もありません。

 今回を最終とする予定でしたが、GHQスタッフについて、当時の吉田元総理の言葉がありますので、次回に、それだけを紹介したいと思います。南原繁氏が、なぜ逆らえなかったかにつき、ヒントがあるような気もします。

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害虫駆除 - 8 ( 日本学術会議・ホイットニー少将 )

2020-10-13 21:45:33 | 徒然の記

 元東大総長の南原繁氏は、GHQに協力し、「東京裁判史観」の集大成である「日本国憲法」成立に尽力した人物です。第3回目のブログで、私が整理した「年表」をもう一度転記します。

 ・昭和20年9月 ミズーリ号にて降伏文書調印 GHQの統治始まる

  ・昭和21      南原繁東大総長 「東京大学社会科学研究所」設立  ( 反日・左翼学者中心 )

  ・昭和21      南原繁東大総長 「憲法研究委員会」設立  ( 反日・左翼学者中心 )

  ・昭和21      「日本国憲法」公布  ( 東京裁判史観による憲法 )

  ・昭和23        「日本学術会議法」公布 (  注 :  日本学術会議設立には、GHQが関与し、物理学者仁科芳雄氏と共に、旧体制を刷新  )

  ・昭和24        「日本学術会議」設立   》

 南原氏は、GHQの統治が始まった翌年に、反日・左翼系の学者を集め、「東京大学社会科学研究所」と「憲法研究委員会」を立ち上げています。昭和26年に、岩波書店から出された、『憲法を生かすもの』( 憲法問題研究会編 ) を読みますと、当時の状況が詳しく書かれています。

 年表を見て、一番不思議に思ったのは、まるで氏が、GHQが作る憲法草案を待っていたかのように、学内の一流学者を集め、「日本国憲法草案」の検討を始めた、手際の良さでした。

 ルイス・ベネディクトの「菊と刀」を読んだ人には、分かると思いますが、米国は日本統治をする前から、日本社会を学者に研究させています。彼らが作る「日本国憲法草案」も、日本の学者の誰に検討させれば良いのか、すでに個人名で把握していたのではないかと、私は推察しています。

 先ほど偶然、面白い資料をネットで見つけました。国会図書館の電子資料で、『日本国憲法の誕生』と言うデータです。その一部を転記します。

 「昭和20年2月、」「ホイットニーGHQ民政局長は、マッカーサーに対して、」「極東委員会が、憲法改正の政策決定をする前ならば、」「憲法改正に関する、GHQの権限に制約がないと進言し、」「GHQによる、憲法草案の起草へと動き出した。」

 「2月3日、マッカーサーは、」「憲法改正の必須要件(マッカーサー三原則)を、ホイットニーに示した。」「翌4日、民政局(GS)内に作業班が設置され、」「GHQ草案(マッカーサー草案)の、起草作業が開始された。」

 極東委員会には、ソ連がいます。占領軍が占領した国の憲法を作り替えることは、もともと国際法違反でしたし、ソ連がこれを知れば、厄介なことになります。「日本国憲法」の作成については、極東委員会の干渉を排除するため、マッカーサー自身も急いでいました。

 ですから年表で見るとおり、こんな重要な「日本国憲法」が、昭和21年内に成立し、公布されています。こんなやっつけ仕事の、米国押し付けの憲法を、いまだに多くの国民が有難がっているというのが、私には不思議でなりません。

 不思議といえば、もう一つあります。いろいろなデータを検索する中で知ったのですが、南原繁という人物は、反日・左翼でなく、左翼にも右翼にも批判的な、中庸の人物です。武力放棄の憲法を作らせておきながら、「軍隊のない日本は、独立国でなくなるが、それでいいのか。」と、当時の吉田総理に問いかけています。

 この点を調べ出しますと、とんでもない横道へ入りますので、ここで止めます。私が引っかかるのは、果たして氏を「獅子身中の虫」、「トロイの木馬」と決めつけて良いのかという点です。どのようにしてGHQが、氏を屈服させたのか、もちろん私は知りません。当時のマッカーサーは、天皇陛下さえ呼びつけるような、絶対権力者でしたから、東大総長を従わせるなど、造作もなかったのでしょう。

 ホイットニー少将の率いる民政局は、共産党員のスタッフが集まっていましたから、嗅覚の鋭い南原氏は、彼らに合わせる形で、東大の反日・左翼教授たちを集めたのでしょうか。

 事情が色々あるにせよ、氏が、米国の作った「日本国憲法草案」を、国際法違反にならない形で成立させ、私たち国民を苦しめているという事実は、変わりません。氏もまた、敗戦後に「変節した学者」の一人であることを、私たちは知っておくべきです。

 私の予定では、今回で「日本学術会議」のブログを終わる予定でしたが、新しい資料の発見があり、そうなりませんでした。「東京大学社会科学研究所」と「日本学術会議」が、GHQ統治下に作られ、いずれの組織も、民政局にいた共産党員スタッフとつながりがあるのだと、それを説明する予定でした。

 息子や孫たちのためには、やはりそこまで書き残しておかなければと、そんな気がしています。「ねこ庭」を訪れる方々も、よろしければ、次回に足をお運びください。

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