リフォーム徒然なるままに Reform turezure naru-mamani

我が家のリフォーム日記です。忘れないように記録していきます。参考になれば幸いです。

全国学力調査結果は平成19年度のものでした。お詫びして訂正します。

2008-09-07 10:27:30 | Weblog
前回、学力調査結果を平成20年度ものと思いこんでいて、事実誤認をしていました。
文中のアドレスで確認していただけると分かりますが、平成19年度の結果です。

今年の結果を「国立教育政策研究所」http://www.nier.go.jp/にあたりましたが、都道府県別の結果は出ていないようです。

あくまで、学力調査結果は平成19年度の結果と考えてください。
お詫びして、訂正します。



さて、前回

コンビニは、まさに「便利」だ。
コンビニを取り上げたのは、「弁当」を売っている他にもコンビニは、その地域の「便利さ」の指標になると考えたからだ。

しかし、全国学力調査の結果の順位と1万人あたりのコンビニの数を対比させると、好成績な県は「便利」な「コンビニ」が多くもなく、少なくもなくという県なのだ。
「便利すぎてもよくない」
だが、
「不便なのもよくない」(コンビニが本当に「便利」を提供しているかどうかは別として)
「学力」かどうかは分からないが「全国学力調査」の結果は、好成績の県の結果が、「便利さ」と「不便さ」の絶妙な「バランス」の上に成り立っているようだ。
つまり、学力には適当な便利さと不便さが必要だということなのではないか?


と書いた。

しかし、「日経」を日頃からよく読んで総合的に考えると、別の考え方もできる。
平成19年度の学力調査結果で上位の県は、コンビニが「多くもなく少なくもなく」という県である。

コンビニだけでなく大型スーパーなどは、開店前に事前の商圏調査をきちっとする。
それでも、競争に敗れて閉店するコンビニはよく見かける。

まわりくどい言い方をしたが、平成19年度の学力調査結果で上位の県の「コンビニ」の数は「適当」な数であることが予想できる。

つまり、「競争が適当」に行われて、「利益も適当」にあがっていることが予想される。
コンビニが「適当な数」あるということは、「適当な人数」がそこに住んでいる「商圏」が存在するということである。

「適当な競争」が、大切なことを「平成19年度の学力調査結果」は物語っていると言えないだろうか?

論理の飛躍と言われればそれまでだが、

コンビニの数が適当にある
      ↓
適当な競争がある
      ↓
地域に適当な競争がある
      ↓
学力調査結果が好成績

となるのではないだろうか?



大嫌いな言葉だが、「勝ち組」「負け組」と平気で使っている今の社会は、明らかに「いきすぎた競争」に陥っている。
その「過当競争」に、個人も企業も苦しんでいる。
それが、今の我が国や世界ではないのか。

このことを「平成19年度の学力調査結果」は、見事描き出したといっても過言ではないのではないか?

文科省の「学力調査」は、まこと学問を司る府だけあって、見事現在の私たちの姿を描き出してくれたと言える。

「日経」は、すばらしい。
宣伝文句は嘘ではない。
読み続けると、「世界が見えてくる」



昨日のNHKの「日本の、これから激論!どうする?税金」をごらんになっただろうか。

途中、司会者が「当番組はバラエティー番組」ではありませんと断っていたが、いやいや「バラエティー番組」より遙かにおもしろかった。

最後が焦眉。

この国の未来としてどちらが選ぶか?
高福祉、高負担のスウェーデンか、低福祉、低負担のアメリカか?
スウェーデン派とアメリカ派が激論になったが、最後お互い一致した点があった。

あるスウェーデン派の女性とアメリカ派の男性が激論した。
お互い、ゆずらなかったのだが、唯一一致した点があった。
アメリカ派の男性が、
「そんなに高い負担はいやだ」というようなことを言ったような気がする。
スウェーデン派の女性が、
「お互いこの国の政府を信用していないということでは、一致してますね!」



「勝ち組?」は「グローバル」という言葉が好きなようだ。
何でも議論に負けそうになると、必ず「グローバル」という言葉を持ち出す。

私には「グローバル」=「ルールなき無制限な競争」と言っているように思えてならないのだが・・・。

ルールなき、無制限な競争の結果は、「平成19年度の学力調査結果」に映し出されている。



ルールなき、無制限な競争の結果
と書いて思い出したことがある。

写真の昨年訪れたローマにある「コロセウム」である。



オリンピックは終わってしまったが、陸上競技で使うあのトラック競技の下地は、赤い色をした「アンツーカー」である。
残念ながら、コロセウムの中には入れなかったのだが、あの赤色は「コロセウム」から始まったということをそのとき聞いた。

あの赤色、血の色だそうだ。

ローマ市民が、憂さ晴らしに「奴隷の格闘」を楽しんだといわれている。
格闘といっても単なる「殺し合い」だ。
闘った奴隷が傷ついて流した血の跡、その赤色が「アンツーカー」の赤だそうだ。

中には、幸運にも何度も勝ち抜いて「ローマ市民」になれた奴隷もいたようである。
「ルールなき、無制限な競争の原点」があのアンツーカーの「赤」なのではないか。