6月11日金曜日の新聞で、8年ぶりに白井聡氏の寄稿文を読みました。昭和56年生まれの氏は、今年44才です。当たり前の話ですが、8年前に氏の寄稿文を読んだ時は、36才だったことになります。当時まだ朝日新聞の読者だった私が、どんな思いをしていたのか、ブログを探しましたので転記します。
「今月一杯で、朝日新聞店との契約がやっと終わる。」「7月限りで、この忌々しい、反日の新聞とオサラバできる。」「だから、腹立たしい記念のために、朝日の記事をブログに載せる。」「あと10日の辛抱だ。長かった、実に長かった。」
記念のためのブログにしたのが、氏の記事でした。氏の意見は「永続敗戦論」と呼ばれているらしく、新進気鋭の学者の論理だと、朝日新聞が褒めていました。今回共同通信社はさほど持ち上げていませんが、6段組の大きな扱いで、氏の写真まで掲載していますから、それなりの評価をしていることが分かります。
昨日はやっと国会で、憲法改正のための「国民投票法」と、国土を守る「土地利用規制法」が成立しました。戦後76年目にして、やっと日本を取り戻そうとする動きが軌道に乗り始めました。そんな時に、久しぶりとはいえ、反日左翼学者のたわごとを目にし、興醒めしてしまいました。
8年経っても、少しも成長しない学者の愚かさを、息子たちと、「ねこ庭」を訪問される方々に伝えずにおれなくなりました。8年前と現在の意見を、論評無しで並べますので、自分の目で確かめてください。
〈 8年前の「朝日新聞」掲載記事 〉
・ 日本が、敗戦をなかったことにしていることが、今もなお、日本の政治や、社会のありようを規定している。( この状態を、氏は「永続敗戦」という新造語で表そうとしている )
・ 昨今の領土問題は、日本社会に、異常な興奮を呼び起こしている。中国や朝鮮に対する挑発的なポーズは、対米従属的な状態にあることによって生じている 、"主権の欲求不満" 状態を、埋め合わせるための代償行為だ。
・ 戦後とは、容認し支えてくれるアメリカに対しては臣従し、侵略した近隣諸国との友好関係は、カネで買うことによって、平和と繁栄を、享受してきた時代だ。
・ A級戦犯を祭った靖国神社に参拝したり、侵略戦争の定義がどうこうと、理屈をこねたりすることによって、日本人は、自らの信念を慰め、敗戦を観念的に否定してきた。
・ 必敗の戦争に突っ込んだことについての、戦争指導者たちの国民に対する責任は、ウヤムヤにされたままだ。対内的な戦争責任が、あいまい化されたからこそ、対外的な処理も、おかしなことになった。
・ 日本人が英語が下手なのは、言うべき事柄がないからだ。つまり、自分の意見がないからだ。
・ 戦後の日本人は、ずっと被害者意識で生きて来た。加害者としての責任感を、持っていない。恥の中に生き続けることを、拒否すべきた。それが、自分の言葉を持つということでもある。
〈 現在の「共同通信社」配信記事 〉
・ 日本人である以上、祖国がこのまま朽ち果てていくのは堪え難い。我々は本当の意味での、「敗戦後」を始めなければならない。
・ 否認は、現実を認めることによる不安を回避するための、防衛機制だ。
・ それは敗戦を、終戦と言い換えたことに象徴されている。丸山眞男に代表される戦後思想は、この態度を乗り越えるために奮闘した。
・ しかし東京電力福島第一原発事故後に広がったのは、原発推進への執着という、破滅の否認だった。
・ 無反省、無責任、思考停止、この否認の国民的態度が、安倍政権を歴代最長化させた。
・ 3・11 後の日本の惨状を否認したいという、国民の期待に対し、日本の敗戦を認めたくない安倍前首相は、ピッタリだった。
・ 否認の態度は、権力維持が目的となった菅政権でさらにひどくなった。
大抵の人は、謙虚に学べば、時を重ねるほどに賢くなりますが、氏は何年経ってもバカなままです。氏の思考の根底にあるのは、「日本だけが悪かった」「日本だけが間違った戦争をした」という、「東京裁判史観」です。別名「敗戦思考」とも言います。
「 日本人である以上、祖国がこのまま朽ち果てていくのは堪え難い。」・・・典型的反日・左翼である氏が、よくもこんなことが言えたものです。ここで終わると中途半端なので、もう少し続けます。気短な方は健康に良くないので、次回の訪問はおやめ下さい。