昨日でしたか、友人に
「仮装さんは『霊感があるんですか?』ときかれました。
『霊感』の定義にもよりますけど、「ムシの知らせ」的なものが的中することはたまにあります。・・・が、それもある時期に偏っており、さっぱりなときはさっぱりなのが現実です。
感覚的なもので、自分はヘンなんじゃないか・・・と思ったことはあります。
「アタマ」や「ココロ」が、ではなくて、あくまでも「感覚」です。
そういうもののひとつについて、高校の時に書いた作文(全体は「響きあうもの」という詩論、というか文学論モドキ)があるので、一部を抜粋してみます。
「・・・しばらく前、わたしはある奇妙な映像に憑かれていた。ただ一人、何を見るともなくぼんやりしていた時、確かな像ではないが、視界の端から氷の破片のようなものがつうつうと中央に寄ってきた。初めばらばらであったそれらが、六角形の雪の結晶のような形にきらめくのである。透けるような赤みがかったオパール色と青みがかったオパール色とが、交互に息でもしているかのように色を変える。その像はしばらくの間、音の聞こえないテレビのようなもどかしさを伴っていた。ところが、次第にその交互の色の変化は、不協和音の交互の響き合いとして感じられてきた。
その響きは笙の音であった。頭上高いところから、光具合を微妙に変えながら鳴り降りてくるような笙の音の要素が、氷の破片という視覚的要素に変換して現れたのであろう。・・・・・」
・・・いやあ、キテますね。
芥川の「歯車」じゃあるまいに、幻覚モード全開でアブナイです(汗)。
この文章のなかでは、こういう感覚(視覚と聴覚があいまいな感じのもの)を「錯覚」ととりあえず名づけて論を進めているわけですが、感覚の境界のあいまいな感じというのは実際にもいろいろ出現し、いったいこれはなんなんだろう・・というのは長い間のナゾであったわけです。
たとえば、
ある音を聴いて香りがするとか、
ある音を聴いて色を感じるとか、
誰でも多少はあることでしょうし、よくたとえにも使われるわけですけど(「黄色い声」など)、こういうことは「頭がおかしくなくてもあることなのだろうか?」と考えていました。
「共感覚」という言葉を知ったのは、もう25歳もとっくにすぎた頃。
なんかやっと楽になりましたね。そういうことが存在するんだ~とわかってほっとしました。なぜその年まで知らなかったのかも不思議なのですけど。
私の場合は、「この音は赤」「あの音は青」、などと決まっているわけではありませんし、数字に色がついて見えるわけでもないので、厳密には「共感覚者」ではないと思うのですけど、
なにか演奏を聴いたとき、音でなくて香りで記憶していることがたま~にあります。
もしかすると乳児期から感覚が未分化なのかもしれず・・・・・(汗)。
そもそも他人の感覚なんて所詮わかるものではないので、
「あの文章は〇〇の味がして美味しかった」とか、
「あの音はアンモニアのにおいがした」などと、比喩でなくほんとに感じている人がいるかもしれないですね(笑)。そんなものかも。
で、なんでしたっけ?霊感ね。
あってもなくてもいいような、悪いような・・・。
「仮装さんは『霊感があるんですか?』ときかれました。
『霊感』の定義にもよりますけど、「ムシの知らせ」的なものが的中することはたまにあります。・・・が、それもある時期に偏っており、さっぱりなときはさっぱりなのが現実です。
感覚的なもので、自分はヘンなんじゃないか・・・と思ったことはあります。
「アタマ」や「ココロ」が、ではなくて、あくまでも「感覚」です。
そういうもののひとつについて、高校の時に書いた作文(全体は「響きあうもの」という詩論、というか文学論モドキ)があるので、一部を抜粋してみます。
「・・・しばらく前、わたしはある奇妙な映像に憑かれていた。ただ一人、何を見るともなくぼんやりしていた時、確かな像ではないが、視界の端から氷の破片のようなものがつうつうと中央に寄ってきた。初めばらばらであったそれらが、六角形の雪の結晶のような形にきらめくのである。透けるような赤みがかったオパール色と青みがかったオパール色とが、交互に息でもしているかのように色を変える。その像はしばらくの間、音の聞こえないテレビのようなもどかしさを伴っていた。ところが、次第にその交互の色の変化は、不協和音の交互の響き合いとして感じられてきた。
その響きは笙の音であった。頭上高いところから、光具合を微妙に変えながら鳴り降りてくるような笙の音の要素が、氷の破片という視覚的要素に変換して現れたのであろう。・・・・・」
・・・いやあ、キテますね。
芥川の「歯車」じゃあるまいに、幻覚モード全開でアブナイです(汗)。
この文章のなかでは、こういう感覚(視覚と聴覚があいまいな感じのもの)を「錯覚」ととりあえず名づけて論を進めているわけですが、感覚の境界のあいまいな感じというのは実際にもいろいろ出現し、いったいこれはなんなんだろう・・というのは長い間のナゾであったわけです。
たとえば、
ある音を聴いて香りがするとか、
ある音を聴いて色を感じるとか、
誰でも多少はあることでしょうし、よくたとえにも使われるわけですけど(「黄色い声」など)、こういうことは「頭がおかしくなくてもあることなのだろうか?」と考えていました。
「共感覚」という言葉を知ったのは、もう25歳もとっくにすぎた頃。
なんかやっと楽になりましたね。そういうことが存在するんだ~とわかってほっとしました。なぜその年まで知らなかったのかも不思議なのですけど。
私の場合は、「この音は赤」「あの音は青」、などと決まっているわけではありませんし、数字に色がついて見えるわけでもないので、厳密には「共感覚者」ではないと思うのですけど、
なにか演奏を聴いたとき、音でなくて香りで記憶していることがたま~にあります。
もしかすると乳児期から感覚が未分化なのかもしれず・・・・・(汗)。
そもそも他人の感覚なんて所詮わかるものではないので、
「あの文章は〇〇の味がして美味しかった」とか、
「あの音はアンモニアのにおいがした」などと、比喩でなくほんとに感じている人がいるかもしれないですね(笑)。そんなものかも。
で、なんでしたっけ?霊感ね。
あってもなくてもいいような、悪いような・・・。