菅総理と森会長は、女性蔑視についての「見識」を持ち合わせていない。政治も五輪も女性蔑視についての「見識」を持ち合わせている方が主導すべき!
昨日のNスタで、次期五輪組織委員会会長になると思われる川淵三郎氏が、自宅付近?で報道陣の囲み取材にこうこう答えていた。
森会長から、外堀を埋められて辞任することになったので、次期会長をお願いするという意味の連絡があったと。
この発言から分かることは、森会長は「女性蔑視」について「見識」を持ち合わせていないということだ。
「見識」が何かについては、前回の当ブログの記事でも書いたが、一言でいうと「女性」というくくりでの「異論の排除」を行ってはいけないということである。
もちろん、あらゆる「くくり」での。
つまり、中国共産党のウィグル人に対する「ジェノサイド」と同根であることをご理解いただいていないようである。
(詳しくは前回の記事をご覧いただきたい。東京オリパラ大会組織委員会会長の発言、桜を見る会、COCOAの不具合の共通点は何か?「異論の封じ込め」である。
)
だから、「外堀を埋められた」という表現になるのだ。
自分の考えは正しいが、四面楚歌になったのでしかたなく辞任するという思いがありありである。
違うのだ。
森会長の考えが間違っているのにご自身が気づかない、そしてそれを間違いとして認め、正しい考え方をされないからZ世代を始めとして、幅広い世代から糾弾されるのだ。
長年政治の場にいらっしゃったので、多数派の考え方しか認めない、思考のくせがついておられるのだろう。
なので、森会長の考え方は、端的に言えば、中国共産党のウィグル人に対する「ジェノサイド」を認める考え方である。
少数派で、しかも中国人ではないからと。
森会長は、「女性」というくくりでの「異論の排除」を行っていることを自覚されていないのだ。
おそらく、長年政治の場にいらしたので、「女性」や「ウィグル人」などとにかく意図的に、反抗できないような「少数派」にして「異論を排除する」という手法を永年にわたって行ってきたからであろう。
明らかに、森会長は「女性蔑視」について何が問題なのか「見識」を持ち合わせていないということだ。
こういう方が、五輪の組織委員会会長を務めておられることは不幸である。
同時に、五輪の開催国のリーダーとして、菅首相はふさわしくない。
なぜなら、森会長と同じく、「女性蔑視」について「見識」を持ち合わせていないからだ。
仮に、見識を持ち合わせているならば、森会長の進退は組織委員会の問題であると、国会答弁でつきはなしたりはしないだろう。
自ら、森会長と話し、何が問題か説得し、森会長の考えをただすことを、自らかってでたであろう。
見識があれば。
五輪開催国の政治のリーダーであるのだから。
それをしなかったということは、見識がなかったと言うほかない。
つまり、菅首相も中国共産党のジェノサイドを認めるということだ。
安倍政権もそうだったが、ウィグル人にたいするいじめを放置する「ただの傍観者」である。
いや主導者だ。
傍観する以上。
一国のリーダーがこうした「傍観者」であることは許されない。
ウィグル人に対する、中国共産党のジェノサイドも今回の森会長の「女性蔑視」発言も、まったく同根である。
少数派にして「異論を排除」するという「いじめ」とまったく同じだからである。
トランプ支持者による米国議会侵入は許されるべきことではないが、中国共産党のウィグル人に対するジェノサイドに対して、史上初めて「NO」を突き付けたのは、トランプ政権である。
前国務長官のポンペオ国務長官である。
弁護士出身のオバマ政権ではなく。
米国国民は、どちらを信用すると思うのか?
身近ないじめも、世界の政治も同じだ。
何も表明しないことは、ウィグル人のジェノサイドを容認するのと変わらない。
しかも、自公政権は、このことに対して何も表明していない。
「見識」がないからだ。
見識がない方が、五輪の国のリーダーであっていいのか?
こういう方々が、政権を担当して、女性蔑視やいじめやジェノサイドはなくなるのか?