日々 是 変化ナリ ~ DAYS OF STRUGGLE ~
このプラットフォーム上で思いついた企画を実行、仮説・検証を行う場。基本ロジック=整理・ソートすることで面白さが増大・拡大
 



最近、モーツァルトがらみの本が立て続けに出版。
そこでモーツァリアンを自負し、毎日浴びるほど聴いている当ブログとしては、何としても読破しなければならない(笑)

その3冊は以下。
モーツァルトを「造った」男
撲殺されたモーツァルト
モーツァルトの脳

(どれもちょっとアヤシい感じのまざっている気もするが)
今日は、まず最も学問っぽいモーツァルトを「造った」男を。


サブタイトルは「ケッヘルと同時代のウィーン」
そう、モーツァリアンが毎日、K.626とかK.447とか、必ずといっていいほど使うアレだ。


ただ期待を裏切る(と言っていいだろう)のが、著者が小宮正安さんといって、歴史学者でしかも「依頼」されて書いていること。
このため、ケッヘルの時代背景にかなりのページを割いていて、もちろん興味深いんだけれども。まだ核心に迫らないのか、という気持ちがふつふつと。

やっと期待していた内容が登場するのが、P.124~からちょろちょろと。
ケッヘルが作業に入る土台として存在したモーツァルト自身が記録した「私の全作品の目録」(1784~)と、父レオポルドが残した幼少期の作品目録。
この空白期間(1769~84)を埋めるのがケッヘルの仕事(p.155)
「真作」かつ「完成した作品」に絞り、当時は画期的だった曲ごとの「カード」による分類にチャレンジしている。

ウィーンやザルツブルグは当然のこと、広範な取材を徹底して行ったが、これは全て彼の自発的な活動。
彼は大公一家の家庭教師で余裕があったのだ。

作品集が出版され、地味な状況から変化が生じたのは、ヤーンによる「モーツァルト伝」。
この本で、初めて「ケッヘル番号」で曲を記述(ケッヘルも想定していなかった)
このへんがピーク(p.199)でその後、また歴史書に戻ってしまう(good grief!)
最も深堀りして読みたい部分が少ないところに、どうしても不満は残るが、これまでない企画だけに仕方ないか?


最後にケッヘルがモーツァルトを評した文を引用して終わりたい。
「モーツァルトの音楽を通じ、さまざまなものを伸び伸びと感じとれる心が人びとの内面に
生まれ、高められ、寿がれ、最高の輝きを得る.....
それは、人間の本性が変わらぬかぎり、昔も今も未来も起こり続けることになるのだ」

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